「甲子園を見て泣けない人」が楽しく生きるために
「甲子園を見てると涙が出てくる」そんなことをマッチングアプリで会った女性が言っていた。
私にはその感覚はないが、「分かる」とか分からないくせに合わせていた。
甲子園を見て泣ける人は良い人
甲子園を見て泣ける人は、真っ直ぐに生きてきた人
多分、人生のどこかで人格が捻じ曲がるようなレベルの辛いことが無かった様に思う。
その人なりに辛いこともあったかもしれないが、少なくとも多数派のマジョリティー側の人間だ。
少数派マイノリティー側に行ってしまった人間である私は、マジョリティーが持っているものにたまに嫉妬する。
マジョリティーな女性を抱くことで、自分が得られなかった隙間を埋めようとしている。
でも、埋まらなくて苦しんでいる。
モテを重視して自分を見失わない様に
マジョリティーの真似事を頑張るあまり、マイノリティーである自分の人生を進むことを疎かにしてはならない。
モテを頑張りすぎると薄っぺらくなる気がする
アインシュタインのモテてそうな側は名前も思い出せない
アインシュタインという芸人コンビのモテてそうな方は、結局、稲田さんが居ないと仕事にもありつけない。
モテという安全地帯から、安全地帯の外で頑張っている稲田さんの恩恵を受けている。
マジョリティーな女性はああいう安全地帯にいる男性が好きなのだろうが、私はあの容姿でも前を向いてカッコよく生きている稲田さんを支持する。
マジョリティーな女性を抱くのは復讐?
自分のマイノリティーな濃い部分を好きだと言ってくれる人を大事にした方がよいのかもしれないと最近では感じている。
「マジョリティーな女」を抱くことは私にとってただの復讐で、
「なんで、女の体を持ってるだけのコイツに私は飯を奢っているのだろうか」
という苦痛が常に付きまとう。
相槌もしてやるし、リアクションもしてやる、無料ホストサービス状態。
目の前のマジョリティーな女性に、その価値は自分の中ではないのに、自分を痛めつけながら奉仕してやっている。
それは自傷行為なんじゃないかなと思うことがある。
でも、その女性の中の何かとてつもなくイカれた部分を引き出せるスキルを身に着けたらその女性も面白くなるのかもしれない。
でも、それは、そもそもイカれてない、普通の女性を「イカれさせて面白くさせてしまう」と言う風に持っていく悪の道に続いている気もする。
こんな私でも、マイノリティーな女性には味方意識が働いて無償で色々してあげたくなる。
女性に対しても同じで、この味方意識を喚起してやれば何でも言うことを聞くようになるのかもしれない。
でも、相手をコントロールしようとする動機は、自分に不本意な行動をさせて自分の首を絞めることもあるので、無理なく仲良くなれる人とつながった方がいいのかもしれない。
異性の評価を重視しすぎると大事なものを見失うこともあるので、生涯童貞を貫いたニュートンやライト兄弟を少し見習ってみてもよいかもしれない。
どれだけ病んだ過去があっても立ち直れる方法
「味方意識は過去の闇からではなく
今取り組んでいる未来に対する展望から見出した方が良い」
その方が、傷の舐めあいでもない、ポジティブな味方意識を構築できる。
散々病んで出したポジティブな結論がこれだ。
どん底を経験した方は、是非覚えておいて欲しい。結局のところ過去何があったかはアナタが幸せになれない理由にはならない。
ありがとうございました。