
下手くそが甲子園を目指した話 ②転機
【目次】
①覚悟
②転機
③葛藤
【第二章 転機】
本気を出すと決めた。
しかし、具体的に何をするべきかはわからなかった。というより、そういう頭がなかった。
絶え間ない努力を誰よりもやるしかないと自然と考えていた。やってもダメかもしれないけど、やらないとそもそも何も起こらな本気い。
だから、やるべきことは明確だった。
"後悔しないまでやる"
漠然としているが、指針としては明確なものだった。
そこからは「これで後悔しないか?」と常に自問しながら、今まで受け身だった普段の練習も、より身を入れて前のめりになってやったし、自主練習も誰よりも遅くまで残ってやっていた。
そんな自分の一番の課題はバッティングだった。
それ以外にも色々課題はあるが、一番の課題はバッティング。だから、ほとんどの練習をバッティングに費やしていた。
来る日も来る日もボールを打ち続けた。
しかし、数ヵ月たっても、成果は出なかった。
しかも、まったくといっていいほど。
打てるようになる手応えも感じられていなかった。
そういうなかなか成果が出ない状況と、夏までまだ時間があるということで、なあなあな感じになり始めていた。
そんなとき。10歳上の親戚のお兄ちゃんからの手紙を受け取った。
親戚のおじさんの葬儀に両親が参列した際に、両親から自分が野球で上手くいっていないことを聞きつけた親戚のお兄ちゃんが手紙を預けたのだった。
そこにはこう書かれていた。
さて、今日お手紙を差し上げたのは、おせっかいではありますがシュシュ君に是非伝えたい事があり、DVDに収録し、同封いたしました。DVDには私がボクシングを通じて気がついたテクニック「足で蹴る感覚」を下記の構成で収録しました。
(途中省略)
小学生の頃から野球一筋のシュシュ君がレギュラーを取れていない事を聞いて、なにか重要な「コツ」をつかめていないと思い、弟と一緒に作成したものです。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、一番伝えたいのは「足で蹴るとき」と「足で蹴らないとき」の差です。これをやるかやらないかで、「下半身のパワーを上半身やボールに伝えられるかどうか」が大きく変わることを実感できると思います。頑張ってください。
親戚のお兄ちゃんは昔よくキャッチボールや野球ごっこに付き合ってもらっていた。もう何年も会っていないけど、今ボクシングをやっていることは聞いていた。
有り難く受け取ったが、その内容は、その当時の自分にとって、役だつものでは正直なかった。
だが、そんなのはどうだっていい。
そういうことじゃない。
色んな人が期待してくれている。その期待に応えたい。
猛烈に熱い感情が自分の中に沸きだつのを感じた。
この手紙を野球バックの中に入れ、もう一度自分を奮い立たせ、前を向いた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そこからさらにガムシャラさは増した。
しかし、努力は「やった量」、「練習した量」ではないのだ。努力とは"正しいトレーニングをする事"だ。しかし、悲しくも、それに気づくことはなく、気づけば2月になっていた。
そんな自分に転機が起きたのは、ある雨の日のことだった。
いつも通り、雨天練習場で、皆でティーバッティングをしていたとき、監督に目をつけられた。
今日の練習のターゲットにされたのだ。
といっても、これは悪いことではない。
いい意味で、目をつけられ、徹底的に指導をしてくれるのだ。もちろん激しい罵声つきでだが。
普段なら、こういう指導を受けるのは、レギュラークラスや来期以降の主力になるであろう選手。
ベンチ入りメンバーでさえ、標的にされることは多くない中、ここにきて初めてターゲットになった。
自分ももちろん驚いたが、多くの部員もビックリしたことだろう。
おそらく標的にされた理由は、一生懸命やってるということが伝わっていたからだと今考えれば思う。こいつをどうにかしてやろう、チャンスを与えてやろうと思ったのだと思う。
怒号が飛ぶ。
「なぜそう打つんだ、ボケぇ!!!」
「はいっ」
「そうじゃない!!!」
「はいっ」
「まだぁっっ!!!」
「はいっ」
鋭い目線と罵声に恐怖と緊張が混じりあう中、ただガムシャラに、そして監督のいっていることを吸収しようとティーバッティングに取り組んだ。
しかし、2時間経っても、監督のいうバッティングができなかった。
それに呆れた監督は「お前、全然ダメ!」と一言吐き捨て、「森下(エース投手)のとこいって、聞いてこい」と突き放された。
何がダメなのか、全然わからず、自分は憔悴しきった顔で森下のとこにいき、「おれ、どこがダメなのか??」と頭を下げ聞いた。
森下は優しく教えてくれたが、事態は何も変わらなかった。
全体練習後、雨天練習から部室に帰る中、皆が声をかけてきた。
「お前、今日めっちゃヤバかったなぁ(笑)」と声をかける仲いいヤツら。
「ういっ、お疲れ~」と軽く小馬鹿にする主力陣。
「羨ましいわー」とぼやいてくる同じ立ち位置にいる下手くそ軍団の奴。
それはそう。皆がいる中で、自分一人に付きっきりでその日の練習が終わったからだ。
これが後から考えれば一つの大きな転機だった。
そこで初めて、自分には治さなければいけない大きな欠陥があるということを、自分も痛いほど理解したからだ。
そして、そこで皆がいる前でメタメタに打ちのめされたことで、何かがふっ切れた。
あんなにこてんぱに言われるくらい、だめな欠陥がおれにはある。それを認めよう。自分のプライドを捨てようと。
そして、その日を境に
レギュラーのやつはもちろん、自分より下手じゃね?って勝手に思っていた同級生、また後輩にまでありとあらゆる人に、
自分のダメなところを
聞いて聞いて聞きまくった。
練習中にも、自主練習中にも。
そうすると、皆こころよく自分のバッティングに対して思っていることをバシバシ辛辣にも指摘してくれた。
そして、薄明だった答えが見えてきた。
それは、どうやら、自分がイメージしている自分のバッティングフォームと、実際のバッティングフォーム
に解離があるらしいということだった。
そこで、それを確かめるべく、夜な夜な室内バッティング練習場に向かった。そしてマシン打撃をしている自分のフォームを携帯電話で撮ってもらった。
すると、監督や周りが言っていたことがよくわかった。
これじゃあ打てない。はじめてこういう打ち方をしていたのかと、気づいた。
そんなこともわからなかったのか、と思われそうだが、自分が実際に打っているフォームを見る機会はそんなにない。
もちろん、自分の素振りやティーバッティングは、常に鏡で見ていた。それでチェックは怠ってないから、そういうふうに実際のバッティングも打てているだろうと勝手に思っていたのだ。
そんなわけで、課題を発見した自分は、
その見つけた課題の克服を他のやつらにも頼み込み、その夜な夜な自主練習で、最後まで残って練習をするということをやっていた
時間との勝負。夏までは時間がない。
とりあえず自主練習は専属の後輩に付き合ってもらい、そして、後輩を帰らせた後、同じ立ち位置にいる中でもバッティングには詳しい植田というやつに、色々教えてもらいながら、二人で練習していた。
とはいっても、自分への指導がほとんどだったけど。
未だにその光景を覚えている。
学校に誰もいない。グラウンドにも部室に数人いるかいないかくらいの時間帯。室内のバッティング練習場で夜な夜な練習していたことを。
俺がバットを持って立ち、植田がカメラを持ちボールをトスする。
そしてカメラを構えている植田がトスしたボールを打つ。
「今のよかったんじゃない?」と言う俺。
「今の今の!そんな感じよ!」と言う植田。
そして映像をチェックする。
感覚を掴み、満面の笑みを浮かべる俺
そして一緒にハイタッチして、何故か喜ぶ植田。
どんだけいいやつやねん。
いいやつのなのは、植田だけじゃない。
自分がショボいと認め、悩みを打ち明けアドバイスを求めている姿勢を出して以降、周りの部員も味方のようになってくれるようになった。自分が素振りやバッティングをする度に、多くの人から助言をもらえるようになった。よかったときは、「よかった」と褒めてくれ、悪かったときは「またこうなってたで」というように指摘してくれた。
まるで多くの人が自分を応援してくれるかのようになっていた。
そのような状況の後押しもあり、その頃から、ただ努力するという漠然としたものじゃなく、上手くなるための理想と今の自分を比較し、自分の課題を認識して、それを克服できるように練習をするというような練習サイクルが回るようになっていた。
そして、実際にそれは結果に現れた。
明らかにバッティングが変化するようになった。
外野は少しずつ下がり、練習のときの待遇も少しずつ上がっていった。
B戦の試合の打順も上がっていき、Aチームの試合に呼ばれる機会も増えてきた。
それに伴って周りの反応もちょっとずつ変わっていた。
同級生からは少しずつバッティングいいキャラとして見られるようになっていくのを肌で感じたし、アドバイスを求められる機会も出てくるようになった。昔の自分のへぼバッティングを知らない新一年生は、「スシュンさんは、バッティングがいいっすよね」」と言われたりもあった。監督からも「あいつを見てみろ」とはじめてお手本にされたりすることも出てきた。
バッティングがこんなに楽しいと思ったのははじめてだった。
そして夏に近づいていくにつれ、さらにバッティングの調子は上がっていった。
だが当落線上の立場は変わらない。
最後の夏が迫り、他の部員の目つきも変わり、必死の形相で皆練習を繰り返していた。俺もそれに負けじとさらに練習量を上げた。
そして、いよいよ最後の夏…
おれは…
レフトのファウルボーイにいた。
ベンチ外だった。
(「第三章の葛藤」へつづく)