
信号無視が招いた昭和初期の茶番劇 ~ゴーストップ事件~【今日の余録】
お隣韓国の話より、初めて知った『ゴーストップ事件』のほうが気になった。
1933年の大阪で、たった一人の兵士の信号無視が、陸軍と警察の威信をかけた5ヶ月にも及ぶ対立に発展したという。些細な出来事が、組織の沽券と権威をめぐる茶番劇へと転じていく様は、まさに「昭和初期」という時代の縮図のようだ。
今でこそ当たり前の交通ルールだが、近代化の過程で人々の意識は簡単には変わらなかった。特に、軍の威信と警察の法執行という、異なる権威が衝突したとき、その調整は困難を極めた。「憲兵以外の言うことは聞かない」という兵士の一言が、時代を映す鏡のように思える。
ふと考える。権威という言葉が出てくると、たいてい物事はこじれていく。立場や役割の違いを「権威」にすり替えた途端、対話は途絶え、誇りは傷つきやすい高慢へと変質する。この事件の本質も、そこにあったのではないか。
最近、電動キックボードやシェアサイクルなど、新しいモビリティが街に増えている。歩行者、自転車、自動車など、それぞれの立場で主張があり、時に軋轢も生まれるだろう。90年前の信号無視をめぐる騒動が、今の時代に問いかけてくるものがある、というのは少し言い過ぎか。
田舎の閑散とした交差点で信号が変わるのを待ちながら、ふとこの昭和の一件を思い出す。時代は移り変わっても、信号機だけは変わらず、黙々とその役目を果たし続けていた。