見出し画像

英語ネイティブの感覚を理解するには、日本語を教えることが役に立つかもしれない

英語学習の中で、日本語を学んでいる英語ネイティブの友達と話すことがたまにあります。その際に日本語の文法や単語について質問されることがよくあります。その時私が感じたのが、日本語の文法や意味を説明することによって、私自身も英語ネイティブが英語についてどういう感覚を持っているのか理解することができ、結果として自身の英語の能力も高まるという相乗効果です。このnoteではその感覚はどうやって理解するのか、なぜ日本語を教えると英語の感覚も理解できるのかについて私の考えを書いてみようと思います。


日本語におけるネイティブ感覚の理解

最近英語ネイティブの友達から「〜ように」の意味についてこんな感じの3つの例文を元に質問を受けました。参考書では「〜ように」は 「similar to~(~に似ている)」という意味だと学んだけど、それぞれの文ではどういう意味で使われているの?と質問されました。

1. そしてなぜ洋子さんは和也くんを憎むようになったのか。

2. みんなには会議の準備をするように伝えておいてくれ。

3. 雄二くんはまるでお笑い芸人のように話す。 

そこで私はそれぞれ違う意味で、以下のような意味だと説明しました。(詳しい日本語文法は知らないので間違っていたらすみません)

1. 憎むようになった → turn into ~, become ~ (昔は違ったけど、今は~している) *「ように + なる」でセット

2. 準備をするように → in order to ~, so that ~ (~するために)

3. お笑い芸人のように→ similar to ~, like ~ (~に似ている)

そしてその質問をしてきた友達はこんな感想を言っていました。

「~ように」は「similar to(~似ている)」という意味で覚えてきたけど、そんなに違う意味があって覚えにくくて混乱する。

でも、その時私が気づいたのは、日本語ネイティブである私は「〜ように」という言葉に3つの意味があるなんて考えたこともなかった、むしろ質問されるまで気づきもしなかったということですその3つの例文を与えられて初めて、「〜ように」に複数の意味があるときに気付き、それまではなんとなく1つの意味しかないものだと思っていました。

これまで「〜ように」という言葉に対して私が抱いてきた1つの意味/イメージとは「何かぼんやりとしていて曖昧なもの、何か完全じゃないけどそれっぽいもの」という感覚です。決して頭の中にパッと「〜似ている」という意味だとか、「〜するために」という意味だというような考えは浮かんできませんでした。

画像1

なので「〜ように」の複数の意味を聞かれた時、「その言葉には3つの意味があってそれぞれの文の意味はこうだよ!」とはすぐに答えられませんでした。むしろ文を見て意味をよく考えて、「そう言えばそれぞれの文の「〜ように」を言い換えるとこんな意味になるなあ」と思って答えを導き出しました。

この「なんとなく1つのイメージを持っていること」、これこそがネイティブが持つ言語への感覚なんだと思います。頭の中で何か感情や感覚が浮かび、それが言葉と直接結びつく感覚です。(外国語学習者なら知っている方が多いと思いますが「コアイメージ、単語の核となる概念」と言われるものです。)

でもその単語を初めて学んだ非ネイティブの感覚(コアイメージができていない時期)はそうではなく、きっと最初は以下のような極めて論理的なステップを辿るはずです。

<非日本語ネイティブの場合(コアイメージができていない時期)>
1. 「雄二くんはお笑い芸人のように話す」という言葉を聞く
2. 「雄二くん、は、お笑い芸人、の、ように、話す」に分解
3.  「ように」の手前に「の」があり「お笑い芸人」は名詞だ
4.  「〜ように」の複数の意味の中で、手前に「名詞 + の」があるときに「〜に似ている」という意味が使える
5. 意味を理解

でも日本人の私はそのようなステップは辿らず、ステップを言語化してみると以下のように感覚的に理解していると思います。

<日本語ネイティブの場合>
1.「雄二くんはお笑い芸人のように話す」という言葉を聞く
2. 「ように」という言葉に対して「なにか完全じゃないけどそれっぽいもの」というイメージが浮かぶ
3. 「雄二くんは完全なお笑い芸人ではないけど、お笑い芸人っぽい人なのだろう」と思う
4.   「似ている」というイメージを理解 (頭の中に「似ている」という言葉は出てこず、ぼんやりとした感情のみ)

*実際はほぼ無意識なので、意図的にステップとして言語化しています。

つまり複数の意味がある言葉に出会ったときに、非ネイティブの場合(コアイメージができていない時期)は複数の意味からどれが適切か文法や前後の言葉をもとに推測し、適切な意味のものを選択して理解します。

対してネイティブはその言葉に対する1つの抽象的なイメージまたは感情を抱き、それをざっくりと当てはめることで理解しています。何か複数の意味や言葉を頭の中に浮かべてそこから選択するのではなく、1つのイメージが直接その言葉と結びつきます。

また、そのぼんやりとした1つのイメージの方が抽象的であるために、いろんな文章に当てはめることができるので応用が効きます。先ほどの3つの例文では、非日本語ネイティブは以下のように別々の3つの意味として捉えて理解していました。

<非日本語ネイティブの理解(コアイメージができていない時期)>
1. 憎むようになった → 昔は違ったけど、今は~している
2. 準備をするように → ~するために
3. お笑い芸人のように→ ~に似ている

→3つは別々の意味と捉えている

でも私は「ように」を「何かぼんやりとしていて曖昧なもの、何か完全じゃないけどそれっぽいもの」という1つの大きなイメージでしか捉えていないと思います。

<私の理解>
1. 憎むようになった 
→ "曖昧で完全ではない状態で"、憎んでいる
(昔から100%継続して憎んでいるのではなく曖昧さ、不完全さがあるので昔は違って今は憎んでいると捉えられる)

2. 準備をするように
→ 準備が"曖昧で完全ではない状態"
(準備が100%ではなく曖昧なので、準備をする必要性がある = 準備をするためにと捉えられる)

3. お笑い芸人のように
→ お笑い芸人が"曖昧で完全ではない状態"
(100%のお笑い芸人ではないので、曖昧さがあり「似ている」という意味で捉えられる)

→すべて「曖昧で完全ではない状態」という1つイメージでしか捉えていない

このような抽象的なイメージでとらえることで、新しい文に出会っても意味をより大きな括りで感覚的に捉えることができるので、辞書を引かずとも済むのではないでしょうか。また頭の中で複数の意味からの選択や変換作業がいらないので、考える時間が減って理解が早くなり、会話の際も瞬発的に話すことができます。


英語ネイティブの感覚の理解

では私にとって外国語である英語だとどうでしょうか。コアイメージという概念は日本語を見たときは容易に浮かんできますが、英語を読んでいるときは簡単には浮かんできません。

例えば英語にも同じように様々な意味があって混乱する言葉があります。簡単なものだと「make」という単語です。

1. make a living (生計を立てる)
2. make sense (理解する、なるほど)
3. make it (スケジュールの都合がつく) 

上記ではmakeはそれぞれ違う意味があります。でも3つの違う意味があると思っていながら次のような文がきたら少し勘違いしそうです。

You don't have to worry about the presentation tomorrow. I'm going to make it.  (明日のプレゼンは心配しないで。私がなんとかするから。)

私が意味を知らなかったら「make it はスケジュールの都合がつくって意味だからプレゼンのスケジュールの都合をつけるってことかな?」と考えると思います。(この短文だとその可能性もあります。) 

しかし実際は「スケジュールの都合をなんとかするという意味でもあり得るけど、そのプレゼンの発表の内容をなんとかする」という意味合いでも使えます。このとき「make it=スケジュールをなんとかする」という変換を頭の中でしていると「プレゼンの内容をなんとかするのかな?」とは思いつかない可能性が高いです。

その一方で、makeに対して「ぼんやりとした何かを作っているイメージ」を持っておけば、make itが来たときに「プレゼンを作る→プレゼンの内容をなんとかするってことかな?」と推測できる可能性が高まります。それに「ぼんやりとした何かを作っているイメージ」があれば自分の感情と結びつきやすいです。何かmakeを使う感情が浮かんだ際にも、複数の意味を思い浮かべたりしなくていいので、瞬発的にmake itと言えるシチュエーションも増えるはずです。

ですが英語学習において、私はコアイメージを掴むにが重要なのは分かっていても、どうも感覚として落とし込むのが難しいと思っていました。でもある日、日本語を教えたときには、日本語におけるコアイメージを簡単に想像することができ、「ああこれがネイティブが持っている感覚か!意味を複数思い浮かべて適切なもの選択するわけではないんだ!」と実感しやすかったです。

画像2

*このようなイラストで覚えるのも手です

結論:自身の日本語感覚の理解が英語感覚の理解に役立つ

コアイメージのようなものを一例として、英語学習において私は文法を使って論理立てて紐解いていかないと納得できない、「ネイティブが持つ感覚」にたくさん遭遇してきました。文法を論理立てて学んでいくことは英語学習においてとても効果的なことなのですが、ただネイティブの感覚を得ている感じがなかなか得られず、またその学んだ表現をネイティブのように応用して使うことができませんでした。(今も苦戦しています。)

ですが日本語なら私は日本語話者なのでネイティブの感覚を理解することができます。また日本語を教えるというプロセスは、自分の日本語ネイティブの感覚を具体的に論理立てて言語化する(感覚→理論)というプロセスです。一方で他の言語を学ぶことは、逆のプロセス(理論→感覚)となります。その「理論」と「感覚」の行き来を一方向ではなく双方向で行うことが、ネイティブの感覚を理解することの役に立つのだと思います。

なので、例えば英語で「ここは過去形なの?現在完了形なの?文法は学んだけど、英語ネイティブはどういう感覚で使い分けているんだろう。」という疑問を持ったりしたら、日本語の過去形と現在完了形を学んで論理立てて説明してみると、ネイティブの感覚の理解に役立つかもしれません。もちろん言語によって文法は異なり相容れない部分も多々あります。(特に日本語と英語です)ただ、自分が外国語を学ぶ上で「文法や表現は学んだけどどうもネイティブの感覚が理解できず応用が効かない...。」と思ったときは日本語を教える・日本語の文法を論理立てて説明することが「いままで意識してこなかった自分自身のネイティブ感覚を言語化する」ことになるので、ネイティブ感覚の理解の一助になると思います。


記事内画像引用元:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?