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小説『Hope Man』第10話 加奈子
母親の喜美が捨てたまことちゃん8巻。
母親が2階に住む姉・純子の家に行っている間にゴミ箱袋をこじ開け、破られたまことちゃんのページを全部かき集めた。
ゴミ袋をキチンと縛り直して龍一は部屋に籠った。
泥だらけでページも訳が分からなくなっていたが、丁寧に絵具の筆で泥を払う作業をした。しかし、沁み込んだ泥は全く落とすことが出来ず、結果的に使える資料としては何ページも残せなかった。折角本屋の居眠り爺ぃが20円オマケしてくれたと言うのに。それでも龍一はその数枚を手にし、机に向かった。
毎日集めたチラシの裏の白い面にまことちゃんを描き始めた。龍一に最高に楽しい時間が訪れた。描く楽しさ、描ける楽しさ、龍一は本当に楽しかった。
この日から龍一は毎日毎日まことちゃんを描き続けた。
紙が真っ黒になるほど隙間なくまことちゃんを描き続けた。同じ顔ばかり描いていると気づく事があった。線を引くときのチカラ加減やペンの角度。龍一はどうやったらブレずに描けるか等を考えるようになった。
ここで考え出したのが紙を回転させる事だった。
楽に引ける角度を見つけると同時に、常に紙にライトが当たると言う龍一にとっては画期的な発見だった。やがて見なくてもまことちゃんを描けるようになっていった。
好きこそものの・・・とでも言うのだろうか、ここから龍一の絵の感覚が鋭くなっていった。
集中力もつき、毎日毎日描き続けた龍一。
指の皮がむけて血がでてもその手を止める事は無かった。大好きなものを否定されたショックと怒りが彼を突き動かしていたのだ。絶対に見返してやる・・・彼にとっての『復讐』だったのである。
夏休みの課題で『交通安全ポスター』の市内全校の大会があった。ここを復讐の時だと決めていた龍一は全身全霊で挑んだ。インターネットなど無い時代、資料も無ければ見本もない、龍一の感性だけが勝負の鍵となった。ところが龍一は交通安全ポスターなのに車を描かないと言う暴挙に出た。
そして人も描かず、横断歩道すらも描かない。
真っ黒な星空に満月を描き、白い文字で『お月様が見ている』と書いた。斬新と言えば斬新で、攻撃手段としてはトリッキーと言う意味では面白い、しかし小学生のポスターとしては少々深すぎる。だが龍一は一発でそれを『できた!』と言ってペンを置いた。
夏休みが終わり、ポスターの選抜となった。
クラスの中では先生が最初から『こんなのは話にならない』と切って捨てた。それは龍一のポスターだった、しかし龍一は諦めていなかった。なぜなら全校生徒が投票して、全ての先生が投票して初めて選抜なのだから。
ここで終るわけじゃない。
廊下に張り出され、投票ボックスが置かれる。
勝負は1週間。
結果発表の日が来た。
結果は龍一の作品が『金賞』だった。
龍一の復讐はここに完成した。
あの日馬鹿にした担任の稲山先生は『よくやった!よかったな!』と龍一の頭を撫でようとしたが、龍一はその手を避け『ありがとうございました』と礼を言った。
礼に始まり礼に終わる。
テコンドーの自主トレーニングを今でも続けている龍一の心には、師範の言葉がちゃんと刻まれていた。その後選抜された龍一の作品は市内で全校生徒の作品と闘い、市民の投票により見事に『金賞』を受賞した。
龍一の完全勝利だった。
その後も数々の賞を総舐めにし、龍一は絵が上手いと皆から評価を得た。
絵を描くと人が集まるようになった。
やがて、絵を描かなくても友達としてみんなが声かけてくれるようになった。
自分で道を切り開いた龍一。
たかが絵、されど絵
少なくとも龍一は絵で救われたのだった。
6年生になった龍一。
残り1年なのにクラス替えが行われ、心機一転と言ったところだが、この頃はもうクラスをまたいで遊んでいたので、顔なじみが集まった印象。毎日学校へ行くのが楽しくなり始めていた矢先、一人の女の子【住吉 加奈子(すみよし かなこ)】が龍一に声をかけて来た。
この子とはあまり話したことが無かったので龍一は少し緊張した。
龍一の袖をちょこんとつまんで引っ張り、廊下に連れ出した加奈子。
『桜坂君のこと、ずっと見てたの。』
『う・・うん』
『好き・・・だと思う・・・』
『う・・うん』
『それだけなんだけど・・・』
『あ、ありがとう』
じれったくもあり、初々しい告白を受けた龍一。
黒髪のロングヘアーで少し影のある、いわゆる陰キャな色白の女の子、スラリと細く伸びた手足、切れ長でまつ毛の長い日本人形の様な加奈子。
伝える事を伝えると、お茶くみのカラクリ人形のように、しずしずと教室に戻っていった。
それからというものの、加奈子は急に積極的になり、陰キャのイメージが全く消え失せ、龍一と目が合うと教室内でも手を振り、帰りも『帰ろう!』と龍一の手を握ってスキップした。
当然周りはヒューヒューと冷やかしたが、加奈子はガン無視で龍一に夢中だった。
龍一も最初は加奈子が気味が悪い幽霊のような印象だったが、最近はとても可愛く見えており、周りが冷やかしても気にならなくなっていった。
そんなある日、龍一が加奈子の姿が見えない事に気が付いたお昼休みの事。
クラスメイトに聞くと男子に連れられて行ったと聞く。
恐らく体育館裏だと予想し、龍一は走った。
そこには3人の男子に囲まれている加奈子がいた。
『お前目障りなんだよ、好き好きビーム出し過ぎなんだよ』
『幽霊が恋してんじゃねーよ』
『幽霊加奈子がよー!』
それが聞こえ、怒った龍一は走り込んで一人に飛び蹴りをした。バランスを崩した龍一は勢い余って加奈子にぶつかり、加奈子が転んだ。もう2人が転んだ加奈子を蹴ろうとしたので、龍一は四つん這いで走り、加奈子に覆いかぶさった、龍一ごと蹴りを入れる3人。
『お前ら見てるとムカつくんだよ!』
そう言いながら思いっきり龍一を蹴った。
龍一は加奈子の頭を抱きかかえるようにして『きっと終わるから、希望を持って』そう呟いた。
加奈子は泣きながら『うん』と答えた。
最初に蹴られた1人は特に龍一に蹴りをしつこく入れていた。
手を踏みつけたり、靴を脱いで頭を何度も叩いたり。
人の恋路が羨ましいモテない男子3人の憎悪は意外にしつこく、随分と長い事蹴り続けられた。
昼休み終了5分前を知らせるチャイムがリンチを終わらせてくれた。
龍一は右手から血を流していたが、加奈子を気遣った。
『大丈夫?痛いところない?』
『うん、桜坂君、手から血』
『あぁ、慣れてるから』
おもむろに落ちている釘を掴んだ加奈子は自分の右手をそれでひっかき、血が滲んできたのを龍一に見せてこう言った。
『これで同じだね』
『なにしてんだよ・・・え?』
加奈子は笑顔だった。
龍一はその笑顔を見て、心がぐるぐる回った。
訳も分からないまま龍一は、地面にペタンと座ったまま加奈子に告げた。
『俺、加奈子ちゃんが好き』
『ありがとう、私も好き』
そう言うと加奈子は、そっと龍一にキスをした。