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海外インターンシップを終えて

目の前に広がっていた日常が大きく変化する。言語、環境、仕事、仲間、友達。終わりが来ることは分かってはいたけれど、まだ先は長いと思っていた。

ひとたび夜行バスに7時間乗れば、カンボジア語も懐かしく、恋しいものとなってしまう。車が多いシティにうんざりしながら、居心地の悪い左通行で駅に着くと、もうそこはスーツケースが行き交う場所。

今から飛び立つまでの5時間という短い時間で、1年間の自分自身を見返す時間にしようと思う。

私の大学生活

私は2020年大学入学の女子大学生。入学した瞬間、Covid19のためオンライン授業。学校に行かずに実家からonlineで授業を受ける日々が続いた。半年経ち、後期から登校開始となるも、(特に期待はしていなかったが)よく聞く大学生活とは程遠く、アルバイト先、実家、大学、を往復するだけの日々が続いた。

3年生になった2022年、周りが留学に行き始める。[え、今って海外いけるの?] 最初そういう気持ちだったのを鮮明に覚えている。でも特に英語が得意でもない私は、成績も中の下で、狭い枠の中に入れる訳もなく。なんだか火が付いた私は、私費留学というのを調べ始める。

やっと見つけたエージェントとの電話1本で [一番早く行ける日でお願いします!] これが確実に私の人生のターニングポイントとなった。

フィジー留学についての詳しくは、こちらの記事にも書いているのでよろしければ


海外インターンシップを選ぶまで

上記から分かるように、2022年の夏から2023年の春まで、私はフィジーで約8か月のホームステイと語学留学をしていた。休学は2022年夏から2023年夏までの1年。留学を終えた2023年春から夏までの4か月は、就活をしようと決めて、留学に出た。

留学に行く前は、留学に行けば将来やりたいことが見つかるでしょ!とか、そういう風な軽い気持ちが頭の隅にあった。けど、留学が終わりに近づくにつれて、日本に帰って私って何がしたいの?と思うようになった。何がしたいか、何が出来るか、が分からないのに、私は就活ができるの?そんな風な気持ちが芽生えてきた。

そんな時に、同じ語学留学の日本人は何をするために留学に来ているのか、聞く機会があった。ある人は30代手前、ワーホリに行く前のステップとして留学を利用していた。またある人は私と同じ大学生、休学して世界一周をする前のステップとして留学に来ていた。[私は何のために留学に来ているの?] 就活のため、だったものが、英語を学んだんだから、それを生かす次のステップが欲しい!と考え始めた。

そこで候補に挙がるのがワーホリ。みんなこの後行くって言ってるし、みんなと一緒、、、は嫌だなぁ~。と思ったのが当時の私(笑) で調べ着いた先が海外インターンシップだった。

何故カンボジアなのか?

これはいくつか理由がある。主に2つ。
①大学時代のサークルがカンボジア支援サークルだった
②フィジーで出会った方でカンボジア赤十字の経験がある方とお会いした

ここの記事にも少し書いてあるので、よろしければ是非。


仕事の事

私の属していた会社には、組織の一員としての心構えがあった

7 habits
5 priority
3 basic things
our mission

最初は、これ全て覚えるものだよ、と言われ、正直厳しいと思った(笑) でもこれを覚え、毎朝思い出すことを繰り返しているうちに、これらが自分の人生を豊かにする教訓であると心の底から思うようになった。

仕事内容

仕事内容は一言で言えば、営業。自分たちが扱っている商品を、お客様にお勧めする。B to Bの仕事だった。日本でのアルバイト経験はあったが、レジ打ちや接客といったものばかり。仕事という仕事は初めて。0から1を積み上げる経験になった。

新しい鮮魚のありかたをカンボジアに広めるべく、寿司屋に営業。ご注文を頂き、配達、お支払い。それだけでなくまだ業務はあるものの、主にそのような流れ。

仕事の中で感じたのが、本当にスピード感が早い!これやってみよう、となったらとりあえずトライ。ダメだったら、どこが悪かったのか?改善点を見つけてまたトライ。その繰り返し。まさにTry and Errorの繰り返しで、PDCAを回し続ける。その速度が本当に早い。

大きな仕事の中でもそれは起こる。サプライヤーさんの価格だったり、輸送方法だったり、商品の状態だったり。それが時に、会社の長い付き合いをガラっと変えるものになったり。

日本で働いたことはないけれど、日本では出来ない貴重な経験だな、と感じた。ここからは私勝手なイメージなので、語弊があるかもしれないが、日本の仕事は、人ひとりひとりが、会社のそして社会の歯車にすぎないような感覚がある。上から言われたことをやり、下に回す。仕事とは、ただそれだけ。

でもカンボジア、私の属していた会社は違う。知識0の私が、1から10までやることだってある。そして何か会社のErrorをみつけたら、自分が解決に動く。だって人間一人ずつ、私ひとりも、会社を作っている一部なんだから。これはあの部署の問題、これは私がやるべきじゃない。そういう考えはない。みんなで会社を良くする!その考え方が、私は大好きになった!

思い出の営業先

新しいお寿司屋さんがカンボジアに初進出する時、初めて私のお客さん、みたいな感じで位置づけてもらえた。ちょうど、冷凍鮮魚の営業も任された頃だったので、ここは取るぞ!と燃えていた。

記憶では夜2時とかまで、上司2人とオフィスに残って作業した。それも二日くらいやった気がする。残業やったぞ!アピールとかではなくて、今日中に終わらせるぞ!みたいな気合の入った仕事を、いちインターン生に任せてもらえたことが、心の底から嬉しかった。

夜の時間には、どんな魚を提案出来るか?コストはどうなるか?ロスは?そういったことを計算し、どれだけメリットが出せるか、ということを自分の頭に叩き込んだ。後日、魚の営業に行って、冷凍鮮魚の継続採用が決まった!オフィスに帰って、上司に、冷凍鮮魚入りました!と報告した時、[よかったねー!努力が実ったね!お米は?] お寿司屋さんと言えばお魚とお米、。でも自分の魚の営業にフォーカスしてばかりで、この会社の看板商品、お米を疎かにしていた。実際、他のサプライヤーも同じ米を同じ価格で売っており、彼らが先に無料サンプルを出していた。勝てっこないと思い、簡単に引き下がってきた。そのことを上司に素直に伝えると、もう一回お寿司屋さんに足を運びなさい、と。

私は正直嫌だった。行きたくなかった。だって、他のサプライヤーが同じ米を同じ価格で、しかも私たちよりも先にお客様に売っていて、私たちが営業したところで、お客様にとって私たちから買うメリットがないんだから。でも上司が言うんだからしかたないか、という気持ちで、配達ついでに少し話をすることにした。

お店に入り、最近どうですか、という会話を少しして、お米の話を切り出す。いつも優しかった店主が、[こっちだって付き合いがあるんだよ] と突き放されてしまった。私はすごく悔しかった。このお店のために2時まで頑張ったけど、そんなこと言われるなら、お客さんの為にやる意味なかったな、とまで思った。(後になって、お客さんの立場から冷静に考えると、それが当たり前の反応だと思う。)

このような言い方をされたこと、努力が無駄になったような感覚、いろいろな感情が混ざって、涙が出てきた。お店から会社に帰る途中で、泣いた。本当に悔しかった。

その数日後、お寿司屋さんの店主から電話が来た。第一声が [あのお米ありませんか?] まさかとは思ったが、そこで2kgバッグ5袋の注文が入った。約$150!嬉しかった!上司にもすぐ報告した!上司も同じように喜んでくれ、何故注文が来たのか教えてくれた。理由は多分、他のサプライヤーの入荷が安定しなかったから。でもそこで何故私に連絡が来たのかというと、私がどうしても買ってください!という誠意を一度見せていたからだと上司は言う。


tos koh pineapple

カンボジア生活

一年カンボジアで過ごして、カンボジアのことがいろいろ分かった!気候は年中夏だけど、雨季と乾季があるし、長袖長ズボンじゃないと耐えられないくらい寒い日もある。あと、カンボジア人の面白い考え方として、暑い日は長袖を着る、という習性がある。紫外線や日焼けを老若男女問わず気にしているから、日焼け止め、長袖長ズボンは定番。しかもけっこう厚手のを着る。それでいて暑い暑いと言っているから、半そでの私は、パーカーを着たカンボジア人に対して、それを着ているから暑いんだよというと、いやいや暑いのはこれが理由ではない。この太陽の厚さと紫外線が理由なんだから、長袖は暑い理由ではない。直射日光を浴びる方が暑いし体に悪いんだから、しっかり自分の実を守りな。とまで言われる。文化の違いとは、本当に面白い。

カンボジア愛

行く前は、どこの国ともさほど変わらない、世界の中の国、という認識だったが、やはり1年も住んでいると、故郷のように大好きになる。ちなみに私の故郷は3つ、日本、フィジー、そしてカンボジア。どの国も優れず劣らず、全て平等に愛を持っている!

まずはどこに足を運んだか?プノンペン、カンポット、ケップ、キリロム、シェムリアップ、コンポンサム(SHV)、コッロン、コッコン、ポーサ、そんな具合。他の地域も行ったけど、この地域に行くぞ!と考えて行ったりはしていないからノーカウント。

カンボジア人と一緒に行って、テントに泊まったり、ハンモックで寝たりして、本当に楽しい旅だった!カンボジア人の友達は、海、山、滝、島、遺跡、本当にいろんなところを案内してくれて、これ以上にない幸せなカンボジア生活を彼らのおかげで送ることができたと心から感謝している!

To Vatana san, Chanty san, Mab san, Noch san, Ven san, Phanath, Nich, Tola san, all of Daishin member and people who get a long with me! I can't say thank you enough to all of you! You guys make my Cambodia life special! I can't imagine my Cambodia life without you all!! Orkun Jern!!

クメール語

カンボジアには独自の言語、クメール語、というものがある。文字は [អរគុណ] 私たちからすると小さい子のいたずら書きを見ているような感じと一緒。ちなみにこれは、オークン、と呼んで、日本語でありがとう、という意味。間違いなく一番たくさん使ったクメール語!

仕事とか生活は基本的に英語だけど、やはり現地で暮らしていると、クメール語を覚えてくる。おはよう、こんにちは、ありがとう、と言った挨拶はもちろん、これ1つちょうだい(ソムアニモイ)、これいくら?(アニタライポンマーン?)、高いよー(タライ)、とかの買い物の時の言葉。

さらに、好きな言葉として、ご飯食べた?がある。クメール語では書けないが、読み方は、ニャンバイハーイ?、ローマ字で表すと、nham buy heay? といった具合。何故この言葉が好きかというと、カンボジア人はみんなで一緒にご飯を食べたがるから!

初対面の人にも、仕事場でも、良くすれ違うコーヒーショップの人にも、みんなみんな!聞きあう!例えば、私が友達4人でオフィスでご飯食べてて、仕事仲間が横を通る。そういう時に、ニャンバイハーイ?って声をかける。ハーイハーイ!がもう食べたよ、ナウテー!がまだ食べてない、って意味。まだの人がいたら、一緒に食べようよ!と誘う。一緒に食べ始める人も言えれば、いやいや大丈夫ーといって一緒に食べない人もいる。現地の友達によると、別に断ったからといって特に何もないが、一緒に食べよ!と声をかけることが大事なんだそうな。

この思い出を書き残しながら、今この瞬間思ったことが、日本の大学って絶対そんなことないよな、?と。私結構一人でご飯食べることが多かったなぁって、また一人で食べることになるのかなぁって、ちょっと寂しくなった、。カンボジアのみんなー!恋しいよーーー!(笑)

帰国して思ったこと

なんだか笑う事がない。まだ空港からバス停といった移動しかしていないというのもあるかもしれないが、なんだか笑顔あふれる出来事がない。カンボジアだったら、隣のカンボジア人と話して、笑って、バスのおじちゃんと笑って、。言葉が通じないからこそ、生まれる笑顔だったと思う。hahaha, 分からん(笑)でも楽しい、という感覚。ちなみに、カンボジア人同士でも知らない人同士、結構楽しそうに話している。初対面なのにめちゃくちゃ笑顔で話している。内容は分からないけど(笑) 前は、私が運転していたバイクについて、ここ治した方がいいよ、みたいな感じで、通りすがりのおっちゃんが教えてくれたな。隣にいたカンボジア人が、今度お店に行って直したいから、連絡先教えてくれ!って言ってたけど、いやいいよいいよ、みたいな感じで結局教えてくれなかった。こういう、縁を大事にするところも好き。通りすがっただけのおじちゃんが親切にしてくれたから、その縁を大切に、そのおっちゃんがやっている修理場を利用させてくれ、みたいなかんじ。だって、カンボジアってバイクの修理場所が10歩歩けばあるような国だよ!その国で、あなたのお店に直して欲しいから!!って懇願するのって、すごく温かい事だと思う。

何が言いたいかというと、日本はcoincidentallyな出会いを求めないから、仕事中のあの人と、お客さんの自分は、あくまでビジネス上の関係で、それ以上はない、みたいな心がある気がする。サービスとかは親切なんだけど、それ以上はない、みたいな気持ちがする。まぁ、私も日本人だから、日本人って初対面の人に対してShyというか、あまり踏み込もうとしないというか、そういう習性、文化、っていうこと、知っているんだけどね。帰国すると、それが冷たい部分だなって感じてしまうってわけ。


My 2nd moto

ちょっとした後悔

1年もカンボジアに居ればやはり後悔もあり。2つ紹介する。
そして読んでいる方には教訓にして欲しい(笑)

カンボジアは移動手段としてバイクが有名だが、なんと125㏄までは無免許で乗れる。それを知ったのは渡航初期だったが、バイク一台買うなんて、なんだか大きい買い物過ぎて、なかなか手が出なかった。だが帰国2か月前、ついにバイクを買った(笑)。仲のいいカンボジア人が後押ししてくれたのと、買うときに、その人が買い取ってくれると約束してくれたから。その面の安全が保障されていないと怖かったから購入には踏み切れなかったのだ。だが買った後、あらまぁ移動がどんなにスムーズだことか。絶対にもっと早く買うべきだった。

もう一つは、このNoteのこと。1か月に1回の更新を目標にしていたが、それも3か月で終わってしまい、他の物は下書きに眠ったまま、。ことがあるたびNoteを開き書き始めるが、ことごとく下書きのまま(泣)。5つ以上は記事が残っている。書き残しておけば、その時の感情が読んだ時にその思い出を記憶としてよみがえらせることが出来る。忘れてしまいそうな小さな気づき思い出も書き残しておけば読み返せる。未来への手紙のようなもの、だとこのNoteをとらえている私は、やはり今の私しかかけないものがある、と考えている。箇条書きでも良いから、投稿しておくべきだった。


こちらが私が書き溜めたNote達。

最後に

カンボジア滞在を通して、日本とか、世界というものに対する考え方が変わった。日本の外に出ることって、すごくハードルの高い事だと思っていた。けど、フィジーもカンボジアも、行こう!と思えば明日行ける。自分が選択すれば、カンボジアで一生を過ごすことも出来る。カンボジアで出会った日本人の中には、10年とかそれ以上その地に住んでいる日本人もたくさんいて、日本以外で働くというハードルを下げてくれた。そしてなによりカンボジア人!みんな本当に優しくて、家族と会わせてくれたり、旅行に一緒に行ったり、長期滞在、ってより本当に住んでいる、という感覚を味わわせてくれたのは紛れもなく彼ら。帰るのが本当に名残惜しかった。けど、なんかまた会える気がした!というか私が会いに行くからね!(笑)

こう思えたのも、コンフォートゾーン(ストレスのない居心地の良い環境や精神状態の範囲)が広がったからだと思う。自分が思う、少しハードルが高いな、ということを毎日していると、それが当たり前になる。そうしたら、その当たり前より少しハードルの高いことを毎日する。日本に帰った今、それが広がっているかと言われると危うい。保つことで精いっぱいかもしれない。

日本での私

今、私は地元から少し離れ、カンボジアで私たちが買う立場だった会社さんにインターンで入れてもらい、今度はカンボジアに売る立場、になっている。双方から物事を見るというのはやっぱり面白くて、自分の常識が壊れる感じがする。私の仕事の基盤がカンボジアで作れたことは、良くもあり悪くもある、と思っている。柔軟で機敏ではあるけど、浅い感じ。当たり前だけど、多角的に見ることになるから、一辺からしか見えていないなぁと、つくづく反省もする。でもこうやって物理的に立場を変えて物事を見ることで、新しい事に直面した時、昔は一辺でしか見れていなかったものを二辺から見れたり、そういう学びを社会人になってしていくんだろうと思う。だから私は転職とか結構賛成だし、むしろ生涯同じ会社で働くって難しいと思う。

なんだか話が就活みたいになってしまったけど、今の私は人脈で生きている。だから私は自分で新しい人脈を紡ぐことを決めた!自分から興味のある人に話を聞きに行って、自分がやりたいと思ったところに飛び込んで、自分が会いたい人に会いに行く。そう決めた!!

以上が私のカンボジア生活と、それを得て学んだ思考。またすぐに海外に行く日が来ると思うけど、一旦は大学卒業に向けて日本で暮らします。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
皆様の幸せを心より願っております!


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