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ソーシャルデザインを成功に導く〈5つの力〉 【ソーシャルデザイン"問い"曼荼羅 vol.2】
前回の最後に、「ソーシャルデザイン曼荼羅」のモチーフとなった五智如来をご紹介しました。
五智如来は『大日経』と並んで真言密教の重要な経典である『金剛頂経』をわかりやすく表現した「金剛界曼荼羅」の中心に座しているので「金剛界五仏」とも呼ばれ、五重塔で有名な世界遺産・東寺の講堂内にも五体の像が並べられています。(下の写真は高野山・金剛三昧院の木造五智如来坐像)
そして五智とは、これらの五仏それぞれが備えている知恵であり、阿閦如来の大円鏡智、宝生如来の平等性智、阿弥陀如来の妙観察智、不空成就如来の成所作智、大日如来の法界体性智のことをいいます。
そして、これらをソーシャルデザインの文脈で再解釈してみたものがほしい未来をつくる〈5つの力〉なのです。
●ソーシャルデザインを成功に導く〈5つの力〉 ≒ 五智
一.〈本来の自分〉として発起する力 ≒ 大円鏡智
二. 秘められた〈リソース〉を引き出す力 ≒ 平等性智
三. 煩悩を〈ほしい未来〉に転じる力 ≒ 妙観察智
四. 融通無碍に自ら〈デザイン〉する力 ≒ 成所作智
五. 大いなる〈源泉〉を生きる力 ≒ 法界体性智
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そもそも五智とは?
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そもそも五智とは何か、まずは先達たちの表現をお借りしながら、概観してみたいと思います。
昭和が平成になるときに、有識者として「元号に関する懇談会」にも列席した日本を代表する仏教学者・中村元氏の『新・佛教辞典(増補)』(誠信書房)によれば、
一. 大円鏡智:鏡の如く法界(真理の世界)の万象を顕現する智
二. 平等性智:諸法の平等を具現する智
三. 妙観察智:諸法を正統に追求する智
四. 成所作智:自他の作すべきことを成就せしめる智
五. 法界体性智:法界の自性を明確にする智
とあります。初めての方にはとっつきにくい感じがあるかもしれませんが、流石それとしかいいようのない説明です。
また、種智院大学学長も勤めた頼富本宏氏は、
一. 大円鏡智:すべてを明瞭に写し出す智
二. 平等性智:すべてを平等に知る智
三. 妙観察智:正しく理解する智
四. 成所作智:すべてを成し遂げる智
五. 法界体性智:さとりを本質とする智
としています。だいぶ、スッキリしていますね。
また、宮崎アニメを密教的に読解するなど宗教図像学を専門とする正木晃氏は、
一. 大円鏡智:鏡がすべての対象を正しく映し出すように、すべての対象を正しく映し出す働きをもつ智恵
二. 平等性智:わたしたちのような凡人には千差万別にしか見えない森羅万象の、差異の底にある平等性や共通性を知る智恵
三. 妙観察智:平等に見えるもの、共通に見えるものの、そのなかにある差異を正しく観察する智恵、全体のなかの部分を正しく観察する智恵
四. 成所作智:ものごとを生成する智恵、人間の身体と経験を媒介としてはたらく実践的な智恵
五. 法界体性智:絶対真理の世界(法界)の実在性(体性)そのものの智恵、普遍性と絶対性をもつ智恵、ありとあらゆる知恵を知る知恵
正木晃『現代日本語訳 空海の秘蔵宝鑰』(春秋社)p.200
としています。
ここまでを便宜的にまとめてみれば、
一. 大円鏡智:ありのままを映し出す
二. 平等性智:共通点を見つける
三. 妙観察智:相違点を見つける
四. 成所作智:自利利他の実践のもととなる
五. 法界体性智:絶対真理の世界を受け取る
といった感じです。⑤についてはなかなか捉えにくいかもしれませんが、何となくそれらの意味するキーワードが見えてきたでしょうか。
真言密教では、これらの五智をついに感得したとき、修行者はただちに仏となることができるとされています。その真理は、社会的な課題の解決にどのように応用できるのでしょうか? いよいよここから、「空海」と「ソーシャルデザイン」をめぐる驚くほどの共鳴がはじまるのです。
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ソーシャルデザインを成功に導く〈5つの力〉━━━━━━━━━━━━━━━━
ここで簡単に、ソーシャルデザインを成功に導く〈5つの力〉をまとめてみます。
一.〈本来の自分〉として発起する力
〈本来の自分〉として発起する力とは、〈普段の自分〉とは質の異なる〈本来の自分〉という感覚をつかむ力、そして内に秘めた自分らしさをもとにソーシャルデザインを志す力です。
「この世のすべての人は本来そのまま仏であること」を「本来成仏」と言うように、“本来”という言葉は仏教でもよく使われる言葉です。とはいえ「本来のわたし」であるとは、どういう状態をいうのでしょうか? そして「本来のわたし」かどうかを、私たちはどのように知るのでしょうか?
例えば「自分に嘘をついている感覚」があるとき、〈本来の自分〉ではなく〈幻想の自分〉なのかもしれません。あるいは「努力を重ねても望む結果が得られない経験・状況が続いた結果、何をしても無意味だと思うようになり、不快な状態を脱する努力を行わなくなること」である「学習性無力感」のように、自分の可能性を無意識のうちに閉じ込めてしまって、内発的に行動するエネルギーが失われてしまっているときなども、〈幻想の自分〉なのかもしれません。
そのような〈本来の自分〉について思索を深めようとするとき、ヒントとなるのが「ありのままを映し出す知恵」である「大円鏡智」です。
今の状況やこれまでのご縁を、鏡にすべてが映り込むように善いも悪いもなくいったん眺めてみる。そうして自分の原点やありたい姿をもとに自分の足元を見つめ直すことが、次なる行動を支える揺るぎない土台となるのです。
二. 今ある〈リソース〉を引き出す力
今ある〈リソース〉を引き出す力とは、端から見たら「何もない」と思われる状況にあっても、「何かがある」という視点を持つことができる力です。
〈本来の自分〉と再会することでこれまでにない可能性が開かれていくように、目の前のあらゆるものの本来の価値や可能性に目を向けたとき、そこに秘められていた、ここにしかないユニークな価値が、ソーシャルデザインを実現するためのリソースとして顕在化してゆくのです。
そのときにヒントとなるのが、「共通点を見つける知恵」である「平等性智」です。
まちづくりの現場に足を運んでみると、それぞれの普段の仕事がバラバラであっても、意見が対立していても、もっと深いところにある「生まれ育った街を元気にしたい」という「ほしい未来」は重なっていた、という光景をよくみかけます。
つい私たちは「あの人とは違う」と分け隔てて考えがちですが、その見えない壁は実は幻想かもしれない。そのことにハッと気付くことから、課題の解決に向けた対話がはじまるのです。
三. モヤモヤから〈ほしい未来〉を描く力
モヤモヤから〈ほしい未来〉を描く力とは、欲望や嫉妬といった煩悩を受け入れ、それらをきっかけに「ほしい未来」というビジョンを描く力です。
ここで「煩悩ってよくないものなんじゃないの?」と思った方もいるはずです。しかし、空海の教えである真言密教がとてもユニークなのは(そして、それが私が惹かれる最大の理由なのですが)、欲望を肯定しよう、という考え方なのです。どういうことでしょうか?
もちろん真言密教においても、「自分の利益のための欲望」を意味する「小欲」は否定されます。そこで肯定される欲望とは、「自分の利益から離れた欲望」としての「大欲」であり、それこそがビジョンとしての「ほしい未来」なのです。
小欲を大欲に昇華させていくためにヒントとなるのが、「相違点を見つける知恵」である「妙観察智」です。
誤解のないように気をつけたいのは、ここでいう相違点とは、先ほどの平等性智で実感した共通性の上に見られる、それぞれ発露している表面的な差異であり、それを正しく観察することが大切である、ということです。例えば「カッとしやすい」とか「八方美人」など、ひとりひとりの性格の違いなどもその一例といえるでしょう。
ところで「カッとしやすい」とは、別の側面からみれば「考えがはっきりしている」ともいえます。あるいは「八方美人」も、「すべての人にやさしい」といえるかもしれません。このようにマイナスとされていることをプラスに捉えることを心理学では「リフレーミング」といいますが、「小さな煩悩を大きく育てる」とは、まさに個々のユニークな煩悩をリフレーミングすることなのです。
四. 導かれるままに〈デザイン〉する力
導かれるままに〈デザイン〉する力とは、ひとりよがりにならず仲間と共創しながら、無理のない最適なやり方を発見し、それを忍耐強く実行する力です。
ここでヒントとなるのが「実践のもととなる知恵」である「成所作智」です。
成所作智とは私たちの五感がもっとも自然に開かれている、つまり豊かな感性をもっている状態のことであり、生きていることの喜びに溢れている状態ともいえます。
自分のためだろうと、他者のためであろうと、いまやっていることが楽しくてしかたがない。あるいは「やらせていただいている」というもっとも深い喜びなのかもしれません。そうした気持ちの充実こそが、粘り強くプロジェクトを続けて、実際に社会にインパクトを生み出していくための必要条件なのです。
五. 大いなる〈源泉〉を生きる力
最後の大いなる〈源泉〉を生きる力については、残念ながらなかなか言葉では伝えきれません。ヒントとなりそうな「絶対真理の世界を受け取る知恵」である「法界体性智」と言われても、まったくイメージが湧かないでしょう。そこでここでは、ひとつだけキーワードを示しておくに留めたいと思います。それが「0th place」です。
家庭(1st Place)でも所属先(2nd Place)でもない、"第三の居場所"としての「3rd Place」という言葉は、すっかり定着してきました。義務感からではなく、喜んでやってくる。個人の社会における地位に重きをおかず、何も必要条件や要求がない。このような3rd Placeを持つことは、自分自身を、無意識に縛り付けているものから解放されたり、他者との出会いを通じて自分自身の立ち位置を確認できたり、といった個人的なメリットだけでなく、市民参加の機運を高めるといった社会的なメリットも大きい、とされています。
一方、私の造語である0th Placeの役割をひとことでいうと、「大自然のように自分自身を包み込んでいる“より大きなもの”とつながる場所」のことです。より正確には、「既につながっているということ、既にたくさんの恵みをいただいているということを、思い出すことができる場所」といえるかもしれません。
どうして0th Placeが大事かといえば、そのような場所で初めて、日頃の仕事に振り回される〈幻想の自分〉をリリースして、〈本来の自分〉とつながり直すことを可能にするからです。
ちなみに、これまで見てきた「大円鏡智」「妙観察智」「平等性智」「成所作智」までは「四智」とも呼ばれ、唯識仏教において綿密に体系化されてきた歴史があります。そして、その後に成立した、当時は最先端の仏教だった真言密教になって初めて、四智を総合するもの、中心となるものとして新たに「法界体性智」が置かれたのです。
「法界体性」とは「全世界、全宇宙」あるいは「全存在の本体」を意味する、とてもスケールの大きな言葉です。それでは、始祖たちはどんな思いで「四」から「五」へと歩みを進めたのでしょうか。そのことを紐解くだけでも重大事ですが、敢えてシンプルにいえば、「四智」も含めて、一切のことを成り立たせている絶対的な大前提としての「大宇宙」という次元を強調したかったのではないでしょうか。
かつて高野山真言宗元管長・松長有慶猊下は、仏教諸宗が参加した仏教の入門書シリーズ『仏教を生きる』において、真言密教の特徴を端的に表現するために『大宇宙に生きる』というタイトルを選択しました。そのような大宇宙というスケールでいえば、宇宙船から見えた地球に国境がなかったように、私たちはもともとひとつにつながっている、ともいえます。あるいは、太陽の光によって多くの命が育まれているように、たくさんの恵みをすでに受け取っている、ともいえます。
もちろん言うだけなら容易くとも、そう心から実感することは簡単ではありません。しかし、法界力の自覚があるときの「四智」と、ないときの「四智」とでは、考え方は同じだとしても、浮かび上がってくる現象はまるで変わってくるのではないでしょうか。
つまり大いなる〈源泉〉を生きる知恵とは、ソーシャルデザインを実践する以前の、そもそもの根源に関わるのであり、本来は五番目ではなく〇番目にあたる知恵なのかもしれません。
ということで次回は、ほしい未来をつくる〈16の問い〉をざっとみてゆきたいと思います。お楽しみに!
[ つづく ]
images: Buddhist Images Resource
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