自殺予防ボランティアをしていて思ったこと
私は、縁があって自殺予防活動をしているNPO団体に所属していたことがある。
私が住む県は、「自殺ハイリスク地」と呼ばれるエリアがある。
つまり、自殺するならここ、と思われているエリアだ。
結論から書くと、自殺は予防できないと思う。
かくある私は、つい自殺しそうになってしまったことがあり、その時の精神状態を思い出すだけでもゾッとするのだが、自殺は決意をもって行うわけではないんだと実感した。
つい、死んでしまうのだ。
何があったかカンタンに説明したいと思う。
つい、死にそうになった時の話
運転中、赤信号を目で確認していたのにブレーキを踏もうと思わなかった。
横から大型バスがこっちに走ってくるのが視界に入った。
大型バスの運転手が急ブレーキを踏んで、私の車を避けた。
脳の判断力に異常
ん?
と一瞬、何が起きたかわからなかったが、この時はすぐ元の世界に戻ってくることができた。私は、歩道に寄せて車を止め、後ろからゆっくり停止しようとしているバスの運転手に合図し駆け寄って、ドアを開けてもらった。
・・・
『あれ?信号は赤だったな。私なんで止まらなかったんだろう、
たいへん!!!バスのお客さんが怪我してるかも!!!』
・・・
バスの運転手さんが『どうしたの?大丈夫なの?』と、こんな愚かな人間に優しい言葉をかけてくれてびっくりした。乗客は無事か聞くと、今日はもう乗っていないんだよ、と言われて私はやっと安心した。気をつけて帰るんだよ、とまで。
プロのドライバーの技術と人間性に救われた。
この時私の脳は疲れ切っていて、
赤信号=停止
という判断ができなかったようだった。
さっきまで明るく仕事していたのに、もし死んでいたら自殺だと思われただろう。
今思えば、バスの運転手さんのあの言葉は、私が自ら赤信号に突っ込んできたように見えたのかもしれない。
どこの世界に行ってたのよ
先ほど「元の世界に戻れた」と表現したが、じゃあ私どこに行っちゃってたんだろう。
当時の私は完璧主義で、与えられたノルマは絶対に守るスーパーバイザーだった。
お客様の前では指先、髪の毛一本まで意識していた。
1日10時間以上、私は舞台で演技するかのように隙なく「理想の○○社員」を生きていた。
疲れていた。
今思えば、だ。
あ、あれに似てる。
わたしは仕事が覚醒剤だった。やってる間は自分の力以上に集中して成果が出るたびに快感を覚え、終わった途端に無気力になる。
これがたまらなく気持ちいんだ。
死の淵に立っているとも気づかないで。
他人が予防できる自殺の少なさよ。
この経験から、私は自殺予防活動をし始めた。
でも当時は自己理解が薄く、「死の淵に立っている人」が私だと気づいたのが、なんと今なのだ。
自殺予防のNPO団体は非常に高明な方や、専門家、有資格者が名を連ねており本当にサポート体制は完璧だった。もっと早く出会って、相談していたかった!
でも私のような人間は、この団体にたどり着くことはない。
SNSで活動してみたものの、
・啓発グッズを作り配る
・セミナーを開く
・相談ダイヤルやメール相談を開催する
など、「やってます」という自己満足に思え、ならば他のアプローチで私らしいサポートをしたいと考え団体を抜けた。
隣にいた人が自殺してしまったら
もし、自分の家族や友人が自殺してしまったら
「私に何かできることがあったんじゃないか」
と思うだろう。
死の淵まで行った私が思うには、
「ない」です。
だってね、もう、何も考えられないから。
元の世界に戻ってくるには、自分自身でしかできない。
だから、一緒に行かないで。
では、どうしたら予防できるか
みんなで考え続けるしかない。
できれば、小学校3年生くらいから。
早い子だと、2年生くらいの年で「死」を意識する。
「先生、私死にたい」
って言った彼女に、私は今、なんて言うべきか。
もう一度考えたいと思う。
あなたは神か。