「心ある人」の哀悼と、「無敵の人」の現実——「文明的」中国社会の冷酷な分断
まだ例の事件について冷静になれているかどうかは分からないのですが、いろいろな反応を見ているうちに考えたことを、忘れないうちに書いておきたいと思います。
「心ある人」の振る舞い
この事件については日本人はもちろん、多くの中国人も動揺と悲しみを示しています。「高度に発展した中国」の象徴のような場所である深圳市で事件が起きたことも、中国人にとっての衝撃を大きくしているようです。
現場には献花に訪れた人や、デリバリーで現地に花を届ける人(最近ではこのやり方が流行しているようです。前首相の李克強氏の追悼の時にも同じ動きがありました)が大勢いたといいます。
これらのエピソードは、日本語圏では「中国にも心ある人はいる」というような文脈で消費されているようです。
しかし中国暮らしが長く、かつひねくれた視点しか持てなくなっている自分としては、もちろんそうしたお話に多少の心の安らぎを得つつも、「そんなことは当たり前だろ」というような胸のむかつきを少し覚えたりもします。
中国人みんなが日本人を嫌っているわけじゃないとか、子どもが被害に遭って平気な顔をしていられるような人間でないというのは、僕にとってはとっくに知っていることですし、そうでなくとも多少の想像力があればわかることでしょう。
でも、いまはそんな「心ある人」が大勢いるはずの中国で、どうしてこんな痛ましいことが起きるのか、あるいは繰り返されるのか。それを考えないといけないのではないのか、という気持ちになってしまうのです。
「無敵の人」による犯行
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