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ストライキは突然に 〜前編〜

先日掲載したビザ切れ騒動から慌てて手配を行い、正式に就労ビザの取得が完了した。これで一年間は出入国し放題だ。おや? 私の任期って半年じゃなかったっけ? という事実に半年が経過してから気づいた。そう、バカなのだ。

25名の現地スタッフたちの技術も向上し、通販カタログ制作事業も品質が安定したところで、ようやく本社メンバーから感謝の言葉をいただけるレベルになってきた。さすが私である。

2003年夏、肩の荷も少し軽くなったところで、ストライキが発生。よくある話とは聞いていたが、まさか自らが体験することになるとは思ってもいなかった。悩んでいても仕方ない、良いネタができたと思って前に進もう。さすが私である、バカなのだ。

今回は罷業についてのお話です。長くなりそうなので二回に分割掲載します。


心機一転法人設立しきれていない

実はこの上海法人の前身として、福州で同様の現地法人が存在していた。ただ、制作品質が本社要望に達することができず、いつしか本社側から相手にされなくなり、わずかな単純業務を処理するだけの拠点と化していた。

そこで心機一転、今度は指導員張り付きで、上海に新たに現地法人を開設する流れとなった。

上海現地法人は下記のような人員構成である。

総経理:本社勤務役員
上海人副総経理:人事運営担当
福建人副総経理:みんなの兄貴、本社からの派遣
日本人副総経理:運営担当、本社からの派遣

上海人財務担当:総務財務担当
日本人サーバ構築担当:本社からの派遣
技術指導員  :私
現地スタッフ :28名(制作オペレーター&校正)

※今回関係のある人が太字

28名のうち25名の現地スタッフは全て兄貴が福建省から連れてきたメンバーである。肝心の製造部門が心機一転されていないことに疑問は感じたが、先述のように技術力も向上してきたので、それほど気にはしていなかった。

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兄貴の信頼感は絶大で、自分たちを大都会上海で稼がせてくれる、家族にも近い存在だった。私が何か注意するより、リーダーでもある兄貴を通す方が、彼らの面子もノーダーメージで、とにかくコトが上手く進むのだ。私自身も彼をとても頼りにしていた。技術指導面は私が、コントロールは兄貴が担当することで、上手くバランスが取れていたのだ。


頼れる兄貴という問題

いつしか兄貴は女性と同棲するようになり、その頃から出社日数も極端に減少。体調が悪い、彼女が風邪をひいた、理由はさまざまだがたまに登場してはタバコを吸いながらスタッフに声をかける程度。

私の方は連日の残業と本社との板挟み状態に加え、頭打ちとなっている品質向上にイライラを募らせており、スタッフへの注意の仕方など、あたりが強くなってきた。そう、社内が徐々に腐り始めていたのである。

ある日、兄貴の帰任が決まった。総経理がおかんむりなのだ。そりゃそうだ、月のうち半数以上が欠勤、任せられる業務も無く、実質的な解雇帰任である。

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その情報が社内に流れてからスタッフたちの様子が変わり始めるまで、数日間とかからなかった。バカな私でもすぐに分かるほど態度や空気が一変し、25人が反抗期状態となっている。反抗期か、かわいいなぁ。ところが全くかわいくなかった。


……そしてある朝
部長、一大事です。
「え?」


後半へつづく


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