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故人に関わる迷信
迷信 (めいしん、 英: superstition )とは、人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているもの 。 一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、 道徳 に反するような 知識 や 俗信 などをこう呼ぶ 。 様々な俗信のうち、社会生活に実害を及ぼすもの である。 人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているものは多くあるが、一般的には、そのなかでも社会生活を営むのに実害があり道徳に反するような知識・俗信を「迷信」と呼んでいる。 何が迷信かという判定の基準は常に相対的で、通常は話者の 理性 による判断から見て不合理と思われるものをこう呼んでいる 。
はじめに
ここに記載する内容は、とある小さな街での風習に私が感じた矛盾を綴っています、人の死に関わる迷信について語っており、その矛盾点に対してツッコミを入れているので、気分を害したりする可能性がございます、読んでいただける場合は自己責任でお願いします。ただし、決して古くから伝わる迷信を馬鹿にしているものではありません、ご理解ください。
迷信①亡くなってから四十九日過ぎるまでは、故人の魂は家に居る
私が子供の頃から聞かされていた言葉にこんなことがあります、子供ながらに少し怖かった記憶があります。調べて見ると、仏教でのお話になるのですが、人が亡くなると極楽に行けるか否かの裁判が7日おきに開かれるらしい。つまり亡くなってから最初の7日目を「初七日」、最後の裁判が終わる日を「四十九日」というわけです。なので、7日ごとに法要が行われていたのですが、時代の流れでしょうか現在では四十九日の法要だけが残っているようです。そんなわけで、要するに裁判が終わるまで魂は家に居ると言われているようなのです。
ちなみに出棺のときに「死者の茶碗を割る」というのは「ご飯を食べに戻ってこないように」、棺に釘を打つのは「こちらへ戻らずに、三途の川を無事に渡りきれるように」という意味があるそうです。
迷信②火葬場から帰る時は違うルートで帰れ!
火葬場から帰るときは、行きと違うルートを通るものだと言われています。 亜種の迷信としては斎場から出棺する際に、棺をぐるぐる回すという地域もあるらしい、いずれも亡くなった方の方向感覚をなくすためと言われています。なぜなら戻ってこないようにするためだとか。
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疑問①家に居るのについて来るなとは?
迷信①では四十九日までは魂は家に居る、それは裁判があるからだと聞きました、しかし迷信②では戻ってこられないように別ルートで帰れと言う。さて、方向感覚を麻痺させたり、帰り道をルートを変えて帰り、警察から逃げる逃走犯の様に魂を巻くのは良いが、魂は家に四十九日居るわけですから、巻くと言う行為は果たして意味があるのだろうか。必死で巻いたのに家に居る、『四十九日過ぎるまでは家に居るんだからね!ちゃんと見てるんだから!』と子供に言い聞かせたりもする。いや待て、付いてこないように巻いたよね?置き去りにして逃げて来たようなものだよね?どの口が言ってるんだい?って話しです。
迷信③お盆のなすときゅうり
迷信と言うのは失礼かもしれませんが、お盆の時期、故人やご先祖様の霊が家に戻ってくる時に行き来する乗り物として作られたとされる『精霊馬』
「霊が戻って来るときはきゅうりの馬に乗って早く家に帰って来てもらう、少しでも長くこの世にいてもらいたいから帰る時にはなすの牛に乗ってゆっくりと帰ってもらいたい」という願いが込められているそうです。所説ありますが、地域によってはゆっくりと故人やご先祖様をお迎えするために「なすの精霊牛」、帰りは迷わずに帰ってもらうために「きゅうりの精霊馬」を置く。故人やご先祖様の霊は行き帰りどちらもきゅうりの馬で、なすの牛には供養するためのお供え物などの荷物を載せて帰るとも言われている。
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疑問②あんなに巻いたのに?
ついてくるなと巻いたのにお盆にはおいでと呼び寄せる。友達も毎日来られたらウザいけど、たまに来るから良いみたいな感覚だろうか。それとも現世に未練を残さない為的な、敢えて自分の心に鞭を打っての所業なのだろうか。ただ、ここでまたツッコミなのだが、帰りはなすでもきゅうりでもいい、何だったらパイナップルに乗って帰ってもらってもいい、お迎えはどういうスタンスなのだろうか、馬が迎えに行くって設定なのかな?そんな事を言い出したらキリがないから迷信と呼ばれるのだろうけれど、きっと『願い』からくる迷信なのでしょうね。ただどうしても巻いたのに迎えると言う所に矛盾を感じざるを得ない。
迷信④成仏できなくなるからいつまでも悲しむんじゃない。
いつまでも皆が悲しんでいると成仏できなくなる、あの世に行けなくなると昔よく聞かされました。
死後に極楽あるいは天国といった安楽な世界に生まれ変わることを指し、「成仏」ができない、ということは、死後もその人の霊魂が現世をさまよっていることを指していることがある。
疑問③成仏したら来ないでしょ
迷信④であげたように、成仏してほしいと言う願いではあるようだが、成仏してしまったらなすやきゅうりの乗り物の意味は?生まれ変わって新たな人生をおくるんですよね?ならお盆にはもう帰って来ませんよね?『あ、私生まれ変わりましたんで、もう来れなくなります』という故人からの知らせが無い限り、現世ではずーーーーっとお盆になすときゅうりの乗り物を用意をするわけですよね、仮に毎年来てるとすれば成仏してない、彷徨っていると言う事になります。偲ぶと言うならわかるのですが。
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とは言ったものの、迷信には語源もあるかもしれません、その語源がとても意味のある大切なことが隠されているかもしれないわけで、普段何気なく耳にしている迷信も掘り起こして見ると新しい何かを発見できるかもしれませんね。