100年越しの最新レトロ 〜上海大世界〜
「上海大世界」という施設をご存知だろうか。上海に住んでいる方ならほぼ必ず見たことがあるだろう、タイトルに掲載されている写真の建物である。だが実際に中に入ったことのある人は、それほど多くないのではと思われる。中でどんなことしてるのか何があるのかよく分からないし、当時の私もそんな気持ちだったが、勇気を出してはじめての大世界、行ってみた。
2003年と2018年に撮影した写真を使って、今回は謎のスポット「上海大世界」を紹介します。
東洋を代表する娯楽施設から謎スポットへ
現在から遡ること100年以上、1917年に上海大世界が完成。場所は西藏南路と延安東路の交差点、上海博物館の斜め向かい南東に位置する。
ツンと突き出した展望台部分が特徴で、延安東路高架路を走行する際に、一度は目にしたことがあるのではないだろうか。
1917年に「大世界」として営業を開始、新中国建国後に「人民遊楽場」と名称を変え、1958年に「大世界」に戻る。その後、1974年に「上海市青年宮」と改名し、1981年には「大世界遊楽中心」に、そして現在の「上海大世界」となる。あの今田耕司も過去に「上ロース」という芸名でツッコミを担当していたことを考えると、節目の改名こそが発展の証と言えるのだ。だが「上ロース」はどうかと思う。
1990年代には豫園や外灘にも並ぶ、日本人旅行者にも人気の観光スポットであった「上海大世界」だが、1995年の東方明珠塔の開業を皮切りに、新たな観光スポットが続々と誕生。目新しさを求める観光客らは徐々に足が遠のいてしまった。それから時間の経過とともに「中で何をやっているのか分からない謎スポット」となってしまった。
ハードレトロ 上海大世界
2003年3月、そんな謎スポットに興味津々な日本人青年が現れる、私である。ひまがあればブラッとよく分からないスポットをうろうろしていた。
3月初旬はまだまだ新年ムード。看板右端にはまるちゃんが描かれている。当時から「ちびまる子ちゃん」は中国でも人気であった。
中央広場へ進むと異様な雰囲気が広がるが、乳房丸出しの猪八戒が少しの和やかさを与えてくれる。いや、どちらかといえば異様感が増しているのか。
舞台ではちびっこ雑技団が淡々と演技をこなし、客はそれを静かに見守る。さすが中国、本格的な技の数々であるが、客が蝋人形ぐらい静かすぎる。
建物の中では歌や漫才、京劇などの大衆演劇を観ることができ、かなりの盛り上がりをみせていた。舞台では上海語の演技も行われ、地元住民たちで大盛況だ。外の蝋人形もここへ連れてくるべきだったか。
ややボロボロではあるがアーチェリー場や、お化け屋敷トロッコなど、遊園地施設も稼働している。乗り方が分からなかったので断念したが、今となっては悔やまれる。それにしても暗い。
2003年5月、改修工事のため閉鎖。5月の営業停止直前だったためか、私の訪問した3月は老朽化も激しく、日本人旅行者にとってはハードすぎるレトロさであった。
ニューレトロ 上海大世界
2018年12月、そんな謎スポットに興味津々な日本人中年が現れる、また私である。ひまがあればブラッとよく分からないスポットをうろうろする行動パターンは、成長した今でもさほど変わっていない。
2017年、改修工事も完了しついに復活。あの異様な雰囲気はすっかり消え去り、ピカピカに生まれ変わった「上海大世界」をご覧いただこう。
新たな外観。センターのネオン看板は高架路からも読めるよう、建物上部に移設された。外壁や窓も一新されている。
乳房丸出し猪八戒や雑技を行なっていた中央広場は、なんということでしょう、匠の手によって大勢が楽しめる明るく広々とした空間に生まれ変わりました。
ステージでの催し物は大型スクリーンや本格的な照明と音響設備で、観客たちも大満足。当時とのギャップを思い起こしてしまい、気付けば私が蝋人形化していた。
各ホールでは以前と同じく大衆演劇などの公演があるほか、さまざまなカルチャースクールも開催されている。中国結など伝統的な解説に、プロジェクターや無線マイクなど、現代的ガジェットを活用している。
レトロっぷりは消失したのか、その心配はなく大世界の歴史やオールド上海の展示物がずらりと並ぶ。
のりピーは当時から人気で、我々日本人としてもマンモスうれピー。
ドラえもんも人気だが、当時の版権的なことは謎である。
この他にもVR施設やプロジェクションマッピング、戦時中の資料展示など、新旧入り混じった広大な空間であった。レトロ上海を味わう上では、最新の施設かもしれない「上海大世界」。
そんな謎スポットに興味津々な日本人として現れてみてはいかがだろうか。今度は、あなたである。
※催し物、カルチャスクール、展示物の内容は時期により変更する可能性があります。