
創作未来神話「ガーディアン・フィーリング」2話 200年後は孤独じゃなかった
1話のあらすじ
23世紀。火星自然創生コロニーを作った人類は、そこで生活を始めていた。ガーディアン・フィーリングという技術が発達し、さまざまな「意識」とコミュニケーションが取れる「コミュニ・クリスタル」という通信アイテムを使って、火星に滞在するひとびとはコミュニケーションを保つ。2話は、前回の記録者、16才の少女絵美に続き、そのボーイフレンドであるジョニーの記録。
2話
日時: 2222年2月2日 ネコの日(火星自然創生コロニーにて)
記録者: ジョニー マイジェンダー: やや男性 15才
出身地: ブリテン 趣味: ネコとたわむれること
絵美との「コミュニ・クリスタル」で行うコミュニケーションは、とても楽しい。僕のそばに、ネコのキャシーはいてくれるけど、それ以外はあまり面白くないドームホーム、火星の個人用コロニーでの不自由な暮らし。そのなかで、ときどき行ける共用コロニーで会った時に、絵美と親しい友だちとして手や腕に触れたり肩をたたき合ったりハグしたり、そういうリアルな感覚を「コミュニ・クリスタル」を通したやりとりで思いだすことができるから。でも、絵美とのコミュニケーション、それ以外の理由で、僕は積極的に「コミュニ・クリスタル」を使おうとは思わない。まあ、そうは言ってもこのアイテムは現実世界での通信手段も兼用しているので、共用コロニーにいる上司との連絡とか、ドームを管理するAIの意識と会話、そして資料をホログラフで出してもらったりするためには、使わないと仕事が出来ないから嫌々使うんだけど。
今日も、絵美との会話を終えて、日々の仕事である庭の手入れや、ドームホームの環境維持に問題が無いかのAIチェックの結果を「コミュニ・クリスタル」でAIに画像と音声を出してもらって点検したり、その結果を持ってドームを保持している機械を実際に点検したり、そうした面倒なことをやっつけたら、僕は寝室のドリームゲームに没頭する。
今、一番ハマっているのは「1917 命を賭けた伝令」という、200年くらい前に作られた映画をもとにしたVR(バーチャルリアリティ、仮想現実)ゲームだ。第一次世界大戦という、映画が作られた21世紀からさらに100年ほどさかのぼった戦争中の一兵士の視点で、銃器などを持って周りの敵に気を付けながら、与えられたミッションをこなしていくサバイバルゲームだ。360度の周りから、いつ敵が出てくるか分からない緊張感は、一日をただドームホームのなかで暮らすという、昔のひとびとから見れば怠惰の極みと言われそうな、退屈でストレスのたまる実生活を、ほんのすこし、忘れさせてくれる。
2222年2月2日。ほとんど戦争や紛争が無くなった地球と火星。それがどれほど、それこそ第一次世界大戦や第二次世界大戦が行われていた悲惨な時代、多くのひとびとに希求され、大戦は無くなったけれど、くすぶる火種が地球のあちこちに残る20世紀と21世紀を超えて、ようやく叶った奇跡の未来が到来したかという公の教育は、確かに間違ってはいない。
だけど、僕の心が叫ぶんだ。……それは、圧倒的な多数の幸せを確かに叶えはしたけれど、戦い、そして狩りという行為を忘れることは、ひとの本質的に大切な何かのひとつを、失うことではないのかって。
もうひとつ僕がハマっているのは「リネージュ・フォーエバーエディション」だ。自然豊かなファンタジー世界で、プレイヤーである僕は、ただひたすらに狩りをする。他者とコミュニケーションをとって、仲良くなったり、その延長線上でゲーム内で結婚式をあげることもできたりするんだけど、そういうのは、現実世界で絵美がいてくれれば十分だから、ゲームの中では僕は求めない。
戦い、狩り。愛する大きな地球の自然に満ちた大地の上で、存分に体を動かし、敵やターゲットを倒し、勝利を求める。
窒息しそうに小さなドームに押し込められた人生を送る僕らにとって、その古代から続いてきた身体的な経験を、仮想現実とはいえ実際に似た感覚で受け取ることができるドリームゲームは最後の理想郷(アルカディア)なのかもしれない。
だけど……ふたつのドリームゲームをしても、今日はいつものようにスカッとしない。
理由は分かっていた。地球にいる両親から、気鬱になるある情報がもたらされたのだ。それは、僕の心をとても重たくした。だけど、僕は、絵美のように「コミュニ・クリスタル」によって現れるメンター、アドバイスしてくれる神々や死んだ家族や友人といった存在たちを、すんなりと信じられる境地にはない。絵美や仕事の上司は生きていて、現実世界でも会う間柄だから「コミュニ・クリスタル」で会話や仕事の資料のやりとりをしてもまったく平気なんだけど。アイテムで見えるようになる、いわゆる死者や神々というのは、陽炎(かげろう)のような、それこそドリームゲームの延長線上で、本当は何も無い虚無の上に、ひとが勝手に作ったものなんじゃないかっていう疑念が晴れないんだ。この火星で、悩み事を打ち明けられるのは絵美だけだ。飼いネコのキャシーと「コミュニ・クリスタル」で話すという手もあるけど、それだって、人間が勝手に解釈した作り事なのかもしれないという疑いが出てくるから、やらない。
来週、共用コロニーで会う日が遠く思える。それまでは、このもやもやした重たい気持ちを、ずっと引きずるのだろう。キャシーは僕のそうした気持ちを察する賢いネコだから、膝に乗って来てくれたり、すりすりと体をこすりつけてくれる時は気がすこし紛れるけれど。早くこの憂鬱な時間が過ぎてほしい。
ドリームゲームをしていないと、嫌でも両親からもたらされた気鬱な情報を考えずにはいられない。
……姉のローズが、突然死んだのだ。地球でときどき発生している、新たに認識されてから何度目かの爆発的な広がりを見せる感染症で。両親は、半狂乱で「コミュニ・クリスタル」に連絡してきた。僕は両親が嫌いだ。だからテーブルの上に放っておいたこの通信アイテムの、水晶のように透き通った硬質な輝きをはなつ表面に、向こうからのアクセスがあり、何度も何度も親の名前が光る文字で表示されるから、仕方なく身に着けてみたら姉の訃報がもたらされた。
僕には兄と姉がいた。だけど、僕が子どものころ、兄がガンで死に、二番目に生まれた姉が、今日、地球の故郷で感染症によって死んだ。両親にとって残されたのは、僕ひとりになった。
両親は、僕が言うのもはばかられるが、救いようのない嫌なひとたちだった。自分たちは、まだ体力も気力もある年齢で、いたって肉体的には健康だったけど、ライフキープマネーという、この時代には誰もが政府から支給される衣食住のためのお金をもらって暮らしていて、まあそれは23世紀の常識だからいいのだけれど、問題はその生活のためのお金を、本当に生活することに回さず、ギャンブルだとか、高価な嗜好品だとかに回すくせがあったことだ。自分たちはそうして毎日、賭け事をしたり、効き目があるのかどうかも分からない高価な健康維持サプリだとかに政府から支給されたお金を使って好き勝手に暮らしながら、子どもたちには厳しく仕事をするようにしつけた。兄も姉も優しいひとたちだったから、それぞれに、政府から支給されるそれぞれのライフキープマネーから削ったり、仕事を持ったりして両親にすこしお金を渡していたけど……。そのお金だって、両親が買う贅沢なブランドものの健康維持サプリや、服や雑貨や酒や食料品、そしてギャンブルにほとんどが消えた。そんな狂った家庭で僕が育ってこられたのは、そうした困った親のもとで育つ子どもを支援する団体が僕の世話をしてくれたのと、優しい兄と姉のおかげだった。
両親は言った。貯金してお金がまったく動かないよりも、ギャンブルで「今」を楽しんだり、自分たちが応援したいひとたち=ブランドのために使うことは素晴らしいのだと。……確かに、その理想は素晴らしいに違いない。それが、兄や姉が仕事で得たお金や、兄と姉の本当に削りに削ったライフキープマネーじゃなくて、両親が日々を暮らすぶんのライフキープマネーだけを使うか、ちゃんと働いて自分たちで得たお金だけを使っていたなら。
23世紀のこの時代、平均的な価格の衣食住を満たすためには、ライフキープマネーの支給があるから、働くという行為は、誰かのために頭を使ったり、実際に行動したりして相手を幸せにしようと動くことだ。21世紀のころのように、馬車馬のように働き、時間を会社に明け渡して生活と将来の貯蓄のためのお金を得たり、誰かをだますようなことをして大きな収入を得たり、お金をさらに増やすためだけのお金として、株を買ったり売ったりしていたころとは違う。
2222年の今は、AIには向かず、人間が世をそっと支え続けるさまざまな仕事のほかに、スポーツ関係で、選手になったり、彼らの何らかのアシストをする役目を負ったり、アマチュアでもスポーツをやったり教えたりすれば適度な収入があるし、アート方面……絵や音楽や演劇やアニメや漫画、映画にダンス、文芸、伝統芸能、ドリームゲームで遊ぶためのゲームなど、何らかの作品を出せば、それを国や企業や個人が制作した時間と労力に見合った金額で買い取ってくれる現金化もある。それは立派な働くという行為として認められている。
そのスポーツやアートで収入が得られる仕組みは、感染症の、地球規模のパンデミックが起きた2020年、国が求めた外出禁止令や外出自粛の要請によって、そうしたスポーツ関係、アート、文化関係の人々が無収入となり、彼らを育てていた施設やシアターなども窮地に陥ったことが発端だ。その直後、総称して「未来応援チケット」とでも言うべき、決められた開催日のチケットを買うのではなく、いつか行われるスポーツの試合や、その日を予定して作られていたアート方面の事業に、市井(しせい)のひとびとがお金を出したことが元になったと言われている。
23世紀の今、生活に必要な最低限のお金は地球にいるどこの国の誰でも個々の国々の必要な費用に見合ったライフキープマネーで支給されるのだから、それ以上のお金が必要なら、世を支えるさまざまな仕事や、スポーツでもアートでも、やりたいことを見つけて働けばいいのに。せめて、そう口で応援するというなら、ふつうの仕事に比べてちょっと金銭的にも割のいい、物流関係や医療・介護関係などの仕事をして、自分たちで得たそのお金で好きなブランドの会社の株を買って、ほんとに「応援する」ことで、その会社が成長したぶんの配当で商品を手に入れればいいのに。親たちは、本当は空っぽな自分と言う中身をデコレーションしたいだけなんだ。
お金を得るなら仕事だけれど、誰かの役に立つために、ライフキープマネーで平均的な生活をしながら、ボランティアをやったっていいんだ。21世紀前半から崩れ出した気候変動は、いつもどこかで豪雨や洪水やタイフーンを呼び、そうでなくても地球全土で見てみれば、山火事や地震や火山活動が起きていて、救いを求めるひとたちや、生き物たちは、必ずどこかに存在する。
ライフキープマネーが全世界で採用されたのは、そうした被災地域が人的にも経済的にも困窮する事態が起きて、疲弊してもひとまずの生活費で食いつなぎながら、新天地で人生を再スタートさせるか、故郷の復興のために尽力するかを、生活費という負担なく考えられるようにするためだったんだって。そして、そうした被災地域に迅速にひとびとがボランティアとして赴くこともできるように、ボランティアのひとびとの赴任期間中に必要となる生活費を負担してくれる個人がいたのも発祥のひとつだったと聞く。
働くということ、そしてボランティア。両親はそれらをまったくせず、惰性のギャンブルで時間をつぶしながら、ブランドもので着飾って高価な酒を昼間から飲み、自分たちのお金が無くなったら、平気で人にお金を出させようとするどうしようもなく最低なひとたちだった。
両親の彼らを最低、と思ってしまう僕には、そう言っていいと思えるもうひとつの秘密がある。
僕は、兄と姉とは違う。出生の秘密があるのだ。……そのことも、来週絵美に聞いてもらおう。姉の死と、僕の秘密。重たい話題ばかりで絵美には申し訳ないけれど、頭の中に重たいことを自分だけで押し込めていると、どうにかなってしまいそうだから。絵美のように、古代の神々や守護的な存在、そして死んだ家族とも「コミュニ・クリスタル」でコミュニケーションをとってしまえば、少しは気が楽になるのだろうか。
(続く)
※ 「1917 命を賭けた伝令」は、2019年にアカデミー賞の撮影賞、視覚効果賞、録音賞という三冠を達成したサム・メンデス監督の映画です。23世紀に、そのVRゲームが登場している、というところはフィクションです。
※ 「リネージュ・フォーエバーエディション」は、韓国発のMMORPG(インターネットを利用した多人数が同時に遊べるロールプレイングゲーム)の金字塔「リネージュ」シリーズが、23世紀にはVRゲームとして登場している、というフィクションです。
「1917 命を賭けた伝令」「リネージュ」ふたつの作品は大好きで、ジョークを込めたオマージュとして勝手ながら未来に後継作品のご登場を頂きました。良作を世に出してくれたクリエイターの方々、ありがとうございます。
次回予告
3話は、ふたたび、少女絵美の記録。共用コロニーで、ジョニーの深刻な悩み事を聞くことに。どうぞ、お楽しみに~。
※ 見出しの画像は、みんなのフォトギャラリーからダラズさんの作品をお借りしました。ありがとうございます。