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憧れの話とボイスチャットに救われた話

 前回はfpsというゲームの難しさから得られる自信について書いた。ゴールの見えない長い道のりを勝つことを目指して進み楽しむ、という内容だった。

 長い道のりをただただ勝利するまで練習するのは、勉強が苦手な子供が苦い顔をしながらひたすら机に向かって考えるようなものだった。だが自分にはゴールを求めたくなるもう一つの要素があった。

 それは憧れである。

 youtubeにはゲーム名を検索するとそのゲームの達人のスーパープレイがたくさん見つかる。3~4人もいる相手に一人で立ち向かいスルスルと撃破していく姿は勇者そのものである。同じゲームをしているか疑問に思うほどの景色を達人は見せてくれる。その姿に憧れる。こんなのまねできっこない。でも繰り返しスーパープレイを見ると技術や決断スピードはまねできないが、一つ一つの小さな決断は読み取れるようになる。そこから自分のプレーにつなげたり駆け引きに持って行けたりする。達人を観察すると自分の成長につながっていくのがわかる。そしてまた達人のプレーを観察する。繰り返していくうちに達人への憧れは蜂の巣のように気づけばとっても大きなものになっていく。

 僕はfpsを通じて憧れの人を追いかけることを覚えることができた。どんなことも成長することの基礎は見本の模倣である。と自分の胸の深いところに刻まれている。

 さて、今回のもう一つの話はボイスチャットである。

 僕は中学高校と運動部に所属していたが、陰キャで引っ込み思案であったので友達以外の人と話すことが苦手だった。特に異性。話すことが0であったわけではなかったが長く話すことはなく、会拶を交わすことと業務連絡でしか話せなかった。

 高校卒業するかしなかったくらいの時、仲の良い二人が僕をよくゲームに誘ってくれた。そのゲームはゲーム内にボイスチャットが備わっていた。そのようなゲームは初めてだった。一緒にプレイした時はボイスチャットをつないでいたが、異性とうまく話せない自分はトークに消極的だった。しかし一緒にプレイしている間に段々と自分のペースで話始めることができるようになった。それを機に他人との壁が薄くなった。それまで友達以外と話すことは走り幅跳びのよう助走をつけないとできないことであったが、垂直飛びのように腕を振りかぶるが助走なしに話すことができるようになった。

 それからは一緒にゲームをしていた方々にいろいろな人を紹介してもらえた。同じ高校に通っていたのに卒業してから知り合った人、そもそも高校も大学も違っている人、大学で出会った方々…その一期間だけで知り合いの輪が蜘蛛の巣のように広がった。

 最初にゲームに誘ってくれた二人にはとっても感謝している。今連絡を取り合っている人の中にボイスチャットを通じて知り合った人はたくさんいる。ほんとに感謝しかない。二人のことを心の中では“師匠”と呼ぶことにしている。本人には言わないが。

 まとめるとゲームのボイスチャットを通じて自分のトークに自信が持てたし、何より大切な人ができた(恋人って意味ではなく)。この出来事なしに今の自分はいないと断言できる。

 明日は今までやったゲームタイトルとその思い出を並べてみたいと思う。

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