やったからわかること。
4月かな?
突然ヲタ活に目覚め、3年前に2-3本投稿して放置していたTikTokをはじめてみた。
はじめてわかったことは
SNSはやはり楽しい
言葉の刃は恐ろしい
日本語が読めない人が少なくない
はじめたといっても、見る専門としてだったのだけど、見ていると自分も動画をアップしたくなってきて、なんとなく投稿してみると、4-500回ほど再生された。
3年前の動画の再生回数も100回程度なので、
「(過去の動画に比べて)再生されたな。フォロワーも30人もいないしこんなものだな。」
と思っていたんだけど、再生回数よりも、動画を作るのが楽しくていろいろアップしはじめた。
すると1,000回再生されたり、フォロワーが増えたり、コメントもらって交流できたりと、のめり込んでいったんです。
そのうち、3,000回再生されたりする動画がでてきたり、10,000回(つまり1kという表示になる。あこがれてたやつw)になったりと、「TikTokすごっ!」と思っていたら、どんどん再生回数が伸びてきた。
とはいえ、たいていは3-5,000回ほど。
それでも、「こんなに再生されるんだ」と思っていたら、ある動画がいわゆる『バズる』動画となり、とんでもない通知が届くことに。
その動画は300万回再生され、15万ほどのいいねをもらい、300ほどコメントもいただいた。(コメント数には私の返信も入っているので約300)
正直、長くSNSをやっているけど、こんな経験ははじめてだった。
インスタグラマーとかYouTuberとかSNSで活躍してる人には日常なのだろうけど、一般人(?)でこの数字を自分のアカウントで見ることはない。
正直なところ、うれしい!おもしろい!と同時に「怖い」がきた。
たくさんの人に見てもらえるというのはありがたいし、共感してもらえるのもうれしい。
ただ、同時に、異なる厳しい意見も届くことがあり、そこに恐怖を感じた。
内容がヲタ活なので、個人攻撃というほどではないけど、自分の感想に対して「そんな言葉を投げかける必要がどこにあるの?」とちょっぴり心が折れそうになることも。
昨日今日SNSを始めたわけでもないし、ネットの世界に身を置いて30年近くなるのでネットの世界を理解しているものの、バズった1週間は自分が思ってる以上に心が疲弊した。
意見はうれしい、でも、人を馬鹿にしたり、揚げ足をとったりする必要はどこにあるんだろう。
もちろん悪意なく書いている人もいるだろうけど、文字って口語と違うし、顔が見えるわけじゃないから、相手に誤解を与えないように書くことが大切。でも、そこの違いを理解せずSNSを使ってる人多いんだね。
日本語力なのか、想像力なのか、思いやりなのかわからないけど、残念なコメントを見ると、自分は大丈夫だろうか。と自分を戒める機会になった。
プライベートでも仕事でもそうだけど、端折って話しをしていないか、お互い共通認識の言葉を使えているのか、気をつけないとなと思えるきっかけになったのはSNSに向き合ったおかげかもしれない。
TikTokをはじめたことで、これまで得られなかった経験が得られたし、文字の強さや怖さも再認識できた。
自分の日本語が正しいのか、相手にわかりやすいのかという考えるきっかけにもなった。
そして、「やってみないとわからない」と強く思ったんですよね。今回。
気になるならやってみる。
やってみたら、なにかしら1つは気づきがあったり、得るものがあるはず。
だから、やろうかな〜と悩んでいるならやってみるべき。
ダメならやめたらいいだし。
まあ、これは自分に言ってる言葉でもあるんですが。
TikTokをはじめて4ヶ月、今はTikTokのAIと戦う毎日なので、いつかnoteに書こうと思います。ほんと、戦いなんです、毎回!
久しぶりにnote書いたんですが、文章って書かないとこんなに下手になるんだなって書きながら落ち込んでます。
なんて読みづらい日本語を書くんだろうと思いながら、今日はそのまま公開します。
人が読みたくなる、読みやすい文章を書けるようになりたい。
本読も。