犬

勝った犬にも目を向けてほしい

2018年は戊戌年で、私は1994年生まれの年女、犬派です。

「派」といいつつも、猫も好きだし、うさぎもハリネズミも大好きです。動物全般が好きですが、やっぱりすべての動物のなかで圧倒的に犬が好きなのです。どうしても譲れません。譲ってほしいという人もいないかもしれませんが、私も譲りたくありません。win-winな関係です。
あの愛くるしい目、素直な愛情表現、くるんとしったしっぽ。思い出すだけで、佐藤という1人の20代女性はあっという間にムツゴロウさんと化し、頭の中に存在する犬たちを「よーしゃしゃしゃしゃしゃしゃ」と愛で始めます。そんな私は秋田県出身です。忠犬ハチ公やザギトワ選手に贈られたマサルくんで知られる秋田犬が有名な県で、戊年に生まれ、近所に2匹の犬がいる幼少期を過ごした結果、なるほどとても自然な流れで犬好きが完成しました。

数年前に天国にいってしまいましたが、大好きな犬が家族になってくれたときの喜びは今でも忘れられません。きっと今頃天国でくしゃみをしているかもと思うと、今はなきコロンちゃんへの愛おしい気持ちが溢れ出します。コロンちゃん元気かな。私のブログ読んでるかな。スキ押してくれるかな。私も大好きだよ!!!!

それほどに大好きな動物なので、犬を悪く言う人がいたとき、私は「ギロッ」と睨んでしまっているかもしれません。私のなかにいるムツゴロウさんは他人にも犬を愛することを強要したりはしませんが、悪く言われたときは「あんた!何てこと言ってんだい!」と敵意を剥き出しにします。

しかし、私と違って犬はとっても謙虚です。不憫なほどに謙虚です。

犬にまつわる慣用句を見てみると、「負け犬」という言葉があります。ここで注目したいのは、なぜ負けた犬だけが慣用句としてピックアップされているのかという点です。負けた犬がいるなら、勝った犬もいるはずなのに。百歩譲って敗者への敬意を示した慣用句ならわかりますが、負けた犬のその勇敢な姿を称賛するでもなく、ただ負けという事実をニックネームのようにいつまでも引っ張ります。私で例えるならば「負け佐藤」と言われているようなものです。嫌です。絶対に嫌です。かわいそうに。勝った犬も心底迷惑していることでしょう。

「飼い犬に手を噛まれる」これはもう立派な詐欺レベルです。犬が加害者、飼い主が被害者のような言い方がされていますが、犬は本当に加害者なのでしょうか。事件があったその裏側を知ることができません。私の心の中のムツゴロウさんが犬にも言い訳の余地をもたせたいと熱弁し、誰か優秀な弁護士を紹介してあげたい気持ちに駆られてきます。

しかし犬はやっぱり謙虚です。「言われちゃったら仕方ないし、ぼくのことはいいよ」と、すべての悪いイメージを背負いながらも愛想よくにこにことしています。かわいい。もう何をしてもかわいい。犬がそう言うのなら、わたしも慣用句を睨みつけるのをやめ、冷静に大人の対応をしたいと思えます。犬はいつも私を優しい気持ちにさせてくれる。 Dogs always make me tender.

新しい慣用句をつくるなら、犬の名誉を回復させてあげたいなあ。どなたか偉い人、お願いします。

おわり

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