【マンガ業界】感覚と常識の違い

マンガ家芦原妃名子先生の件で、出版業界の「当たり前」が理不尽で異常であることが徐々に明るみに出るようになってきた。

世間様との感覚の大きなギャップがあることを知ってほしいと思ったので、私が知っていることを今回いくつか書き留めておきます。

作家はただの下請けの外注業者に過ぎない

出版社の外向きのポーズは全然そんなことないんです。そして、多くの読者や世間様は、以下のようにあるべきだ、と思っているんじゃないでしょうか。

「出版社は作家に寄り添い作家を守る盾である」

勿論、それは建前です。原作者には法的に著作者人格権が明確に規定されていて、それを行使されては困るので、「あなた達の敵ではありませんよ~」というアピールです。

単行本総発行部数が億単位の超売れっ子作家さんを除けば、それ以下の作家さんの大半は、出版社の企業理論にとって「下請けの外注業者」に過ぎません。

それこそ、出版社のコピー機をメンテするリース業者や、編集部のフロアを掃除してる清掃業者と大して変わりがないんです。むしろ、フリーの個人でやってる分、立場が弱い可能性すらありますね。

理由が2つあります。

1つ目は「替りの作家は幾らでもいる」ということです。それこそ、掃いて捨てるほど。どうしても、その作家に書いてもらいたい、なんていう理由は、殆ど無いんです。
(勿論、例外はあります。上記のようなごくごく上位1%未満の一部の超売れっ子作家さんや、編集者さんが個人的に惚れ込むような場合に限れば)

2つ目は「作家に文句を言わせない。黙らせる」のが編集の仕事の1つだからです。余計な事を言わせずに粛々と作家に締め切りを守らせて作品を仕上げさせるのが、出版社にとって一番メリットが大きくて効率が良く高収益だからです。

出版社にとって、作家が映像作品化に口を出したり、脚本やデザインの修正をしたりして時間や手間を浪費することに何のメリットもないんです。

連載の締切は圧迫されクオリティーの低下の不安要素になるリスクしかない。別に口を出さなくても映像作品は完成しますし、例え原作クラッシュな映像化になったとしても、原作者と出版社はどちらかというと被害者の立場で世間様は見てくれます。映像作品を制作した側のイメージやブランドは毀損しますが、出版社のイメージは毀損しないんです。

作家が口を出さずにスムーズに映像化できれば、制作元のテレビ局や映画会社の心証は良くなり、同じ出版社の別作品も映像化しましょうか、と次のオイシイ話につながる可能性もあります。

出版社にとって映像作品化に作者が口を出すことは、百害あって一利なしの行為だということです。

ですから、作家に文句を言わせないことも仕事も編集者の評価点の1つで、「作家が、印税率がどうのとか、映像作品化についてゴチャゴチャ文句を言っている」のは編集者の管理能力不足と社内で評価されるのが当たり前なんです。

たとえば、一般企業で「下請け業者が契約の話をSNSで文句いってる」とかいう話が出てきたら、その担当者は「何やってるんだ。下請けの管理もキチッとできないのか」と叱責を受けるでしょう?それと同じです。

作家が偉い、作家のお陰で出版社が成り立っている、なんていうのは、出版社の印象操作が植え付けている幻想にすぎません。

そのくらい、中と外で感覚が違うのです。

中には良心的な編集者もいる

当たり前ですが、そんな業界の中でも頑張っている素晴らしい編集者の方もいます。編集部内の文化的風土が異なるところもあります。ですが、上から睨まれて左遷されたり、心を病んで辞めていったりする話も多く聞きます。

そういう志の高い編集者の方が気持ちよく熱意のある作家と素晴らしい仕事ができる業界になってほしいところです。

クリエーターが作品に納得できる訳がない

芦原先生の件で、小学館や日テレが「ご納得を頂いた上で許諾を得て映像化している」などとコメントしていて、それを鵜呑みにしている方が多いことに驚きます。

創作意欲の根源的な部分と繋がっている

マンガや小説に限らず、全てのクリエーターに言えることなのですが、多くのクリエーターにとって作品を世に出す時に「何一つ欠けることなく完璧に上手くできた」と思ってる人はごく少数だと思います。

「ああすれば良かった」「ここはどうにかできなかったのか?」様々な反省点や改善点が既に思い浮かんでいて、自分の作品に対しての愛情とは別に「次こそは」といろいろな目標や構想が思いついている。逆に、それがないようなら、創作意欲の衰退でありクリエーターとして完結してしまいます。

作品に対して愛情があるからこそプライドがあるし、創作意欲の反省があるからこそ、創作活動に真摯で謙虚でありつづけるのがクリエーターのあり方の1つだと思うんですね。

ましてや、他人が適当にいじくり回してメチャクチャにした脚本やテレビ局側の不誠実な仕事ぶりに心底納得できてるとは到底思えません。「時間がない」「大勢に迷惑がかかる」といった外的な理由もあるでしょう。

そして何より上記の通り、出版社と作家の力関係と思惑の違いがあります。作家側が「納得せざるを得なかった」状況だったと考えるのが妥当です。

創作活動に限らず、一般のお仕事でも同じような局面は幾らでもあると思うんですね。期限が迫っててどうにもできない、親会社との関係で折り合いをつけなくてはいけない、自分1人のこだわりに周囲を巻き込めない・・・などなど。そういうことで、自分の思いとは全く違う形であっても妥協して、仕事として納得せざるを得ないことってありませんか?

少し考えれば誰にでも想像のつくことなのに、「納得いただいた」と敢えて付け加えて強調することに不誠実さはないのでしょうか。

世間様の意識が作家の口を塞いでいる

芦原先生の件で各方面で炎上していることとは関係ありません。

著作者には著作者人格権という権利が作品を作った時点で自動的に発生して、作者本人に帰属し移譲も委託もできないんです。そして、その権利行使は作者本人の自由です。本来は。

ですが、世間様では自己責任論と実力主義を尊重する「実績のないやつが文句を言うな」という論調があります。

コレ自体を否定する気はないのですが、告発者の発言を封殺する方便に用いるケースが非常に多いのが問題です。

抑圧され搾取されている本当の被害者がいるとすれば、それは売れっ子で生活の安定している上位数%の大御所の作家ではありません。

数千あるいは数万の創作意欲に燃えている人たちの夢を食いつぶして使い捨て、夢やぶれて去っていった人たちが山積みになった上に築かれた繁栄だということを、もっと知ってほしいです。

今、中堅より下の実績の少ない若い作家さんが、出版社の理不尽を告発できるでしょうか?

売名行為、売れなかった奴の僻み、金目当て

おそらく、そんな言葉を多く浴びせられることになるでしょう。「実力のないやつが文句を言うな」と。「1つでも売れる作品を書いてから文句を言え」と。

だから、多くの作家が沈黙している。逆らって声をあげたとしても、良いことなんて何1つないのだから。そして、心が折れたり生活が困難になった人から順に筆を折って去っていくことになる。

どの業界にも存在する自然淘汰といえば、その通りなんですが、自分の作品を守り作家自身の名誉と生活を守り、なにより未来の後進の為に声をあげることが、そんなに罪深いことだとは思えません。

この先、作家の誰かが声をあげたとしても、売上部数や知名度や作品内容の良し悪しで、発言する資格の有無を決めないでほしいと思います。

どんな作家にも可能性があります。作品を応援して欲しいなと思うと同時に、業界の理不尽を告発したとしても、その作家が作り出す未来の作品の可能性まで潰さないでください。

出版社の未来を考える

世の中は、どんどん電子化に向かっています。紙の書籍は高級嗜好品になりつつあります。

印刷技術が進化して、フィルム・レタッチの手作業がPhotoshopに置き換わり多くのレタッチャーと呼ばれる人たちが業界を去っていきました。

紙媒体主流の今の制作体制に無理があります。紙の書籍化は、将来もっと厳選して高額媒体にすべきだと思います。全ての連載作品を無理に紙の書籍にする必要もないんじゃないでしょうか。

電子書籍発行のコストの罠

電子書籍の料金と紙媒体の書籍の値段を、同額にするのはそろそろ止めた方が良いと思います。

配信プラットフォームに一括して配信してくれる配信管理会社の手数料や契約料が意外と高いということも知っています。が、その子会社のような配信管理会社は誰の出資で設立されましたか?その配信管理会社の社外取締役などの役員に出版社の元役員とかが天下りしていませんか?

このままでは、極限までコストダウンを試みる独立系の電子書籍専門の出版社が台頭してきた時に、既存の大手出版社は大きな組織の維持が困難になってくるんじゃないでしょうか。

もう、佐藤秀峰さんがやっている独立系の電子書籍サービスとかありますよね。他にもどんどん他業種からの出資や自己資本の独立系サービスが出てくると思います。今までが濡れ手に粟の緩すぎる状況で儲かってただけで、普通にビジネスをする必要な時代になった、という話です。

電子書籍に特化する単行本は、そもそも初版の高額な印刷代金を必要としません。在庫を置いておく倉庫も必要ないし在庫管理も必要ありません。大幅なコストを削減することができます。これは大きなメリットです。

現在、マンガで言うなら、紙媒体の書籍で売れるのは解りやすく言うと、コンビニの書籍コーナーに並んでいるタイトルだけです。極論を言うと、それらを紙媒体の書籍に残すだけで十分だとも言えます。

紙媒体ファンでマニアックな作品のファンの方から猛烈に批判される意見であるのは承知していますが、企業が経済淘汰を逃れる為の意見の1つとしてご理解いただければ、と思います。

もともと、紙の書籍では、著作者の印税が1割、出版社が3~4割、問屋が3~4割、小売書店が1割~2割なんて話も聞いたことあります。現在ではマンガのモノクロ単行本で、1冊だいたい単価500~600円くらいでしょうか。

多くの電子書籍のプラットフォームが売上のおよそ3割前後を手数料として差し引くと聞いているので、配信管理会社の手数料を1割、出版社の取り分を2割、作家の印税として4割という配分でも、単価を200円前後にすれば、十分やっていけると思うんですけども。

あと例えば、レンタルとして1週間とか3日間限定で読めて、単価を100円前後にするサービスなどを付加するという方法もあるかもしれません。

悪癖をやめる

これは、出版業界のごく一部に残る闇の1つなんですが、絶版処理の後で在庫をどうしているか問題ですね。普通は在庫の書籍を全て細かく裁断して廃棄処分にする決まりになっています。

ですが、絶版決定直前に、流通に全部在庫を吐き出したり、廃棄したと称して中古書籍流通に流したり、色々と黒い噂のある話なんですよね。

あと、発行部数詐称ですか。作家に知らせる発行数の証明書と実際の流通してる発行部数が違ったりすることあるんですよね。

流石に大手出版社はやってないと思いますが。

この辺は私自身が新人の頃に体験したり見聞きした話なので、そんなに憶測に基づいた話でもないところが残念です。

電子書籍になると、プラットホーム上の数字がダイレクトに見られるし、最近の経理システムは自動的に計上して書類を印刷できるので、この辺で誤魔化す手間を挟み込む方が大変です。

こういった姑息なブラック手法は、取引きの信頼性を著しく落とすので本当に止めて欲しいです。

今まで上手く言っていた商習慣が、時代遅れになって通用しなくなってくることは良くあることで、態勢のアップデートが必要なのではないでしょうか。

「作家を大事にする。作家は出版社の宝」というのは建前でしょうが、もう少し本音をその建前に寄せても良いんじゃないかと思います。

感覚と常識の違い

発行部数すらちゃんと教えてもらえない作家もいます。印税も言い値で、ひどいと契約書すら存在しない場合も昔は沢山ありました。契約書があったとしても、「著作者は著作者人格権を行使しない」なんて条項あったりします。

そのくらい、現状では出版社と作家には力関係に格差があるんです。どこまでいっても替えのきく下請けの外注業者なんですね。

そして、出版社側にとっては「それが当たり前の感覚であり常識」なんです。その壁の前に個人の作家や編集者は黙るしかないんです。

立場による感覚の違いがわかると、なぜ殆どのマンガ家は黙ったままなのか、は自ずとハッキリしてきます。

世間様にわかってほしいのは、出版業界のバックボーンにはこういう枠組みが商習慣化していて、作家の扱いなんてこの程度なんだ、ということです。

私の書いていることが全て真実である保証はどこにもありませんし、実際に真摯に作家に寄り添って作品に向き合っている編集者いることも、そういう真面目な出版社があることも知っています。

もちろん、芦原先生の件で小学館や日テレの関係者さんや脚本家さんに対して罵詈雑言を浴びせたり、言葉の集団リンチまがいの行為は論外です。このような悲惨な事態が起きないように冷静な議論が望ましいと思います。

ですが、背景にはこういう力関係があることも踏まえた上で、この一連の問題をもう一度考えてみてほしいです。

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