20年間専業主婦からスタイリストになるまで〜my history①〜
服飾戦略スタイリスト 稲岡恵です。
my historyとして過去を振り返り、どうしてスタイリストになったのか?までを綴っていきたいと思います。しばらくお付き合いください。
リカちゃん人形で遊ぶのが好きだった幼稚園時代
一人っ子だから、いつも一人遊び。
従姉妹のお姉ちゃんからのお下がりのリカちゃん人形で
服を着せ替えて遊ぶのが大好きでした。
そんなにたくさん持っていなかった服をあれこれ着替えさせて、
髪を梳かしたり綺麗にするのが好きでした。
初めて本気で服をおねだりした小学校高学年
小学6年生の時、世間では大きな丸襟のブラウスが大流行していました。
ちょうど修学旅行を控えていたのでどうしてもほしくなりました。
「お願い!!」とおねだりしました。
思いの外高くて、12000円くらいしたんです。
当時の物価から考えても、小学生のブラウスにしてはなかなか高いですよね。
案の定、母に「ダメ」と却下されました。
それが悔しいやら悲しいやら。
どうしても諦めきれなくて、
デザインの似ている安いブラウスを必死に探しました。
6900円くらいだったでしょうか。
理想の襟より少し小さく、フリルの感じが少し物足りなさはあったけど、
なんとか買ってもらうことができました。
とってもとっても嬉しかった!!!
この頃から、服に対して興味が出てきました。
服を意識するようになったことで、
容姿にも目を向くようになっていったのはこの時期からでした。
鏡で見るようになって気がついた自分の容姿
クラスにアイドルのようなお嬢様の子がいたんです。
いつも明るくて可愛くて、クラスの人気者。
明るくて 可愛いだけじゃなくて、
勉強もできて、
女子からも人気でがあって、
素敵でキラキラ眩しい存在でした。
初めて「可愛い」を意識した瞬間でした。
それからマジマジ自分の顔を見たあの時のショックといったら!!
毎日見てたはずの自分の顔なんだけど、
「可愛い」にフォーカスして見たのはその時が初めて。
なんなん、このブサイクな顔!
お父さんの口元に似たらちょっとは可愛くなったのに、
お母さんのうけ口と出っ張った口元にソックリ。
お母さんの鼻筋に似たらもう少し端正な顔立ちだったのに、
お父さんのだんご鼻にソックリ。
なんてブサイクなん。
特に嫌いだったのは口元。
母が妊娠中毒症で、早産で1500グラムで生まれた私は薬の影響で歯の色が悪い。
矯正をしていたこともあって、
自分の口元が大嫌いでした。
だから小・中学生の写真の私は いつも真顔。
歯を出して笑う事はどうしても出来なかったのです。
〜my story②〜へ続く