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インタビュー調査の都市伝説・さらにあれこれ~「デプスインタビュー」伝説①~「デプスの方が深い」というウソ

一般的には「グルインよりもデプスの方がより『深い』情報が得られる」と信じられています。しかし、私の経験と考察から言うと真逆に「デプスよりもグルインの方がより『深い』情報が得られる」が結論です。即ち、「デプスの方が深い」というのも、これまたウソ・都市伝説のたぐいだと私は言って憚りません。経験的には間違いなくそう感じてきたのですが、今回はその根拠を論じることとします。

まず前提として私の言う「グルイン」とは定性調査としてのあるべき姿・王道としての「非構成のリスニング」であることと定義しておきます。

しかしまずは「アスキング 」での両者比較から考えてみます。

アスキングの場合には、例えば6人で120分の個別指名・一問一答式のグルインでは一人当たりの持ち時間は単純計算で20分ということになります。すると60分のデプスでは一人当たりその3倍の持ち時間があることになります。すると各人からそれぞれ得られる情報は当然後者の方が多くなります。情報が多いということは深まるということでもあるので、デプスの方が各対象者について深い情報が得られるというのは道理にかなっています。

しかし、それはデプスとグルインがあくまでも同じ「アスキング」の場合であり、一人当たりの持ち時間の違いがあることが前提です。

例えば、一人当たり持ち時間を同じに合わせ、60分ではなく20分のデプスインタビューをしたとすると、一人当たりの持ち時間が20分のグループインタビューと一人当たり同じ情報量しか取れないということになり、「深さ」という観点では手法そのものの優位性は無いということになります。つまり、「深さ」に関して一般に言われているグルインとデプスの差は一人当たり時間の長短の差でしかないということです。

一方、一人当たり1/3の情報しかとれなくても人数は6倍であるわけですから120分のグルインでは情報の種類は60分のデプスの2倍取れるという考え方も成立します。これは60分と120分の時間比という見方もできます。取れる情報の種類が多ければインサイト=分析により深めることは可能です。しかし実際にはアスキングの場合には指名・一問一答式で各人に同じ設問がされるわけですから情報の種類は時間比ほどにさほど増えるとは考えられません。また何よりも「質問に対しての各人の回答を求める」という態度が一般的であるアスキングにおいては「分析」が行われることもありません※。故にこの「デプスの方が深い情報がとれる」という見方は経験則、事実としてその通りなのだろうと考えられます。

※その証拠に大半のインタビュー調査の報告書は発言を「分類」し、まとめたものに過ぎません。それが現実です。故に「デプスの方が深い」というのはそれが実態なのだと結論付けるのが妥当でしょう。一方でアスキングにおいても得られた発言情報を「分析」すればそれを深めることは可能だということは示唆しておきたいと思います。つまり同じアスキング同士でも「分析なしのデプス」と「分析ありのグルイン」の比較の観点もあるということです。そうすれば多少なりとも「デプス優位」説は揺らぎます。しかしここでは一般に信じられている「デプス優位」を事実と考え、議論をシンプルにするためにその可能性については考慮しません。また以前にも触れたことがあったかと思いますが、手法の特徴や優劣を比較する議論にあたってはこのように細部に至るまでの現場の実態を検討対象にしておかなければ雑なものにしかならないということも指摘しておきたいと思います。

次にアスキングのデプスとリスニングのデプスを比較してみます。これはこの連載でさんざんに繰り返していることですが、アスキングの場合は論理的にC/C領域の情報しか得られません(S/C領域が設問され回答されたとしてもそれはタテマエですからノイズにしかなりません)。しかしリスニングの場合にはそれに加えてC/S領域の情報が得られます。即ち価値のある情報量が多くなり、インサイトによって情報がより深まります。つまりリスニングの方が優れているということになります。

では、リスニングのデプスとリスニングのグルインを比較してみます。

得られる情報の質に着眼すると、デプス、グルイン共に対象者「個別」の情報であるアスキングの場合に対して、リスニングの場合には「個別」と「集団」の違いになります。ここが重要なポイントです。つまり得られる情報が「個人」からのものか「集団」からのものなのかの質的な差が生まれるわけです。つまりは「グループダイナミクス」の有無の差です。

「時間」の問題を考えると、アスキングの場合にはデプス、グループそれぞれに「個人」の情報ですから個別の持ち時間の長短の比較が意味を持ちましたが、リスニングの場合には「個人の情報」と「集団の情報」という質的な違いがあるので単純な持ち時間の比較は意味を持ちません。そもそも「個別の持ち時間」という概念はリスニングのグルインの場合にはなじみません。すべてが「全員=集団の時間」だからです。従ってこの場合上述の全体での「時間比」の見方がより妥当だとも言えます。

では「グループダイナミクス」の有無により得られる情報の質がどのように違うのか?ということが問題となります。わかりやすくするために、対象者Aさん1人のデプスと同じAさんが含まれる6人のグルインを比較して考えてみます。

まず、6人の間の2人ということで、得られる情報の内容を同じグルインに出席している対象者Aさんと対象者Bさん間の意識マトリクスの観点で考えてみます。

出席者が相互に影響し合ってグループダイナミクスが発生するということはお互いがそれぞれに無意識であった領域へ意識が拡大するということです。つまり対象者Aさんも対象者Bさんも、自由な話し合いによってそれぞれに一人では意識されていなかった領域へ意識が広がっていくということです。その意識の拡大によって「創発」や「化学反応」と呼ばれるような現象が発生し、共に意識が及んでいなかった潜在領域であるS/S領域が顕在化してきます。

これは呼称とは裏腹に「デプス」インタビューでは得られない深層情報です。

そしてこのグループ6人全員においてはそれが時間と人数の組み合わせ分の倍率で聴取されうるポテンシャルがあるわけです(組み合わせの考え方で単純計算すると6C2=15倍)。つまりは情報の種類のポテンシャルにおいて、リスニングではデプスよりもグループの方が圧倒的に大きくなるわけです。そしてそのポテンシャルの差は分析による情報の深さを担保します。その根拠も意識マトリクス理論の応用である「逆デルタ理論」で説明することができます。

これがデプスよりもグルインの方が「深い」情報が得られるという理論的根拠です。

グルインの場合にはデプスにはない「集団心理」が作用した情報が得られます。市場というものは常に集団心理に支配されているものですから、それによってグルインではより深層かつリアルな情報が得られるのだと説明することもできます。例えば建前と本音の構造であったり、背景状況の違いによる表層の意識・行動の違い、そして相互の影響による態度変容などのメカニズムが調査現場の目の前で再現されるということです。しかし冒頭に定義した通り、これは「リスニング」であることが前提です。つまりグルインの持つ「グループダイナミクス」のメリットとはリスニングであるが故に言えることなのであって、アスキングではそのメリットを論理的、原理的に享受できないわけです。そしてそのメリットによってグルインではデプスよりも深い情報を得ることができるという結論になるわけです。

以上を整理すると下図のようになります。

ここまでくると「デプスインタビューの存在意義」が問題になってきます。それについては次回論じたいと思います。予告編ですが、デプスの存在意義は間違いなくあります。しかしその一方で「人前で話しにくいことにはデプス」などという捉え方がやはり都市伝説ではないのか?ということになっていきます。


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