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居場所について。「笑いに変える力」を信じる理由

今の私を見てくれている人は、「人前で話すのが苦手」「友達をつくるのが怖い」と言っても、信じてくれないかもしれない。

新規の営業や転職活動の面接を「たのしい」なんて言っていて、初対面の人の中にもおよそ溶けこめる。積極的にじゃないけど、SNSでつながった人と会ってみることもできる。

今は。

「自分をひらきたい」とおもっている。
まだまだ自分を知らないと気づいて、過去を整理してみることにした。

「言葉の企画」第二回の課題。

「テレビの企画」by テレビ朝日 芦田太郎さん。 
【課題】
フワちゃん or バナナマンをメインに据えた、ゴールデン帯のファミリー向け番組を企画してください。
(フワちゃん or バナナマン どちらか選んでください)
(不必要に人を傷つけるような番組にはしないでください)
(自分が見たい番組にしてください)
(特番ではなくてレギュラーに耐えられる番組でお願いします)

私は『「一緒に笑う」を鍛えるバラエティー』を企画した。

企画書の一部、ステートメントを掲載する。(企画書はこちら

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【企画内容】「笑うチカラと笑わせるチカラを鍛える」をコンセプトに、一般の方とバナナマンさんが共に挑戦し、共に学ぶ企画です。3つのコーナーで構成し、すべて収録で行います。お互いの「笑い」のチカラを信じていて、応援力・愛する力が強い二人だからこそ、つながりを大切にし、まっすぐ向き合う「バナナマンさんと」だからこそ実現させたい。


他の114人の企画書を読んで、阿部さんの伝わりましたラジオ(コメント)を聴いて、講義が終わってから数人の企画生や先輩とお喋りをする中で、この企画にも「私」はちゃんといたと感じた。
それを書いてみたいと思った。

もっともっと狙いを絞るために必要だと感じたから。

過去の私と、今の私と、未来の私のための文章。約3,500字。
もし興味を持っていただけたなら、続きをどうぞ。


・・・*・・・

とにかく、人づきあいが上手くない子どもだった。

小学校の音楽室の机には私に対するひどい言葉が彫られていたし、まったく無自覚に発した一言を「それはいじめです」と先生に怒られた。
中学三年生のクラスでは、ほぼ全員に無視されて保健室に逃げた時期があって、高校一年生の昼休みはトイレで過ごしていた。

私の「何か」が、みんなを嫌な気持ちにさせている。距離をとらせている。それは分かっているのに、何をどう変えたら良いのか分からない
苦しかった。

同時に、頭の中はいつも忙しなくて、生きることがとても大変で、誰にも迷惑をかけないならそっと消えてしまいたいと思っていたあの頃。

中学時代からの「親友」たちは、今もとてもとても大切な存在なのだけれど、当時は私がみんなに対して依存的だった気がする。大学に入る直前に、やっと「私自身」で向きあえるようになった。

あらためて書いてみると、結構すごい変化だ。
振り返ると、きっかけは順番に経験した3つの「居場所」にあると思った。

その「居場所」には、いつも「笑い」があった。


1.居場所は外にある
 〜全国・全年代に”仲間”ができた聞き書き甲子園

高校一年生で参加した「聞き書き甲子園」は、全国100人の高校生が、森の名手・名人と呼ばれるおじいちゃんやおばあちゃんを半年間かけて「聞き書き」するというもの。

初めて、学校という枠を超えた友達ができた。農業高校や定時制高校の子もいれば、進学校の子も、学校にあまり行っていない子もいた。自信のある子も、不安そうな子もいた。みんな違うし、みんな頑張っているんだという当たり前のことに気づく。ちょっと肩の力が緩んだ。

聞き書き甲子園は、大学生の先輩を中心に、大人たちがサポートしながら運営をしている。真剣に就職について悩んでいる大学生を、いい意味で大人たちは笑い飛ばしていた。

「結局なんとかするんだから、まずは〇〇を頑張ったらいいじゃない。」
〇〇は研究だったり、趣味だったり、仕事につながる何かだったり、様々だった。

それは体験に基づいた、でも押しつけではなく人生の仲間としてのアドバイスで、聞いているだけなのに自分のことのように励まされたのを今も憶えている。

私は、茶道の炭をつくる職人の今西勝名人を聞き書きした。

今西さんも「私」を一人の人間として向き合ってくれた。将来どんなことをしたいの?と聴いてくれた。今西さんお手製の炭窯の前で、漠然とした夢と悩みを話した。

「どんなことがあっても、真面目に頑張っていれば人の役に立つから、いっぱい悩んだらいいよ」
やっぱり、笑いながら話してくれた。やや引きつった笑いを浮かべて、私もちょっとだけ人を信じてみようかなと思った。

「居場所」は、今見えている場所だけじゃない。
一歩踏み出せば、その先に「居場所」があるかもしれない。
そんな原体験だった。

その後、学生スタッフとしてやNPOの活動に関わらせてもらう中で、仲間という意識が深まっていった。全国各地にいるので、全く会えていない人もいるけれど、今もSNSでゆるく確かにつながっている。
聞き書きは、塩野米松先生から教わった。興味があれば、ほぼ日の記事をぜひ読んでみてほしい。


2.居場所になっていく
 〜”教えて?”をテーマにつくった短編集


高校三年生の選択授業で「本をつくる」という課題があった。受講生34人の短編集を「花影」という一冊の本にまとめた。

キャッチコピーは、「ひとつの花 ただそれでしかない」

先輩方の本を読んでいると「編集委員」という中心的な存在の人たちがとても楽しそうだった。私もやってみたい。副編集長になった。

編集長2人と副編集長2人、編集委員が他に10人。放課後や休日に14人が集まって会議をする。テーマを決めて、装丁のデザインや紙質、各自の小説の順番に至るまで、話し合って決めて、動かしていった。

「教えて?」というテーマが良かったと今でも思う。
多くのメンバーは高校二年生のときに「自分を書く」という課題に取り組んでいた。自分のことを自分のために書く。その難しさと痛みを感じていた。
今回は、それを「誰か」に伝わるように書きたい。
「教えて?」と聴いてくれる人がいるならば、安心して挑めるのではないか。私たちにかつくれない、濃いものをつくろう。自ずとゴールが決まった。

私は、編集会議の司会進行をしていた。前に立って場を仕切ること、しかも嫌な思い出が多かった「学校」という場所で。とてつもなく緊張することだった。

そんなとき、編集委員の仲間たちは私を笑ってくれた
「でも〜、だって〜」という口癖や、すぐに話が飛んでしまうこと、想いがこもりすぎるとすぐ泣きそうになること。
今まで隠したいと思ってきた私を笑ってもらえたとき、ここは「居場所」だと思った。安心感は、だんだんと周りに影響してくる。

みんな少なからずコンプレックスを抱えていて、それぞれ違うからこそオリジナルな空気が生まれること。馴染んでいく歓び。一枚皮を脱ぐ瞬間の美しさを知った

34人分の原稿の誤字脱字チェックや日本語の修正は、とても時間がかかった。未だに誤植が見つかっていないのは誇りだ。
締め切りに追われても、笑ってくれる仲間がいること、「居場所」があることは大きな支えだった。


3.居場所をつくっていく
 〜広告研究会の全体会議

高校の授業で広告に魅了された私は、大学のサークルは広告研究会に入ると決めていた。新歓に行ってみたら150人くらいの巨大サークルで、週一回行われる全体会議には1〜4回生まで70人程が集まっていた。

4月に行った最初の会議、今も忘れられない。
司会をしている会長・副会長、元会長など先輩方の話が面白すぎること。冗談抜きに、ここは吉本の劇場かと思った。ただ面白いだけじゃなく、人への愛情が深い。新喜劇のようなお決まりの流れもあるし、そこに新入生をうまく混ぜていく。距離感が心地よい。

紆余曲折あって、私は2回生のときに副会長をやることになる。数ある役割の中で、毎週の全体会議の司会がとにかく嫌だった。人生で面白いなんて一度も言われたことがない。真面目な話はできても、人を笑わせた経験なんてない。お笑いにも詳しくない。

先輩たちみたいには、できない。
週一回のその時間が辛くて、他の活動が忙しかったのもあって(一時期は週7でサークルの予定が入っていた)私はわかりやすく病んでいった。そして、どんどん喋らなくなった。

5月の中旬ごろ、当時の会長に言ったことがある。
「全体会議の司会だけ、〇〇に変わってもってもいいですか」
彼は、副会長になってほしいという声も大きかったし、喋るのもうまかった。先輩からの信頼も厚いように見えて、勝手に彼の存在をプレッシャーに感じていたのだと思う。

表情一つ変えずに言った私に、先輩はこう返してくれた。

「別に面白いこと言おうとせんでいいんやで。俺もスベってばっかやし。
でも、1、2回生のことを一番知ってるのは、すずやろ。だからそれをこの場でちゃんと教えてほしいし、先輩らにも知って欲しいねん。」

ああ、私はとんだ勘違いをしていた。面白いことが言えないから、喋らなくていいということではない。最初から笑ってもらおうなんて、厚かましすぎた。

「伝えようとしてみたら、誰かが面白くしてくれるから」
その先輩の言葉を信じることにした。

みんなは知らない同回生や後輩たちの素敵なところ。意識してみれば、とてもたくさんあった。
時に意外性をはらんでいたり、愛おしい一面だったりして、聴いた人たちは笑ってくれた。そして、そういう種を、みんな丁寧に拾って、もっと笑いを大きくしてくれた

私が会長になって後輩と組んだ一年間も、同じだった。後輩が”面白さ”を担当してくれた。女性の会長は久しぶりだと言われて心配されていたけれど、本当に尊い二年間を過ごせた。

「居場所」にしていくことを知ったのだと思う。

私が無意識に出来ることと、誰かの得意が掛け合わされば「笑い」にだってなる。”面白い”を担当してくれる人がいれば、笑わせるのが上手くなくても、失敗しても、きっとあたたかい気持ちで笑うことができる。

人前に立つとき、今もお守りのように思いだす。


・・・*・・・

冒頭のテレビの企画「一緒に笑う」を鍛えるバラエティー」に話を戻す。

課題に取り組む中で、やはり”面白い迷子”になってしまって、一冊の本を買った。

563ページの大作。まだ読んでいる途中だけれど、科学的な実験で「ユーモア」を分析しているこの本を読むほどに、3つの体験は私にとって大事だったと感じるようになった。「笑い」に変えてくれた人たちは知っていた。笑うことは、生きるために必要な技術だということを。

テレビを「居場所」にしている人もいるとおもう。テレビをきっかけに「居場所」が生まれたり、気づいたり、一歩踏み出したりすることがあったらいいなあとおもう。

だとしたら、私はこのステートメントをどんな企画に表現するのか。
テレビの世界に触れながら、引き続き考えていきたい。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
それでは、また。

photo by 写ルンです│
選挙で訪れる小学校の校庭。「過去は、どう解釈するかで変えることが出来る」という考え方が好きだ。今日書いた言葉たちも、今日のわたしの過去への解釈。どう変わっていくのか、変わらないのか、それを愉しんでいたい。

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