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中国に長年住んでも、よくわかっていない中国語のあいさつの話

松井博さんのVoicyで、僕のマガジンの記事を取り上げていただきました。

取り上げていただいたのはこちらの記事です。

この記事をもとに、言語にはその言語を使う文化の特徴が表れている、というお話でした。僕が普段感じていることとも重なる部分が多く、面白く拝聴しました。

その中で、英語におけるあいさつとしての「How are you?」と、日本語の「お疲れ様です」の違いを例に挙げて、これってお互いにその言語の文化圏に属していないものにとってはどうリアクションしていいかわからない言葉だよね、というお話が出てきました。

どちらもその文化圏の人にとっては意味を考えるまでもないものにまでなっているけど、たとえば外国人がそれを額面通りに受け取ろうとすると、なんだか意味がよくわからない。これこそが言葉に表れた文化の違いです。

で、この観点でいくと、中国語にもあいさつがわりになっているものの、外国人にとってはどうリアクションしていいのかわからないという、ピッタリ同じ立場の言葉というのがあります。

それは、吃饭了吗chī fàn le ma?」です。

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「吃饭了吗?」。中国語を知らない人でも、字面でなんとなく意味はわかるかもしれません。これは辞書的に訳すなら「ご飯はもう食べましたか?」という意味になります。

この「吃饭了吗?」ですが、たとえば市場で顔見知りのおばちゃんに会った時とか、会社で同僚とすれ違う時なんかにかなりの頻度で言われます。中国の人にとっては、これはあいさつがわりになっているフレーズなのです。

「吃饭了没有?」とか「吃不吃饭?」などと変形するときもありますが、いずれにしても意味としては「ご飯を食べたかどうか」ということを聞いていることには変わりがありません。

で、このあいさつ(?)に対していったいどう返すのが正解なのか、それなりに長く中国に暮らしているにもかかわらず、実はよくわかっていません。「吃了!」(食べた!)と元気よく返しても相手から何も返ってこなかったりするし、「还没有!」(まだだよ!)と言ってもなんか微妙な空気が流れたりします。

あまりにもわからないため、中国人どうしではどんな風に返しているのかと観察してみたりしたこともありますが、「食べた」「食べてない」以上のことは特に言っていません。それでも中国人どうしではなんとなく会話が成立しています。そのシステムがわからない。

あと、こっちが言う側に回ればいいのかな? と思ってこちらから「吃饭了吗chī fàn le ma?」と笑顔で聞いてみると、なんか困ったような顔をされたりします。なんでだ。タイミングが今じゃなかったのだろうか。それとも発音が変だったのだろうか。もうよくわかりません。

挙句、嫁をはじめとした中国人に「あれってどう返すのが正解なの?」と聞いてみたこともありますが、「いや、正解とかじゃなくない?」とか「適当でいい」などと言われます。いや、その「適当」がわからないんだよ。

これ、たぶんまるっきり日本語の「お疲れ様です」と同じということなんでしょうね。日本人が別に大して疲れてるわけでもないけどなんとなく「お疲れ様です」というのと同様に、別に相手が飯を食っているかどうかに興味はないけど、単にフレーズとしてそれを言っている、ということなのだと思います。

そんなわけで、これからも僕は「吃饭了吗?」に微妙なリアクションをしつづけるのだと思います。

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しかし、なぜ「吃饭了吗?」があいさつになっているのでしょうか。とりあえず嫁に聞いてみましたが、「わからない、考えたこともない」と言われます。まあ、僕だってなんで日本人は「お疲れ様です」って言うの、と聞かれたってうまく答えられないもんな。

ちょっと調べてみたところ、どうもその由来は「中国では貧しい期間が長く、ご飯を食べたかどうかが人々の大きな関心ごとだったから」というのがある種の定説になっているようでした。

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