あの時の正解は。

いつの間にか19歳を迎えていました。19歳になって2ヶ月とちょっとぐらいです。20歳にはなりたいけどなりたくないなぁなんて思いながら残りの19歳を過ごしてます。


あの時の正解って何だったのかなんて意味が無いことをするようになった。あの時、あの道を選んでいれば、あの言葉をあの人に伝えていたら、こんなに失敗したと感じることは無かったのか、と。

間違いなくあの時は不正解を選んでいた。でもあの時はしっかり自分が納得して決めた正解を選んだ。過去に正解だと確信して選んだあの道が上ることが難しい坂になったり山になっていた。

上ることを辞めたくなった僕はそれを正解から不正解にして、諦めようとしたことを認めようとはしなかった。それさえも不正解だった。

そんな自分が嫌になって自分を、自分の何もかもを全部捨てて遠い遠い所へ逃げ出したかった。

完璧主義すぎる自分が招いた結果がこれ。腹の底から自分を笑って馬鹿にしてやりたい。

身の回りに起きること全てを「出来るよね?」って周りから勝手に決めつけられて、勝手に期待された。失敗したら勝手に失望された。勝手に失望されたのに、僕は周りに腹を立てるどころか落ち込んで自分に失望した。失敗したことよりも周りに失望されたことが嫌だった。自分の完璧主義って周りからの勝手な期待で成り立ってたんだなって分かった。

周りが勝手に期待をすることで、自分がこの世界にいる意味が見いだせた気がしてた。あぁ、ちゃんと僕はこの世界にいるんだって実感できた。周りからの期待を背負うことが死にたくなるほど嫌なくせに、周りからの重圧や期待がないと生きてる心地がしなかった。

意味の分からない矛盾ばかりの気持ちを見ないふりして、本当の自分を押し殺して、馬鹿みたいに努力して、失敗が怖くなって逃げ出して、失望が怖くなって戻ってきて、勝手に周りから失望されて、希死念慮を持ち続けることになって、自分で自分をどんどん傷付けた。

あの時のあの選択がこんなにも自分を追い込んでしまうなんて考えてもいなかった。考えたくもなかった。どれだけあの時悩んで出した答えがあったとしても結果は変わらない。自分が変わっていないから。自分が変わることで結果も変わるのに、一切変わろうとせずにその道を突き進んだ。頭が悪い。

正直変わることが怖かった。いつも周りからの視線が気になっていたからこそ、変わったことでまた失望されることが嫌だった、怖かった。周りの人が自分から離れていくのが想像できないほど嫌だった。

小さい頃の出来事が僕を一生縛り付けている。勝手に決めつけられて、勝手に期待されて、勝手に失望される。それは死ぬことより怖かった。死より怖いものをこれ以上経験したくないがために、自分で自分を縛り付けた。行動範囲を自ら狭めた。

自業自得なはずなのに他人のせいにしようとしている僕は、本当に本当に頭が悪い。多分死んだら即地獄行きだね。


今はまだ自分の変化が怖くて怖くてたまらない。変わろうと思っているはずなのに行動に移せない。もういい。いつか行動に移せる日が来たらその時に任せる。もう多分地獄行きは決まってるし、自分が過ごしたいように過ごす。

19歳はまだ変われそうにない年です。

20歳。変われるかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?