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それでも人は祈念する
そんな昔のことを、いつまでも覚えていてどうするのか。昔のことは忘れて、さっさと前を向いて歩くべきだ。などど、以前の俺は考えていた。しかし、ここ何年かは考え方が少し変わってきた。年をとったせいか、悲惨な事件や事故の情報を見過ぎたせいだろうか。
大きな出来事があり、それが多くの人を傷つけるようなことがあったなら。時代が変わっても忘れず、その出来事を後世に周知し。取り返しのつかない過ちを繰り返さないようにする。このことは、ずっと必要なことだと思う。
今日は終戦記念日。俺の祖父は19で出征した。祖父は当時のことは多くは語らなかった。ただ、満州にいた時のことだけは。普段の寡黙な祖父とは思えないほど饒舌に語った。
もし、祖父がぶじに帰ってこなければ。いまこうしてnoteを書いている俺は存在しないのだと思うと。心の底から有難い、という想いと。そしてなぜか、申し訳ないという感情が湧いてくる。おそらく俺は、自分がなにも社会に貢献できていないと思っているからだろう。
祈るだけではだめだ。行動しなければ。それはわかっている。しかし、祈ることしかできないのなら。せめて心を込めて祈念する。
平和でありますように。
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今年も夏水仙が咲いた。数年前、祖父母の家の草むしりをした。数日後に突然ちいさな芽が出てきた。かと思えば、そのあとするすると伸びていき。薄いピンクのキレイな花を咲かせた。
祖母に訊いてもそんな花を植えた覚えはないという。恐らく、ずっと昔に植えた球根が、草むしりのついでに土を掘り返したことで活性化し。花を咲かせたのだろう。当時は、不思議なこともあるもんだと祖母と一緒に笑いながら話していた。
祖父母が旅立って。二人の家も人手に渡った。しかし、夏水仙の球根はとっておいて、自宅の庭に植えておいた。それが今年も咲いたのだ。
いつもこの時期になると、美しい花を咲かせて楽しませてくれる。
ありがとう。