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金曜マガジン 冨士山如法寺①
明暦元年(1655)、加藤泰興は松浦 鎮信(しげのぶ / 肥前国平戸藩初代藩主)の江戸屋敷において盤珪と初参見し、この翌年には泰興の請により盤珪が大洲へ入っている。1669年には旧如法寺・遍照庵・集雲庵を合わせて如法寺を建立し、盤珪が入寺して現在の如法寺の歴史がスタートした。
如法寺建立前後の歴史
14世紀半ば頃、宇都宮彌三郎が応典座(真空妙応禅師)に請い、旧如法寺を創建する。
1670年 仏殿落慶、盤珪、「如法寺」の扁額を書す。
1674年 泰興64歳で泰恒に家督を譲り隠居。「月窓」を名乗る。
1677年 盤珪、観音堂・地蔵堂を落慶。
泰興67歳で没し如法寺に葬られる。
1693年 盤珪龍門寺において72歳で入寂。
1706年 如法寺火災、仏殿・鐘楼を除いて焼失。
2015年 仏殿修復竣工、落慶法要開催。
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開山以来実に350年に及ぶ如法寺の歴史とその重みは、現代人の私たちもしっかりと受け止めて次の世代へと繋いでいかなければならない。かつて写真撮影の練習被写体として毎朝のように撮影に来ていた如法寺は、私にとっても練習道場のような存在であり、思い入れは強い。
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4年前の美しさは既に消え去っている。山門表側屋根上の紅葉に注目。
しかし、近年では元々の住職さんがおられなくなったことで様子が変わってしまった。仏殿が国の重要文化財にまで指定されているこの寺で、本来あってはならないことが実際に起こっている事実を、私は深刻に受け止めなければならないと考えている。
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盛り上げ隊のメンバーの頑張りでこの山門も復活してきた。屋根が美しい。
如法寺盛り上げ隊の皆さんの頑張りで、どうにかこうにか綺麗に保つことができはじめているが、これには自ずから限界もありいずれは公のお力をいただかなければ、この城下町大洲の歴史における大切な「軸」が壊れてしまうことになりかねないし、既にそうなりつつある。
私の撮影を通して多くの皆様方にこの思いを感じ取っていただき、「がんばれ如法寺」の輪が広がることを願っている。
被写体として考えると、山門表側の屋根上のモミジが紅葉しなくなっている。これは、全体的に樹木が成長して太陽光が入らなくなってしまったことも大きな要因であろうと考えられる。過去の写真と比較しているとこの山門の劣化も著しいことがはっきりと分かる。既に傾いておりこの先が非常に心配だ。大洲市民の皆様方を始め多くの皆様方にご理解をいただけるようなきっかけになる如法寺撮影を今年も進めて行きたい。
街づくり写真家 河野達郎
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