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多治見市・市之倉町で見付けたイタリア製タイルの謎

先日多治見市の市之倉陶祖祭で町を散策していた時にこんなものをみつけました。

「熱海の蜂須賀侯爵邸に使用されていたイタリー製の高級タイル」 と説明書きのあるタイルが古びた窯元のショーウィンドウに飾られていました。 よくよく近付いて見てみると、むむむっ。
何だこのタイルは?
何だこの異国情緒たっぷりな邸宅は?気になる〜!!!
というわけで、このタイルについて調べてみることにしました。

蜂須賀侯爵ってどんな人?

まずこの蜂須賀正氏という人物は一体何者でしょう?

蜂須賀 正氏(はちすか まさうじ)  1903年生まれ。元は阿波国の藩主で明治以降は侯爵家となった蜂須賀家の18代当主。
ケンブリッジ大学に入学し、鳥類研究に没頭、絶滅鳥ドードーの研究をして、さらにはアフリカ探検に出かけ日本人ではじめて野生のゴリラと対面、などなど興味深い経歴の数々。同時にスキャンダルも数多くあったようで爵位を汚していると批判を受けて終戦直前にはその爵位を返上したのだとか。 侯爵については黒川清氏のブログにこんなことが書いてありました。長いですが以下引用します。

なんという冒険心、駆り立てる情熱。破天荒。これがまさに今の日本にかけているのです。今、どこにこんな人がいるでしょうか。何不自由ない身分でありながらリスクをとり、結局、侯爵を剥奪される。世界を駆け巡り、世界中に沢山の友人を作る。UCLAでPh.D.を取得し、戦時中の困難を乗り越えてイギリスで“Dodo”の本を出版。しかし、本が日本に到着する直前に急逝。なんという人生。本当にすばらしいと思います。英語や日本語で多くの学術単行本を出版し、多くの学術成果を残しています。“Hachisuka line”として知られる生物地理区分線や、世界では “Marquis de Hachisuka”としてよく知られている存在で、世界的に著名な方です。

kurokawakiyoshi.comより

蜂須賀正氏曰く、“Take off the narrow-mindedness!!”と。今まさに日本人に必要なのはこれではないでしょうか。

kurokawakiyoshi.comより


こんなに凄い人がいたんですね!
全く知りませんでした。
とにかくそんな侯爵が熱海に建てたのが今回取り上げる建物、熱海別邸です。

蜂須賀侯爵熱海別邸とは?

本邸についてはいくつも画像が出てくるものの、熱海別邸についての画像はインターネットで検索してもほとんど出てきません。 手がかりはショーウィンドウに飾ってあったこの写真のみ。

 図書館で調べてやっと別邸の別の写真が掲載された写真集を見つけることができました。

失われた近代建築 2 文化施設編 posted with ヨメレバ 藤森 照信 講談社 2010-05-26 Amazon


この建物、昭和61年に解体されてもうこの世には存在していないとのこと。どおりでネット検索しても写真が出てこないはず。

東京三田の本邸はイギリスチューダー様式でカチッとしたザ・洋館な印象。それに対して昭和14年に建てられたこの熱海の別邸は当時人気だったスパニッシュ様式を取り入れたらしく南国情緒たっぷりな、でもどこか癖のある異様な雰囲気。
白い壁にイスラム風の装飾、アーチ型の木の扉。室内外にほどこされたカラフルなタイル、庭には椰子の木。 写真では市之倉で見付けたものと全く同じタイルは見当たりませんでしたが、きっとこの邸宅のどこかで使われていたんでしょう。
もっとこの建物について知りたい!とリサーチを続けていたらこの建物について書かれたエッセイを発見。

蜂須賀正氏の娘、年子の家庭教師をした方が書いたものらしいです。

この屋敷には、沢山の部屋があちこちにあるが、いくつあるのかは、不明だ。正子と私が、よく行ったのは、山に沿って建てられている階下の部屋で、屋根もガラス張りの、巨大な温室である。 温室といっても、床は大理石でできている大広間であって、真ん中に深い温泉プールがあり、そばに真湯(まゆ)のバス・タブが埋め込まれていた。背の高い緑の植栽があり、その下に古ぼけた籐椅子がふたつ、並んで置いてあった。 穂高健一ワールド より

屋根もガラス張り、床は大理石の温室!温泉プール!緑の植栽、籐椅子。
残念ながら写真集にはこの温室の写真は掲載されていませんでしたがこの温室のスタイルが後に「ジャングル風呂」という温泉スタイルとして一世風靡を果たすことになったのだとか。

ジャングル風呂実物がどんなものだったのか今となっては見ることができないのが残念です。

なぜ蜂須賀侯爵別邸のタイルが多治見に!?

そして、今回の本題。
なぜこの幻の邸宅、蜂須賀侯爵家の熱海別邸で使われたイタリア製のタイルが多治見市市之倉の古びたショーウィンドーに飾られていたのでしょう?

ということで日を改めてもう一度このタイルの飾ってあった窯元を訪ねてみました。

しかし自宅も工場らしき場所も閉じられていて誰もおらず。
ご近所さんに伺ってみたらその窯の当主は数年前に亡くなられていて、今は病気の奥様と息子さんがいらっしゃるだけだとか。

親戚だという方を教えてもらい尋ねたら息子さんに連絡を取ってくれました。 このタイルの経緯を聞いてもらうと、熱海に住んでいたおばさんが持ってきた、ということしか教えて頂けませんでした。

ショーウィンドウにタイルを飾ったのは亡くなられたお父さんで詳しいことは息子さんにも分からないとのこと。窯ももう閉めてしまっているとのことでこれ以上詳しいことは分かりませんでした。

たった一枚のタイルから興味深い歴史を知ることができて面白いリサーチになりました。

あまりタイルに興味がなさそうだった息子さん、どうかこのタイルをポイっとどこかに捨ててしまうようなことだけはありませんように!

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