人の嫌なところばかり見えて、気になってしょうがない人へ
「美しい目が欲しいなら、人の良いところを探しなさい。美しい唇が欲しいなら、優しいことだけを話しなさい。」 byオードリー・ヘップバーン
他人と一緒に仕事をするというのは大変難しいことですね。難なくこなせる方もいれば、そうでない方もいることでしょう。仏教でも、日常よく経験する苦しみの一つに「怨憎会苦」(恨み憎しむものに会う苦しみ)をあげています。
最初は気にならなかったのに、人の言葉や行動に気になるところが出てくるとそれが少しずつ増えて、もう全部が嫌、と思ってしまうことってありませんか?そんなことがよくあるという方は、おそらく細かなことにもよく気がつく、お仕事のよくできる方や、反論などがあっても口に出さない、優しい方なんだと思います。
嫌な人からは離れるといいのですが、そうもいかない場合は”自分”が視点を変えて対処していかないと、”嫌”という気持ちがなくなることはありません。”嫌”と思い込んでいる心を一度捨てなければいけません。まずは深呼吸をしましょう。
他人の過ち、したこと、しなかったことを見るのではありません。ただ、自分がしたこと、しなかったことだけを見るのです。「その人と話す時、自分が仕事でうまくいかないことがあって、嫌な気持ちで接していなかったかな」「そもそも話すのが嫌になっているから、きちんと全部を伝えていなかったかもしれないな」などと思い返せることもあるかもしれません。
我慢せよと言っているのではありません。まずは自分の心を正しく整え、他人に思いやりを持ってきちんと伝えるのです。そして自分もその通りに行動します。そうすると、相手と自分が鏡を通して見合っているかのように、心が近づくのが分かります。さらに、周辺にも波及するんです。
それができるようになることは、「愛」することができるようになる、ということです。「え?!なに? 嫌と思っている人を好きにならなきゃダメってこと?」なんて思われるかもしれませんが、そういうことではありません。
何か一つに対してだけ愛する、などということではなく、その人や自分と共に生きている世界全体を愛するという、もっと大きなスケールでの話です。大げさに感じますか(笑)?でも本当ですよ。オードリー•ヘップバーンのこの言葉も、きっとこういうことなんじゃないかと私は思います。
それは決して簡単ではありません。愛する技術を習得するために、高い集中力やトレーニングが必要なのです。絶え間ない努力をしてもなお、また忘れてしまって同じところに戻ってしまうこともあります。でもまた深呼吸して、自分の心と向き合うことから始めたらいいんですよ。