マレーシア・ペラ州の史跡博物館ーKompleks Sejarah Pasir Salakー
パシール・サラックという小さな村に史跡博物館がありました。
あまり期待せずに行ったのですが、予想よりもすごかったのでご紹介します。
マレーシアならぜひ訪れて欲しいというこの歴史複合施設。
歴史が詰まってました。
Pasir Salak Historical Complexとは
1990年5月にオープンした博物館で、既存のものはパシルサラックモスク、砦、3つのクタイハウスと川岸です。
ペラ川沿いに建てられていて、心地よい風が吹いています。
この博物館が建てられたpasir selakは1875年に起きたperak戦争発祥の地なのです。
中央の博物館
中央にあるのが博物館です。
土足禁止。
ここだけは入場料がかかります。
大人RM5
子どもRM1
歴史に沿って英国、マレー語の説明と、当時の様子が分かる模型になっています。
当時の主要人物の家の中の様子なども見られました。
第二次世界大戦、日本軍の侵略、マレーシア独立戦争まで紹介されています。
また周辺の州の歴史、地下には刀などが多数展示されていました。
Perak戦争とは?
Persk戦争とは、1875年にペラックの人々が英国植民地軍と戦った戦争です。
この1年前の1874年、Perakのスルタン(王)が英国居住者のアドバイスを受け入れることに同意したことがきっかけとなりました。
人々は英国人居住者の新しいシステムを受け入れる事ができませんでした。
リーダーがスルタン(王)から英国外国人であるJWWバーチに変わったことに納得がいかなかったようです。
この戦争の主なリーダーが、Pasir Salakに住んでいたダトマハラジャレラという人物でした。
その当時は、パシルサラック、カンポンガジャ、テルクインタン、スンガイペラックは人口密度が高く重要な地域だったようです。
問題は他にもあったようです。
合意したスルタンも戦争にOKサインを出していたようです。
当時のスルタン、アブドラ氏は「アドバイス」という解釈をしていたようですが、イギリス人のアンドリュー・クラーク卿は「アドバイスに従う」すなわち命令と提示していました。
マレー言語と理解の観点から、「アドバイス」には従わなかったのです。
ちなみに、ペラックに最初に住んだイギリス人はJ.W.W. バーチブラインドという人物でした。
“マレーの魂や言葉に耳を貸さず、礼儀正しくて素朴”と評価されています。
Gaja
ガジャとはマレー語で象を指します。
この辺りにはKg.Gaja、Goa GajaなどGajaのつくカンポンがたくさんあるのです。
ヒンドゥ教に象の神様がいるのはご存知の方が多いでしょう。
インド系マレー人が多く、そのためGajaの名がつくのかと思っていました。
が、それは違ったようです。
象に乗って戦っていようなのです。
一級河川とも言えるペラ川を渡るには象が必要だったのかも知れません。
はたまたかつては象が多く住む地だったのかも知れませんね。
PasirSalakヒストリカルコンプレックスへの行き方
かなり田舎で周りにはほぼ何もないと思ってください。
可能であれば、ナビ付もしくはgoogle mapが使用できる状態で車で行くことをお勧めします。
grab taxiだと行きは良くても帰りに来てもらえない可能性大です。
grabで行く場合は、見学中は待ってもらい、往復で交渉するのが良いでしょう。
駐車場らしきものは無いのでご注意下さい。
Kompleks Sejarah Pasir Salak ( Kampung Gajah, Perak )
住所: 36800 Kampung Gajah, Perak, Malaysia
電話: +60 11-1194 1973
開館時間:9:30-17:00(Friday:9:30-12:00/2:30-17:00)
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