わたしの欧州大学受験ジャーニー③合格〜渡航編
出発1ヶ月前を切った8月7日に、ついに合格通知が届きました。
世界中がコロナパンデミックの中での、渡航準備とビザ申請は、想像をしていたよりも大変でした。
欧州大学への留学に向けて、大学の調べ方や出願のプロセスを辿ったわたしのジャーニーも、今回がラスト。
合格通知をもらってから、渡航までに準備したことをまとめます。
後述しますが、わたしの本命大学のKULの合格に必要なテストの結果がわかるのが7月末。まだ合格するか確定ではない状況で、ビザの準備と渡航の準備を行っていました。
※わたしの体験は、コロナパンデミックの最中のものです。日々変わる規制や受け入れ態勢を必ずご確認ください。
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渡航準備を考え始めた当時の状況(5.6月)
本命大KU Leuven大学の条件付き合格を受け取ったのが、5月初旬。わたしはACT/SAT(アメリカのセンター試験ポジ)の数学のスコアが必要だったのですが、うけるはずだった4月のACTがコロナで7月中旬に延期になりました。結果がわかるのは7月末。学校が始まるのが9月22日。ビザの申請や飛行機の予約はだいたい3ヶ月前に行うのが通常。ピンチ。どうしよう
さらに、6月にはまだベルギー大使館のビザ窓口が空いていない状況。全く先が見えなく、不安が募る一方で、大学側は対面の授業を開始する方向で動いていると連絡があったので、まだ合格は決まっていない段階から、絶対に受かると信じて、渡航への準備を進めることにしました。
ちなみに、当時わたしは大学のあった横浜市で1人暮らしをしていたので、渡航準備を進めつつ、引越し作業を終えて家の解約手続きをする任務もありました。
ビザ申請
7月1日からベルギー政府が、ベルギーに家族がいる人や留学する学生の受け入れを開始。ビザの受付が、スタートすることがわかりました。段階的受け入れの中で、学生の渡航優先順位を高くしてくれたことは、本当にありがたいことでした。
そして、必要書類を準備。
ベルギーのビザは、提出書類やプロセスがめんどくさいと有名らしい。
具体的な書類や方法は、こちらの記事を参考にしました。
特に手間のかかった書類は、住民票のある場所の警察署へ本人が出向かないといけない、無犯罪証明書(わたしは大学のために横浜在住、大阪に住民票があったので)と、認められた病院で発行された渡航前健康診断の結果。そして、財源の証明。
財源の証明について、わたしは大学の閉鎖口座を選び、7月中に大学側にTransferwieを使って送金、受け取った証明書を大学に提出しました。
オンラインでの申請を終え、8月11日に大使館へ。窓口の方はとても優しく、わたしは書類の途中に記入ミスがあったのですが、問題なく受理していただきました。
驚いたのが、申請時に(おそらく学生だけ)数枚の紙と鉛筆を手渡され、一時間で留学のモチベーションや将来のキャリアプランを書かされること(笑)
留学生の、”あなたは本当に留学したいんだね?ベルギーに?”をとうものだとは思いますが、結構な長文を何枚も書かされました。おそらくA4フルで3枚くらい(笑)”テストじゃないからね!”と何度も言われましたが、緊張した、、、途中でゴキブリ出るし、、、
留学生のビザは、このコロナ禍でも、大学が受け入れていることもあり、2日後にはビザが受理されたことがメールで通知されました。そして、ついに8月17日VISAをゲット!準備、ほんとうに長かった!!!
飛行機の予約
飛行機を予約したのは、合格通知が届き、留学が確定した8月9日。
実家の大阪から、ブリュッセルまでの便を、直行便は欠航しているので、経由便で調べます。
大学のスタートが9月22日、隔離期間2週間があったので、9月1日に渡航することに決めました。
注意していた点は、経由地で、コロナパンデミックの中で国によってはトランジット客にもPCRを課す国も。ドバイとカタールが経由地の候補に上がり、トランジット客にもPCRを課すドバイ・UAEを選択肢から外し、カタール航空、ドーハ経由に確定しました。
ITM-HND-NRT-DOH-BRU
ちなみに、片道は6万円と少し。中東系航空会社はサービスの割にコスパがいいので助かっています。あと空港が綺麗。移動で丸一日かかる行程。
住居探し
わたしの通う経営学部は、本キャンパスのあるLeuven(ブリュッセルから電車で30min)ではなく、ブリュッセルに位置します。学生寮は、全てLeuvenにあるために寮の恩恵は受けられませんでした、、、自力で、ブリュッセルの物件を探すことになります。
当初の予定は、隔離期間含め1ヶ月間はAirbnbかホテルで暮らして、隔離期間が終わってから現地で家を訪問しながら家探しをする予定でした。
ですが、ビザが降りたのも8月中旬で、目星をつけていた部屋がなくなり、残りは高いとこばかり(笑)諦めて、現地の部屋をオンラインで探すことに。
欧州の家探しは、日本のように仲介業者通さず、オンライン上にリストアップされている物件のオーナーに直接連絡をとって契約を結びます。
ブリュッセルの物件サイトも色々ありますが、わたしはこのサイトを利用しました。あとは、物件探しのFacebookグループにも参加していました。
20件くらいメッセージを出し、返ってくるのが7割くらい。返ってきても、そのうち半分はもう入居者が決まっていたり、KUなら近くに住みなさいと断られたり、、、(ベルギーは早い者勝ち入居です)
無事にわたしのタイプなところが見つかり、オーナーと連絡をとり契約を決めました。契約はpdfファイルを送ってもらい、サインをしてpdfで送り返す。全てフランス語で意味不明だったので、フランス人の友人に問題ないか一度みてもらいました。問題なし!
予算が限られていたけど、部屋の雰囲気は妥協したくなかったので、わたしは学校から少し離れた(30分)の家に決めました。ブリュッセルは小さいので30分(5~6km)でかなり郊外です。
窓の広い、光の差し込むゆったりとしたお家で、お気に入りのお部屋です。
日本での諸々手続き
渡航に向けてのメインな準備は、上記の通りですが、日本でもちょこちょこ確認しておくべきことも。簡単にまとめます。
いざ、渡航
ついに渡航。
なんですが、実は飛行機を取る際に持ち前のポンコツさを発揮していて(笑)安いからという理由で取った飛行機が、確認ミスで大阪発羽田着成田発という、羽田から成田間を自分で移動するハメに、、、、飛行機の確認はちゃんとしよう、、、
(羽田を挟んだおかげで、友達が見送りにきてくれました。このあと飛行機じゃなく成田行きのバスに乗る。)
成田空港発の便は写っている通り。
搭乗する成田-ドーハ便以外は全て欠航。空港に活気がなく、お店も全て閉鎖。登場客は、9割が外国人の印象です。カタール航空はドーハがハブ空港なので、みんなドーハに飛んで世界各国に飛ぶのかな。
カタール空港は、なんと乗客全員がマスク+フェイスシールドの着用必須。CAさん達は、医療用のガウンを着て。機内の全員がフェイスシールドをつけている姿はSFの世界のような、異様さでした。とにかく息しづらい&寝づらかったです。
フェイスシールド着用の元、成田-ドーハ間11時間、ドーハ-ベルギー間6時間の旅でした。
そして、丸一日の移動期間を経て、無事にベルギーに到着。
早速ベルギービールが出迎えてくれました。
受験・渡航準備の約半年の期間を終え、9月2日、無事にベルギー・ブリュッセルに到着しました。
この準備期間で一番大変だったのは、前例のないパンデミックで、見通しが全く立たないことと、日々状況が目まぐるしく変化すること。毎日パソコンに睨めっこして、現地の状況や、大学・政府の発表する規制を確認していました。皮算用で、行けると信じて今できる最善の準備をする、それに限ると思います。
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半年間のことを振り返ってみて、コロナの中で大変だったなあとも思いつつ、たくさんの方に助けていただき、渡航することができたとつくづく感じています。お世話になった皆さん、ありがとうございました!
準備〜渡航までの、わたしの欧州留学ジャーニー。
誰かの楽しみになって、別の誰かの少しの助けになれば嬉しい限りです:)
つついに、あと一週間の隔離期間を終えて、大学がはじまります。
これからは、現地での生活、勉強、仕事など実況中継でお届けします!
それでは、素敵な1日を!
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