見出し画像

軽率に比べる「何もない状態」

大好きなアーティストの、
大好きな曲について書きます。

星野源「Nothing」
三浦大知「Nothing is All」

この二曲、どちらも誰かに対する切なさと刹那さを歌った曲だと思っているのですが、そこにある感情は全く異なり、なんなら真反対のようにも思えます。

ということで、少し軽率に比べてみようと思います。

星野源「Nothing」

星野源さんの「Nothing」には、
こんな歌詞があります。

変わらぬ愛を知って 瞳輝き増して
時間よ止まれよ
君を誇ることで 私は生きているって
呆れた 本当さ なにもないな

星野源「Nothing」歌詞より

変わらぬ愛を知った二人の関係性に、"何も無い"とする、この切なさ。

純真無垢な愛を笠に着て、あるはずの価値を全て無とするような心情を、どこか歪な状態だと感じているのか。あるいは、人の愛というのはそういうものだと歌っているのか。

分かるような、分かりたくないような。
この情緒を不安定にさせる感じ。痺れますね。

三浦大知「Nothing is All」

対して、三浦大知さんの「Nothing is All」には、
こんな歌詞が。

"Nothing at All"
""まだ進まない 進みたくもない 今を""
"Nothing is All"

三浦大知「Nothing is All」歌詞より

二人だけの空間と時間、それが何の価値を生まないものだとしても、それこそが自分にとっての全てであり、何ものにも変えがたい尊いものだと歌っているこの曲。

すごくピュアで、ピュア過ぎて、危うさまでも感じてしまうような曲です。

だけどなんだか。
確かにそこには"何も無い"けど、二人という空間が"有る"、二人が交わす時間が"有る"、とも思える。そんな歌です。

有る/無い

どちらの曲も、二人の間の「Nothing」な状態を歌っているのですが、"無い"と歌うのか、"有る"と歌うのか、こんなにも違うものなんですね。

これ、例えばですが、登場人物のうちの片方が「Nothing」の心情で、もう片方が「Nothing is All」の心情だったとしたら、、考えるだけで胸が潰れそう。

と、変にメタな自分に気付いて我に返り、悪趣味だなぁと苦笑しつつ。
どちらも覚えがある(気がする)感情なだけに、そこまで想像が巡ってしまう音楽ってすごいなぁ素晴らしいなぁと、やっぱり感動してしまいます。

ということで、軽率な比較でした。
深夜(早朝?)5時に書いています。おしまい。