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黙示録の世界

「きわめて早い段階ですでにイエスという現実の人間は,彼を近くから,あるいは遠くからめぐる人々の感情と投影の背後に消えてしまったのである。彼はあっという間に,そしてほとんど跡形もなく,彼の周りの人々の心的な“待機体系”に同化され,それとともに,その元型的な表現に変容させられた。同時代人の無意識が期待する集合的な形姿になってしまったのである」(ユング)
 

ヌミノーゼ


 神は愛です。同時に,神は正義です。ここに,キリストが十字架で死なねばならなかった秘密があります。神は宇宙の主宰者ですから,悪を放免することはできません。必ず処罰せねばなりません。神は人を赦したい,しかし,人間の罪がそれを邪魔する。ここに,神の子の贖罪が必要になったのです。
 いま生きる神と出会う時,人間はどうなるのでしょうか?人間は,あまりの恐怖に,死を体験します。預言者イザヤは死を直観しました,使徒ペテロは己の無価値を自覚しました,黙示録のヨハネは死人のように倒れました。ルターの体験,内村鑑三の体験もそうです。宗教学者ルドルフ・オットーの言うヌミノーゼ,聖なる畏れ。神との出会いは,凡人が夢想するような甘美な体験ではなく,言語に絶する戦慄体験なのです。
 そういった神を,キリスト教徒は合理化し,「神=愛」と定義しました。つまり,神から正義の側面を抜き去ったのです。彼らは物事を転倒して考え,「神は愛である」から「愛は神である」と解釈し,“自分たちの幸福を約束する存在”を神に祭り上げたのです(金の子牛の代わりにイエスを使って!)。すなわち,イエス・キリストの父なる神は,恵比須様の一種に成り下がったのです。

集合的無意識


 抑圧された神の正義。集合的無意識に滞留した創造的エネルギーは,生ける神の復権を求めて,出口となる主体を探し求めました。そして,黙示録のヨハネという霊的感受性に秀でた人物を見い出し,彼を通して地上に噴き出したのです。それが「黙示録」です。憎悪と報復・怒りに満ちたキリストの姿は,“合理化された愛のキリスト”の保償です。この書を通して,人間は,合理化できない神の測りがたさに目覚めることができるのです。

「無意識には,意識から拒絶されているもののすべてが含まれている。意識がキリスト教的であればあるほど,無意識は異教的に行動する」(ユング)

黙示録の象徴が意味するもの


 天上のキリストとは,己の善,キリスト者の優越機能です。一方で,地上の世界ローマとは,己の悪,キリスト者の劣等機能です。天上の神から地上のローマにもたらされる災いは,世界への怒り,キリスト者自身の内的世界の劣等性です。地上に成就する新しきエルサレムとは,優越機能と劣等機能が合一することによって誕生する“真の自己”です。神の似姿,人格,全体としての人間です。コプト語写本にあるように,全体性としての人間は,四つの門がある町に譬えられます。つまり,新しきエルサレムとは,人格の象徴なのです。

「自らを知ることに努めなさい。そうすれば,全能の神の子であることを知ることになるだろう。汝は神の町におり,汝が町であることを知るであろう」(オクスリンクス・パピルス)

 地の底から立ち上る獣とは,無意識に抑圧された影です。ゴグとマゴグという敵は,未だ自覚できてない無意識の悪です。「もはや海もない」という表現は,無意識が意識化されることです(海は無意識の象徴)。恐ろしいキリストの姿は,合理化されていない神の姿,正義の神,怒りの神の象徴です。「あらゆる民族が神を賛美する」とは,全人類的教会の預言です。今までのキリスト教は排他的一神教でした。しかし,本来の福音は,すべての宗教を包括する普遍的一神教でなければなりません。「夜と霧」の著者フランクルが言うように,これからの宗教は,互いに互いを殺し合う唯一神教ではなく,互いに互いを生かしあう唯一人類教でなければなりません。

人類への警告


 黙示録のヨハネのように,己の無意識と対決しない場合,人間はどうなるのでしょうか?道は二つあります。第一に,一生涯,死ぬまで,己の罪と死に苦しみます。罪を認めた人は,それを背負って生きてゆくことができます。罪を認められない人が,逃れられないような結末に苦しまねばならないのです。第二に,投影という行為によって,己の無意識性から逃げることになります。投影とは,「あらゆる種類の主観的な内容を対象に置き換える」という一般的な心理機制です。つまり,自分の劣等機能を他者に投影し,他者を憎むことによって,問題の本質から逃げる行為です。この場合,優越機能と劣等機能の分裂が徐々に大きくなり,最後には分裂した性格(パーソナリティ)を形成,神経症や統合失調症となって自らを苦しめることになります。

「神からただ“善なるもの”,すなわち,私たちに“善”として現われるもののみが期待されるとするならば,そもそも神への恐れはどうなるのか?・・・あらゆる悪の最も強力な根の一つは無意識性である」(ユング)
 

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