「寒ッッッ!」の「ッッッ!」には嬉しさが混じる
年末年始の帰省を終えて、先日、東京に戻ってきました。
年末に秋田に帰って、秋田新幹線こまちから降りた瞬間、お約束のように「寒ッッッ!!!」と思いました。東京でも毎日「寒〜〜っ…」と思っていましたが、やはり北国は格段に寒いです。
とはいえ、湿度をたっぷりと含んだその寒さがちょっと懐かしかったりして、「寒ッッッ!」はほとんど嬉しい悲鳴のようなものでした。「ッッッ!」には、少しの嬉しさが混じっているのです。
その「寒ッッッ!」な道を、秋田で過ごした小・中学生時代、私はお友達と歩いて通学していました。小学校と中学校の場所は違いますが、どちらもお家から徒歩30分くらいです。
冬は道が凍っていてツンツルテンなので、すべって転んでしまうこともあるのですが(受験生が読んでいないことを祈る)、それなりに楽しく歩いていました。
雪道に残る足跡がお花マークになる長靴を履いたり、下校途中に雪でリアルな顔を作って「雪雄」と名付けてみたり、雪かき中の地域のおじいちゃんおばあちゃんとお喋りしたりと、とっても充実していたと思います。
特に中学生のときは、クラスも部活も違うお友達との登下校が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。私たちは日常の何気ない1コマの数々を題材として、歩けなくなるくらいヒィヒィ笑っていました。
何があんなに面白かったのかわかりませんが、とにかくなんでも面白く、あの頃はきっと箸が転がっただけで笑ってしまっていたに違いありません。
題材のうちの1つに、「友達に『くさい』と言われるとき、どちらが傷つくか問題」がありました。
ここでいう「くさい」とは紛れもなく、今も世界のどこかで悩んでいるひとがいるであろうニオイのお話です。
私たちは、
「ふとしたときに突然『くさッッッ!』って言われるときと、しみじみと『くっさあ〜〜っ…』って言われるときだと、どちらがが傷つくか」
という問題について真剣に話し合いました。
そ、そうなのです。。。。
中学生とは思えない会話をしているのです。。。
なんという、中身のある、建設的な会話だったのでしょうか。
私たちは10代前半という若さにして、コミュニケーションの技法について話し合っていたのです。
どうすれば相手をなるべく傷つけずに、かつ相手に気づいてもらえるように伝えられるのか。明瞭かつ優しいコミュニケーションの真髄とも言えます。そろそろ道徳の教科書に載っていてもおかしくない題材だと思います。
話し合いの結果、しみじみと言う「くっさあ〜〜っ…」の方があんまり優しくないよね、という結論に陥りました。
たしかに「くさッッッ!」は勢いをつけて言われてしまうので、ついつい本音が漏れてしまったような感覚もあり、傷つくかもしれません。しかし、そのポップな口調は、いくらでも後からフォローができます。笑ってごまかすことも、冗談で言ってしまったことにするのも可能なのです。
そして、「でもあたしは嫌いじゃないよッ!その臭さッ!癖になるよねッ!」と、そのままポップに付け加えることもできるのです。
そうなのです。「ッッッ!」には、嬉しさを込めることもできるのです。
秋田の冬は、「寒ッッッ!」です。
大変なところもあるけれど、その分ちょっぴり嬉しくて、とっても楽しい季節です。
おわり
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