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多治見ディープ観光 石心参禅蔵を訪ねてみました

何度かその前を歩くたび、一体ここは何?の疑問を抱えていた場所を勇気を出して訪ねてみました。本日はその記録です。

謎の建物「石心参禅蔵」

多治見のぎんざ通り商店街の近くの路地を行くと突如現れるこの建物。 東濃の歴史資料蔵の看板。

そしてこの看板。

見学したい人は電話してくれと張り紙があったので電話をしたらこちらを管理されている熊谷さんという方がすぐ建物内から出てきて案内してくださいました。(いつもいるわけではないようなのでラッキーでした。見学したい方は事前連絡必須です) この「石心参禅蔵」と名付けられた建物は幕末から江戸と大阪に店をもち、手広く美濃焼の販売を行った豪商「西浦家」の3つの蔵を使った資料館でした。 蔵は全部で7つあるそうです。どうもこちらは西浦家の分家にあたるようで残りの4つは本家の敷地内にあるようです。

西浦焼きは明治時代に海外輸出向けに作られた美しい染付の焼き物で、多治見では多治見市美濃焼ミュージアムで見ることができます。   がしかし、この資料館は西浦焼きを観る資料館ではありませんでした(一部展示はありましたが)。 では何が所蔵してあるのか?というと西浦家が持っていた数々の収集品や歴史資料のようなものです。 一歩資料館に足を踏み入れると熊谷さんの怒涛の解説が始まります。さてそれを再現できるかどうか、頑張ってみます。

石門心学って何??

まず案内されたのが3つの蔵の真ん中。中には書ばかりが展示されています。

熊谷さん、いきなり石門心学が云々とお話を初めて目が点となります。 要約すると石門心学というのは江戸時代に提唱された正直・質素・倹約などを大事にせよという道徳的な学問ということらしいです。

石田梅岩が石門心学の開祖。 江戸末期、3代目西浦円治の時に西浦家で番頭をしていた熊谷東州(熊谷さんのご先祖?)が西浦家の江戸店を任されて江戸へ。そこで石門心学に魅せられて学び、その時に西郷隆盛を説得したという幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家である山岡鉄舟らと親しくなったそうです。 で、その石門心学の資料や山岡鉄舟の書、そして何と西郷隆盛の書!がところ狭しとこの蔵に展示されているということなのです。

↑西郷隆盛の書だそうです。本物ですって。

↑幕末の三舟 勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の書 だそうです。 まさかそういったものを多治見で観れるとは思っていなかったので意外な展開です。 ひとしきり書物の説明をお聞きした後は、隣の蔵へ。

加藤五輔さんの絵付けと西浦焼き

こちらには西浦家の収集した各地の陶磁器や西浦焼きも一部展示されています。

熊谷さんの説明で最も力が入っていたのはこちら。

明治天皇が多治見の地に来られた際に実際にご覧になったものだとか。これは加藤五輔さんの手描きだそうです。

↑加藤五輔さん。 (そうそう、明治天皇が多治見を訪れたということの裏には熊谷東州が、付き合いのあった明治政府の官僚らに働きかけたから、というお話も) 西浦焼きの展示も。

やっぱり美しいですね。

西浦庭園

最後の蔵にはかつての西浦庭園(石心参禅蔵の前にある御幸公園がその庭園だったそうです)鳥瞰図やその他資料が展示されていました。

こんな美しい庭園がこの地にあったんですね。 その他資料は西欧を訪れ陶磁器研究をした西浦猪三郎さんが海外から送った大量のポストカードなど。

これらのポストカードを読み解き新たな解説を書かれている方が現在いらっしゃるとか。楽しみです。 猪三郎さんの海外視察の報告資料。

海外で陶磁器産業を調べてきたこの猪三郎さんのアドバイスもあって西浦家5代目の時に西浦焼きが大成したそうです。 アメリカを中心に海外への輸出で大変栄えた西浦家も明治44年、工場閉鎖に追い込まれ歴史に幕を下ろしたことで西浦焼きは幻の焼き物と言われているのだとか。 今度は西浦焼きをもっとみたくなりました。 石心参禅蔵は熊谷さんお一人で管理されているようです。なかなか知ることの出来ないこうした多治見のマニアック史。興味のある方はぜひ。


石心参禅蔵( 多治見市御幸町3丁目10 )見学したい方は電話で連絡すると見せて頂けます。

建物の前に熊谷さんの携帯番号が書かれた紙が貼ってありますが公表して良いか分からないのでふせておきますね。現地で見てみてください。

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