『三つ子の魂、百まで』vol.4
minobu town
僕たちが暮らし始めた(現在は市川三郷町に居住)身延町という町は山梨県の南に位置する。県土の7%を占め人工は約一万三千人、半数近くが65歳以上の高齢者で少子高齢化が進む。平成16年9月に旧下部町、旧中富町、旧身延町が合わさり現在の身延町となった。
旧身延町では日蓮宗の総本山である久遠寺、旧下部町では下部温泉、旧中富町では西嶋和紙が有名である。
おわりのはじまり
遡ること10年前、当時24歳だった僕はいつものように仕事へ向かう準備をしていると、隣の母屋に住んでいた祖父の様子がおかしいと祖母に呼ばれた。母屋へ行くと、毎朝、仏壇に題目をあげるいつもの祖父の姿はなく、手を合わせ笑みを浮かべたまま横たわる祖父がいた。既に息はなかった。その姿は亡骸というよりは魂が旅立った後の脱け殻、まるで仏様のような姿だった。
昨日まで元気にしていた祖父が明くる日、突然この世を去る。命はふとした瞬間、泡の様に消えてしまうんだ。だから、明日死んでも後悔しない生き方をしていこうと決心し、好きな事や興味ある事を端からやっていった。
暫くして、自由ヶ丘にあったボロシリケイトガラスアートのお店「XODAS」に出会い、人間業とは思えぬ美しいガラス作品に魅了されて、自分にも何か出来ないかと樹を使ったアクセサリーを作ってお店に持っていったら販売してくれる事になった。循環型創作処studioTreeの始まりである。
導かれるように
祖父を亡くした喪失感はなかなか癒えなかったが、不思議と生きていた時よりも近くで見守っていてくれている気持ちになった。葬儀のあと、形見に祖父のお数珠と車の鍵に付けていたキーホルダーを貰った。
その後は取り憑かれた様に創作の世界にのめり込んでいく。創作の世界に出逢った事で、自然や田舎に興味を持ち始め、実際に行動するまで数年掛かったけど、あの時の衝撃が今の自分の礎となっている。
移住先が身延町に決まったある日、ふと祖父の形見であるキーホルダーを見ると身延山と書いてあった。衝撃が走る。
思い起こせば、日蓮宗を信仰していた祖父は度々、何処かへ出掛け、土産に饅頭を買ってきてくれた。その場所が身延町だったのだ。
トントン拍子で何となく決めた移住先であったが、祖父が僕たちをこの地へと導いてくれたのだと悟った。
自分が変わろうと決心して、心に従い自分の道を選択すると運命は変える事が出来るんだよと祖父が教えてくれたようだった。
つづく
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