「龍の宮物語」考―箱の中身と清彦のその後―
今日は宝塚の大好きな作品について、感想めいた考察を語らせていただきたいと思います。星組公演「龍の宮物語」(2019年・バウホール)です。主演は瀬央ゆりあさん、作・演出はこの作品がデビュー作となった指田珠子先生。
ここから先はネタバレなしには語れませんので、まだ作品をご覧になっていない方はご注意ください!!!!!!!!!!
箱(玉匣・たまくしげ)の中身は何だったのか?
清彦を殺すことができなかった玉姫
龍神の妻である玉姫は、実は清彦の一族と因縁があり、復讐をして恨みを晴らすため、清彦を龍の宮に呼び寄せたのでした。
清彦を客人としてもてなしながら、復讐の機会をうかがう玉姫。
清彦の純粋無垢な優しさに触れ、また、彼の好意が自分に向けられているのではないかと思う節もあったのではないでしょうか。
情が移ってしまい、彼を殺すことができないまま、日々が過ぎていきます。
しかし、清彦が「サクラタデの花を見せる」という自分との約束を思い出せないばかりか、他の女(書生として住み込んでいた家のお嬢さん、百合子)と同じ約束をしていたことが判明。
さらに、百合子さんとの約束を果たすため地上へ帰りたいと言い出した清彦に、玉姫はもう躊躇する必要はないとばかりに本性を現し、刀で清彦を殺そうとします。しかし、玉姫は殺すことができませんでした。
作中での箱の描写
玉姫を見かねて代わりに清彦を殺そうとした龍神を制し、玉姫は清彦に「玉匣(たまくしげ)」を持たせて、そのまま地上へ返します。
この「玉匣」は、「龍の宮物語」の着想元である「浦島太郎」でいう「玉手箱」と同じ箱です。
清彦が地上へ戻ると、既に30年の月日が経っていました。
箱を開けなかった清彦は、幼き日に交わした玉姫との約束をようやく思い出し、サクラタデの花を持って再び龍の宮へ向かい、玉姫と再会します。
そこで、互いの想いを確かめ合いますが、清彦を殺そうとする龍神から清彦をかばって玉姫は息絶えます。
地上へ戻された清彦は、二度と玉姫に会えることはないと悟り、箱を開けました。
箱の中身
この箱の中身を推測するための手がかりはいくつかあります。
①玉姫が、清彦を殺そうとした龍神を制し、代わりに箱を持たせることを提案した際、龍神は一応納得した。
…箱の中身には何か呪いが入っており、龍神もその存在を知っているようです。
②箱を開けてしまうと、玉姫には二度と会えない。
…手渡した時の「会いたくば、開けるな」、再会した時の「なぜ開けなかったのか」という玉姫のセリフから、開けてしまうと玉姫には二度と会えない呪いが入っていたことがわかります。
③箱を開けると、生前の玉姫の歌声が流れてきたが、何も起こらなかった。
…清彦が箱を開けると、「♪愛しいあなたよ 私のことは忘れてください」という玉姫の歌声が流れてきました。玉姫はこの時点で死んでいるので、この歌声は、箱を渡したときに込められたものと考えられます。
そして「浦島太郎」のように煙が立ち上り、清彦はおじいさんに!…なったわけではなく、中身は空っぽで、ぱっと見た感じ、何も起こらなかったように見えます。
これらのことから、
・箱の中には何も入っていなかった=清彦を地上に返した時には、既に彼を愛してしまっていた玉姫は、何の呪いも込めていなかった
・箱を開けた時には玉姫は既に死んでしまっていたので、呪いの効果はなくなってただの空っぽの箱になっていた
・箱を開けると玉姫を忘れる呪いが入っていたが、清彦は玉姫を深く愛していたので呪いに打ち勝ち、玉姫のことを忘れなかった
などの解釈が考えられます。
しかし、今回は、別の考察をしてみたいと思います。
なお、物語には正解はありませんので、どの解釈が正解ということはありません。この考察で、読んでくださった方の物語への愛がより深まったらよいなと思いながら書いております。
玉姫の記憶を失った清彦
③の後、清彦は、「雨降る日、必ずあなたのことを思い出すよ」とつぶやき、玉姫のことを思いながら本作の主題歌「夢沈む」を歌います。
歌い終わると雨が強くなり、清彦は客席に完全に背を向けます。舞台奥の夜叉が池に向かって引き込まれるように歩いていくところで、幕が下ります。
雨が強くなった後、清彦が客席に背を向ける前、清彦を演じる瀬央ゆりあさんの、チャームポイントである大きな黒目からふっと光が消えます。その様子は、鬼気迫るものがあります。
さて、話を戻すと、ここで、玉姫が箱に込めた「玉姫と龍の宮のことを忘れる」呪いが発動し、清彦は、全てを忘れてしまったのではないでしょうか。
箱を渡した玉姫の当初の意図は、地上に戻った清彦が、玉姫に会いたいと思わず箱を開けた場合、清彦の記憶を消して二度と龍の宮に近づかせないようにし、清彦を逃してやるというものだったと思われます。
「愛しいあなたよ」という呼びかけは玉姫の想いの発露ですが、それを聞いた清彦の記憶からは、すぐに消えてしまう予定でした。
清彦が「夢沈む」を歌っているうちに、毒がじわじわ体中に回っていくように、どんどん玉姫と龍の宮の記憶が遠くなっていき、ついに思い出せなくなった。
ところが、愛する人を失った絶望感までは消えなかった。
不思議と、夜叉が池に心惹かれる気持ちがした。なぜ心惹かれるのかは思い出すことができなかったが、そこに行けば、何かがある気がした。
それで、ラストの清彦は、理由のわからない絶望感を抱いたまま、夜叉が池へ引き寄せられていったのではないでしょうか。
直前まで愛おしそうに頬擦りしていた、玉姫の形見の赤い領巾(ひれ)を地面に引きずっていることが、もはやそれが何を意味するものかがわからなくなっていることを示していると考えられます。
清彦のその後
清彦は死んでしまったのか
さて、清彦はそのまま玉姫の後を追い、夜叉が池へ入水して死んでしまったのか?というのが気になるところかと思います。
これに関しては、清彦はその後も生き抜いたと考えられます。
その手がかりは、プロローグで歌われる主題歌「夢沈む」にあります。
プロローグの「夢沈む」
プロローグの主題歌「夢沈む」の振付は以下のとおりです。
清彦が傘をさして登場→玉姫と少し絡む→龍神が現れて引き裂かれる→山彦が引き留める中、清彦は玉姫を追い求める→玉姫は笑顔で去っていく
これはまるで、「龍の宮物語」全体の内容を先取りしているようです。
ただし、この「夢沈む」の歌詞全体を聴くと、この歌は、清彦の夢を表していると考えられます。
清彦が予知夢を見るということはないでしょうから、このプロローグは時系列で言うと、ラストより後になります。百合子の娘を助けた恩義があるので、本編終了後、夜叉が池で倒れているのを発見された後は、彼女の家に身を寄せているのかもしれませんね。
清彦は、雨が降るたびに、池に沈んでしまいたくなるような虚しい気持ちを覚えています。
時間が経つにつれ、その気持ちは、ラストのような激しい絶望感ではなく、静かな喪失感になっているでしょう。
記憶は消えてしまっていますが、夢の中で現れる深層心理には、龍の宮と玉姫のおぼろけなイメージが残っていると思われ、それが「夢沈む」の振付になっています。
しかし、目覚めた時には何も思い出せなくなっている。
ただ、雨の日に浮かぶこの気持ちを鎮めてほしい、という歌なのではないでしょうか。
「龍の宮物語」はハッピーエンドか
上記の内容を語っていると、清彦は、開けなくていいものを開けてしまったような気がしないでもありません。
箱を開けなければ、清彦は、玉姫と龍の宮のことを覚えていられたのですから。
ですが、これは、玉姫が望んだ結末のように思われます。
プロローグの「夢沈む」の最後で、玉姫は、全てから解放されたような満足げな笑顔を見せています。
清彦は、玉姫のことを覚えていたかったかもしれません。
でも、本気で清彦を愛した玉姫は、清彦が、本来出会うはずのなかった自分のことを忘れて、幸せに生きてほしいと望みました。
玉姫は、清彦との交流を通じて、自分のことよりも、相手に幸せになってほしいという、本当の愛を知っていったのです。
清彦の腕の中で息絶える時には、昔の恋人の仕打ちを「忘れてなるものか」と恨み、サクラタデを見せる約束を思い出せない清彦にショックを受けていたかつての玉姫とは、まったく違う心情になっています。
清彦が玉姫のことを忘れてしまっても、二人の間に交わされた愛情が、なかったことになるわけではないことを、玉姫はわかっているのです。
何もできなかった主人公
清彦は、腕っぷしがあるわけではない、優れた知力を持つわけでもない、特殊能力や財力があるわけでも、意志を貫けるわけでもない主人公でした。
山賊に襲われた時、殴られっぱなしで有り金(しかも多くはない)を渡すことしかできず、百合子とは相思相愛だったのに、身を引くことしかできない。
清彦によって殺されたいと望んだ玉姫を、死なせてやることもできない。
龍神と戦って玉姫を救い出すこともできず、玉姫を守ることすらできない。
カフェの店員の噂話によると、容姿は人より良かったようですが。
清彦は最後に、「雨降る日、必ずあなたのことを思い出すよ」と宣言します。
しかし強い決意を込めたその宣言さえも、箱に込められた玉姫の呪いの前に一瞬で消え去ってしまい、彼は玉姫を思い出すことはできませんでした。
ただ、清彦は、人並外れた優しさと、玉姫への愛を持っていました。
その優しさと愛こそが、千年にわたる恨みに苦しんでいた、玉姫を救ったのです。
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