小玉さんのお話、その1
ついに先日、月刊フラワーズで連載されていた「青の花 器の森」も完結しちゃいましたね。studio waniの私たちも連載当初から取材協力させていただいていました。
と言っても私たちがやってた取材協力という中身は、この道具の名前はなんて呼びますか?とかミニ花瓶のろくろの動画送ってくれませんか?とかそんな質問がLINEでたまーに来るくらいで、そんなんで巻末にはスペシャルサンクスとして名前がばっちり載ってるのがおこがましいくらいです。
(むしろLINEを見返したら変なスタンプ送ってたり最初から随分と舐めた態度とっていました。ごめんなさい。)
とりわけて何か特別な事をしていたわけではないですが、ずっと読み続けていた作品が終わってしまい一人前に喪失感も味わっているところです。
ということで、今回は小玉さんとのお話を勝手にさせてもらおうと思います。
小玉さんと初めてお会いしたのは、まだ連載が始まる一年以上前の2017年の春。
僕はまだ光春窯の従業員として働いていた頃で妻のミリアムと一緒にstudio wani独立に向けて活動を始めたばかりの頃でした。
ある時、波佐見町の町おこし協力隊をしている友人が「波佐見町を舞台にした漫画を描きたいという漫画家さんがいて波佐見町を案内している。」と言って、小玉さんが光春窯の見学に来た時に挨拶をしました。
その時には自分が取材を受けるなんて露にも思ってもいなかったので、「漫画家なんて珍しい職業の人に会えた」くらいにしか思いませんでした。
そんな事があったのも忘れて、夏からかけていた工房のリフォームやDIYもようやく終わり、いよいよ陶芸家としての生活が始まったばかりの頃小玉さんの編集者さんから取材依頼のメールが来ました。
小玉さんの名前は伏せてありましたが、「月刊フラワーズで波佐見を舞台にした漫画の連載を構想中です、よかったらstudio waniの2人に話を聞きたい。」と。
後で聞いたら、取材依頼の段階で噂が広まってしまうとあまり良くないそうで、誰が来るかもわからない取材依頼に断られることも多かったそうです。
ミリアムと相談すると、二つ返事でやりたいと。
漫画家なんてレアな職業の人と話す機会なんて滅多にないし、同じクリエイティブな仕事をしている人の話を聞いてみたいそうで、取材を受ける側なんだけどと思いながら「私たちに出来る事ならなんでも協力します」と編集さんに返事を書きました。
小玉さんの取材日程を決めるにも、ミリアムはまだ平日は通訳のバイトに行っていたので週末しか空いておらず、2人で会うには週末しか空いていませんでした。
僕1人で取材を受けるのならいつでもよかったのですが、ミリアムは僕だけ先に小玉さんに会うのはズルいと言って土曜日に取材して貰えるようお願いしました。
(ミリアムは小玉さんに会うのをとても楽しみにしていましたが、実のところその時はまだ2人とも小玉さんの作品を読んだことはありませんでした。)
そして取材の前日、元職場の光春窯の社長から連絡があり
「やることやって時間空いたけんが、ごめんばってんよかな?」と言われ、否応なしに十数分後には小玉さん到着です。
取材を受ける時は大抵ミリアムが目的で、日本人夫の僕はおまけと思っていたので、ミリアム不在の中で小玉さんと会うのは僕にとっては盾を装備する前に敵にエンカウントしてしまうようなもので、急に訪れた無防備な状況に内心バクバクで緊張しまくり、世間話もほとんどないまま小玉さんとぎこちない空気が流れたまま取材が始まりました。
工房をタドタドしく案内していると小玉さんは写真撮影に広角レンズを使っていました。
どうしてかと聞いたら「帰って見直した時に、見切れちゃってる部分が見たい!ってことがあるんで」と言っていました。
ビデオカメラでも撮影していて、動画で残しておくのも「写真で撮り忘れてしまったところが動画だと写ってるかもしれないから。」と仰ってました。
そして次の日、小玉さんと担当編集者さんも交えて4人でブローチ作りのワークショップをしました。その時は映画「坂道のアポロン」が公開されるちょっと前、小玉さんは舞台挨拶の時に俳優さんにプレゼントしたいと言ってそれぞれ俳優さんが担当する楽器のブローチを作っていました。
小玉さんは「絵が下手なんで」と言って何度も下書きを書き直し、通常2〜3時間で終わるものが4時間かかって完成しました。
ブローチワークショップは普通にやっても予定時間をオーバーする事は良くありましたが、後にも先にも小玉さんが一番時間かかりました。
そしてそのまま小玉さん達を晩御飯に誘い、食品サンプルの野田さんと町おこし協力隊の福田さんも誘ってウチで一緒にもつ鍋を囲みました。
小玉さんには質問攻めで、漫画を描くときは終わりが決まってて描き始めるんですか?それとも描いていく途中で考えるんですか?とか、アニメ化とかドラマ化とかになるのって難しいんですか?とか、登場人物にモデルとなる人はいるんですか?とか色々聞きました。
あまりに気兼ねなく質問しすぎて今となっては無礼だったかも知れないなと思いますが、どんな質問にも気さくに答えてくれました。
聞けば1週間中尾山に泊まり込み、光春窯で従業員と一緒に仕事をしながら取材していたそうです。僕の元職場だからわかりますが、作中に出てくる窯元の現場は忠実に再現されています。筆置きに使っているコップの位置ひとつとってもそのもので、「青の花 器の森」を読んでいると僕も青子と龍生と一緒に働いていたような感覚にもなるくらいです。
濃密に取材しているのがわかります。
それから連載が始まってからも小玉さんはサイン会ついでとか、桜陶祭とか何かのイベントに合わせて取材しに波佐見まで来てはウチにも立ち寄ってくれてました。
小玉さんは家族で来たりもするから取材協力をしているというよりも、次第に親戚が来るような感覚になっていました。
小玉さんが取材のためにフィンランドに行くという話をした時は、ちょうど僕達も北欧に旅行に行く予定にしていたのもあって一緒に行きましょうとか、そんな話もするようになっていました。
小玉さんと話した事が「青の花 器の森」の話に出ていて、こんな事小玉さんに話したような気がする!と思うような所も多々あり、もしやあれが小玉さんの取材だったのかと思うとあまりに気楽に話し過ぎててゾッとします。
もつ鍋を囲んだ時に、小玉さんに「登場人物にモデルはいるんですか?」と質問しました。
「モデルになる人がいるときもあるけど、誰がモデルになっているかは言わないようにしている。」とおっしゃっていました。その人が言わないようなセリフも漫画の中で言ったりもするから、その時にモデルとなった人が傷付いて欲しくないから自分の心の中だけに留めておくそうです。
とても腰が低くて周りの人に感謝が溢れる方で、僕もミリアムもそんな小玉さんの事が大好きになり、取材協力と言いながら家族ぐるみでお付き合いさせて貰うまでの関係になれたのをとても嬉しく思っています。
次の作品も待ち遠しく、波佐見から応援しています。
長くなってしまったので、小玉さんとのお話の続きはまた次の機会に!
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