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点と点を繋げてご利益
ご利益というものは、結局それを受けた人が、起きた出来事を都合よく解釈することなのかもしれない。
例えば神社に参拝し、何か祈る。そのあと願いが成就すると、ああ神様のご利益だ、ありがたい。となる。
もしかしたら神社に行って祈らずとも、願っていたことは成就していたかもしれない。しかし「神社で祈った」という点と、そのあと「願いが叶った」という点を結び付け。そこに「ご利益」という目には見えない何かの存在を感じる。
一点だけでは生じず、二点か三点を繋げることで「ご利益」だと認識できる。
人は自分の身に何か起きたとき、それが自分の行いだけではなく、他の何らかのお陰だと考える。それはなぜだろうか。
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先日、母にとって喜ばしいことがあった。長年望んでいたことが叶い、そして肩の荷が下りた。なので少し贅沢をしようということになり、いつも行くスーパーで、食材だけでなく出来合いのお惣菜を買い込んだ。いつもなら何か料理をつくる所だが、今日は何も作ったりせず、楽をすることにした。
鮮魚コーナーでお刺身を見ていた。マグロでも、と思ったが、少しお高かったので止めにした。今日ぐらいはと思わないでもなかったが、なぜか手に取るのをためらった。
結局、天ぷら盛り合わせとお酒を少し買い、帰路についた。自宅に戻り、作業台に置いたままになっていた、彫り途中の大黒様を手に取った。ありがとうございます、と。何となく言った。大黒様は笑っていた。
そのあと、洗濯物を干していると玄関をノックする音がした。出ると向かいの家のお兄さんが立っていて、昨日釣りに行ったのだが、ウチだけでは食べきれないのでよかったらどうぞ。と言って袋に入った大きなマグロの冊を数本くれた。まだ新鮮なので刺身でいけるらしい。
ありがとうございます、と何度もお礼を言い、玄関を締めてから、ふと大黒様が気になった。
その日の夕食は豪華になり、良いことが重なって母も上機嫌だった。
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「大黒様に感謝した」という一点。その直後に「向かいのお兄さんがマグロをくれた」という一点。
ただの偶然であろうが。しかし、そこに何か、見えない糸のような存在を感じる。人はみな恐らく、いつもなんらかの形で、誰か何かに「感謝」したいと考えているのだと思う。その対象が、人か、神か、仏、であるだけなのだろう。
みんな心の中でいつも「感謝」する対象を探しているのだ。そしてそれが、人の本質であってほしいと思う。
そして俺は、良いことがあったときだけ、都合よく「ご利益」を信じてしまう己の卑しさに飽きれながら。マグロを喰って、ハイボールを呑んだ。