#27 りょうちんさんにインタビューしてみた(2)
こんにちは。あっき~です。
このnoteでは身のまわりの音楽をやっているバンドマンやシンガーや音楽に携わる人にインタビューをして、その人となりを知ってもらおうというコンテンツです。
#27 りょうちんさんにインタビューしてみた(1)の続きです。
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AIR MASTERの活動
あっき~
高校在学中もインディーズバンドで活動するようになって、高校卒業してからはインディーズバンド一本で本格的に活動するようになるんですか?
りょうちん
高校を卒業して、一応、専門学校に行ったんですよ。
音楽の専門学校にドラム専攻で。
ただ、1年で辞めました。
というのも、授業の内容も充実してて面白かったんですけど、専門学校に行くことがバンドの活動の足かせになってきて。
あっき~
そうなんですか。
りょうちん
ツアーに出て、各地のライブハウスでライブもしてたから、出席できない日が増えていったんですよね。
音楽で成功するためにライブをしてるのに、学校からは「ライブよりも出席優先で」と言われると、自分の活動に足を引っ張られるのも嫌だな、と思って辞めました。
あっき~
ツアーもしてるなら、物理的に出席するのは難しいですね。
りょうちん
そうですね。
専門学校のカリキュラム自体も「インディーズでCDを出そう」みたいな企画があったんですけど、もうインディーズバンドで活動してたし、気持ち的にも若かったんで、「なんでこんなことをせんとあかんねん!」みたいな気持ちになったのもありましたけどね。
今はそんなふうに思わないですけど(笑)
あっき~
ドラムを教わってたっていう印象がなかったので、専門学校に行ってたっていうのは意外な感じでした。
りょうちん
専門学校に行くまでに、僕の中ではドラムの基礎が出来上がってたので。
独学なんですけど、自分的にはそれが合ってたと思ってて。
(上達するのに)遠回りな練習のやり方をしてたんですけど、ただ、その遠回りした経験が後から効いてきたりしてたんで。
あの時やってたことは別にムダじゃなかったな、って感じることも多かったから。
自分なりに創意工夫してやってたのは良かったな、と思います。
あっき~
なるほど。
じゃあ、オリジナルの曲を作って、ツアーしてって生活はいつ頃まで続くんですか?
りょうちん
24、5くらいまではやってました。
もう音楽中心の生活でしたね。
それでバンドだけじゃ生活できないんで、他のバンドのサポートをしたり、レコーディングだけ参加したりしてました。
後は、バンドが所属してた事務所経由で、テレビの仕事とかも頂いて、やってました。
あっき~
絢香のバックバンドで演奏したこともあったんですよね。
りょうちん
テレビの仕事は当て振りなんで、撮影セットの一部みたいな感じでしたけどね。
けど、ドラマーとしてのプライドが邪魔して、辞めちゃいましたね。
今やったらいくらでもやるよ、って思うけど、当時は自分の音を出せないっていうのがすごいストレスで。
結局、バンドで成功したいと思ってたし、単発の仕事はあくまで生活のためと思ってやってました。
あっき~
そうなんですね。
で、24、5くらいでバンド活動が落ち着く、と。
りょうちん
何枚かCDを作って、メジャーのレーベルに所属したりもしたんですけど、結局のところ(CDが)売れなかったんですよね。
当時はCDの売り上げがすべてみたいなところがあったから、CDが売れないと、インディーズのレーベルに落ちるんですよ。
そうなると、お金をかけられる単位が全然違うのもあるし、一回(インディーズに)落ちるとメジャーに上がるのって難しいんですよ。
あっき~
「もう一度、メジャーで勝負したい!」って感じにならないんですか。
りょうちん
一度メジャーレーベルを経験してるから、(売れるのは)難しいって分かってたんで。
周りの意見としては、「一回落ちたバンドを引き上げるより、新しいバンドをメジャーに引き上げる方が成功するんじゃないか」っていう考えがあったのかもしれないですけどね。
そういうのがあって、バンドが方向性を見失って、活動休止になりました。
あっき~
そうですか。
りょうちん
大きいライブハウスでワンマンライブして、お客さんをたくさん呼んで、僕らの中では精一杯やれることをやったんですけど、「これであかんかったら、次はどうすれば良いんやろう?」ってなってしまって。
あっき~
それはそう思いますよね。
りょうちん
一方で、ライブの動員は少ないのに売れていったバンドを目の当たりにすると、「お客さんをいっぱい呼べば売れると思ってたら、自分たちがやってたことは無駄やったんかな?」って思ったりもして、方向性を見失ったんですよ。
周りのメンバーは年齢も30前後だったから、将来のことを考えるじゃないですか。
あっき~
そうですよね。
りょうちん
そんな感じで、バンドは一回終わったみたいな感じですね。
バンドの次の活動へ
あっき~
バンドが一区切りついたりょうちんさんは次、どうするんですか?
りょうちん
とりあえず、バンド活動してる間にできなかったことをやろうと思って。
当時バンドで乗ってた機材車を売った頭金で、スポーツカーを買うんですよ。
あっき~
機材車はりょうちんさんの所有だったんですね。
りょうちん
機材の量がバンドの中で一番多いから、機材の積み下ろしのことを考えると、僕が機材車を持ってるのが効率が良かったんですよね。
あっき~
なるほど。
りょうちん
元々、車が好きやったんですけど、ドンと車にハマりました。
あっき~
で、サーキットで運転したりするんですよね。
りょうちん
僕、ハマるととことん突き進んでしまうタイプなんで。
車いじりだけで止まってたら良いのに、そのままサーキットまで行っちゃうんですよ。
あっき~
あんなすごい車だったら、サーキットじゃないとまともに走らせられないってのもあると思いますけど(笑)
りょうちん
そんな感じで2、3年くらい車にハマりながら、遊びでドラムをたたいたりしてるうちに、アニメとかを見るようになるんですよ。
バンドを本格的にやってたころはアンチオタクやったんですよ。
「オタクとか苦手やわー」って思ったくらい。
当時はけいおん!(K-ON!)が放送されてたころで、いざ見始めると結構面白かったんですよ。
けいおん!は音楽とか、楽曲のフレーズとか、アニメの内容とか、バンドマンを釘付けにするような要素が多くて、「面白いやん」と思って見るようになりました。
けいおんを見るまでは、アニメをナメて見てたのに、曲がとてつもなくヤバくて完全にやられましたね。
で、見始めたら曲をコピーするじゃないですか、プレイヤーなら。
あっき~
そうですね。
りょうちん
当時、ニコニコ動画の「演奏してみた」動画が流行ってて、「バンドを組まなくても、演奏した動画を投稿するっていう楽しみ方もあるんや」と思って、ひたすら演奏動画をあげるようになったんですよ。
あっき~
なるほど。
りょうちん
そこからアニソンのバンドを組むようになるんですよ。
ベースのぺくちんと。
ぺくちんは元々、インディーズのときの後輩バンドで、彼らのバンドをサポートしたこともあるつながりで知り合って。
ぺくちんはずっとアニメが好きやったのを知ってたから、アニソンの演奏してみた動画のURLを送って、「アニソンバンドをやりたいから、やらへん?」って誘って。
あっき~
それがアニソンバンドをはじめるきっかけだったんですね。
りょうちん
それでバンドを組んだころは江坂MUSEでライブをしてたんですよ。
アニメ好きのバンドマンを集めてライブをするイベントがあったんですよ。
あっき~
そんなイベントがあったんですか。
そのイベントは誰が主催だったんですか?
りょうちん
そのイベントは江坂MUSEのスタッフさんがブッキングしてたイベントです。
江坂MUSEはAIR MASTERのころから付き合いがあって、スタッフの知り合いが多いんで、「アニソンのイベントをやってくれませんか」ってお願いしたら、「アニソン好きなバンドマンを集めてイベントしてみようか」っていう話になって、イベントを企画してくれたりしたんですよ。
あっき~
そうなんですね。
りょうちん
でも、企画してくれたスタッフが別のライブハウスに異動になってしまって、今まで出させてもらってたイベントがなくなったんですよ。
それでライブができる場所をどうしようか、って考えてたころに「どうやら、南堀江ZEROってライブハウスがアニソンに力を入れてるらしい」って話を聞いたんですよ。
あっき~
そこにつながるんですね。
りょうちん
「そんなライブハウスがあるなら、ライブしてみたい!」と思って行ってみたら、今、アニソン関連でバンドをやってる人たちと知り合った、という感じです。
あっき~
なるほど。
それにしても、南堀江ZERO以外のライブハウスでもアニソンのイベントを企画してるようなライブハウスもあったんですね。
りょうちん
やってましたね。
まぁでも、アニソンをコピーしてライブをするっていうのが流行り出して、色んなアニソンバンドが増えていって、南堀江ZEROに集まっていったっていう感じですかね。
あっき~
そうかもしれないですね。
りょうちん
当時は今でいう「固定バンド」を組んでライブに出てたけど、イベントのためにバンドを組むような「企画バンド」って少なかったし。
けど、イベントでよく顔を合わせる機会が多くなったりして、企画バンドに誘ってもらえるようになったりして。
あっき~
そうですね。
りょうちん
そんな流れでアニソン関連のイベントに出入りしてますね。
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次回に続きます。
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