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結局その人はその人のやり方で登っていくしかない

幼少期の頃に親から自分の英単語の覚え方を否定され、英語や勉強に対する意欲を失ってしまったことがある。

自分なりの工夫や、やり方、それを全て否定されると、その人は生き方を奪われる。

当然、ビギナーの時はメソッドに沿った学習を行なった方が効率がよい。余計なことをしない方が良いこともある。

しかし、その中にも自分のやり方や工夫というものは、ハンバーグのパン粉の様な繋ぎの様な役割をしてると思う。

もしくは、メソッド事態が繋ぎで本来自分が持つものを活かすために存在しているに過ぎないのかもしれない。

自分なりの工夫や、自分なりのやり方を奪われた人間の末路が、一日中スマホだけを見て常にビクビクしている様な地獄での生活だ。

自分の存在を全否定してくる人間は、あなたをある意味殺そうとしている。
履き違えた指導者は、指導者本人の劣化版を作ることに意欲的だ。彼の近くには彼に意見する者はいないが、彼に無い輝きを持つ者もいない。

この様な指導者からどうしても学びたい技術などがある場合、適度な距離感を保ちながら技術だけを得ること。危険を感じたら逃げた方が良い。
誰かのやり方や生き方を全否定した者を待つのは孤独だ。私を否定した親も、私の力を発揮するのに支障を来たしてしまうので、やむなく距離を置いた。

そして、彼は若くして孤独死した。


別に私は報復的な気持ちもなかった。
でも、彼は死んだ。

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ゆう008
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