![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18468360/rectangle_large_type_2_c9d160fd04de26c1baccedacd5756b95.jpeg?width=1200)
#0 あっき~さんにインタビューしてみた(1)
こんにちは。あっき~です。
このnoteでは身のまわりの音楽をやっている人にインタビューをして、その人となりを知ってもらおうというコンテンツです。
#0では 、自分で自分の今までの活動を振り返った内容をインタビュー形式にしました。
ではスタート。
+ + +
―
自己紹介をお願いします。
あっき~
あっき~です。
自己紹介は前回のnote参照で。
―
楽器をはじめたきっかけは?
あっき~
小学校のクラスメイトが和太鼓を習いにいってて、誘われたのがきっかけです。
本当になんとなくはじめたって感じ。
―
和太鼓ってどういう活動内容だった?
あっき~
地元の市の職員で運営してる団体に所属して。
地元のお祭りとか、市民会館の催しとかで演奏したりしていました。
―
それはどれくらいの期間やってたの?
あっき~
小5,6の2年くらい。
そのあとは引っ越したりしたので、だんだん行かなくなって自然消滅みたいな。
中学になって音楽の授業でドラムを演奏する機会があって、8ビートを教わったりしたけど、バンドを組むとかは全然なくて。
高校に入ったらバンドしてみたいなー、と思って、高校のときは軽音楽部に入部しました。
―
はじめてのバンドはどうだった?
あっき~
そもそも音楽に疎かったというか、テレビで流れるようなJ-POPくらいしか聞いてなかったから、特定のバンドやアーティストの曲を演奏してみたいとかは全然なかったです。
で、ギターの子が速弾きが得意だったのもあって、何もわからずにヴァン・ヘイレンの曲とかやってました。
学祭のライブで「ジャンプ」とか演奏してました。
その後は速弾き好きつながりでMr. Bigをコピーしてました。
今思うと、全然コピーできてなかった気もしますが(笑)
―
他にエピソードは?
あっき~
ドラマー人口が1学年に1~2人みたいな感じだったから、バンドをかけもちすることが多かったですね。
パンクっぽい曲のバンドとか、オリジナルとか。
部室のスタジオで延々、数コードでできるようなセッションしたり。
後、地元にあったライブハウスに出演したりしていました。
―
で、高校を卒業した後は大学?
あっき~
そう。大学のサークルで。
このときも洋楽、邦楽のコピーとか、オリジナルの曲を演奏したりしていました。
サークルのときも、ドラムは1学年に数人で、先輩も後輩も関係なくバンドを組んでたから、実質10人くらいドラマーがいたと思います。
そのとき、他のドラマーがいるのに、何で自分が誘われたんだろう?って思うことがあって。
スキル的に合うというのもあるけど、例えば、こんなジャンルの曲が好きそうとか、こんな曲だったら演奏する感じが合いそうとか、一緒にバンドやったら楽しそうとか、スキル以外の部分が大きいんじゃないかなぁ、とぼんやり考えるようになりました。
で、演奏以外のバンドの関わり方を考えるようになったとき、スケジュール管理なら自分でもやれるかも、と思って率先して予定を決めるようにしてたかも。
―
大学のときに組んでたバンドは社会人になって続ける気はなかった?
あっき~
全然なかったです。
地方から大学に来て地元で就職したメンバーもいたし、社会人になると仕事が忙しくてバンドどころじゃないと思ってたから。
+ + +
次回に続きます。