古文書が伝えた「女医」の言葉と損なわれた「至誠」の理念【今日の余録】
八世紀の日本で「女医」という言葉を記した『令義解』は、現存していない。地震や火災、戦乱の中で姿を消したと考えられている。しかし、その内容の一部は『令集解』という別の文書に引用され、千年以上の時を超えて荻野吟子の手に渡った。
古い文書は壊れやすい。和紙に記された文字は時間とともに薄れ、消えていく。現代のようなデジタル社会であれば、ほぼ永久に失うことはないが、千年以上も昔の時代は保存方法にも気を配る必要があった。保存が難しいからこそ、人々はその内容を書き写し、引用し、正しく解釈する努力を重ねながら未来へと伝えてきたのだろう。
法典『養老律令』の解釈書である『令義解』は、法律の条文を説明するだけでなく、なぜそのような規定が必要なのか、どのように運用すべきなのかまで、丁寧に書き記されていたという。八世紀の官僚たちの制度に対する真摯な姿勢を感じる。
東京女子医大を創設した吉岡弥生の座右の銘は、大学の理念の一部である「至誠」。
至誠とは、きわめて誠実なこと、またはその心を意味する。
吉岡弥生は至誠の精神を体現しながら、女性医師の育成と女性の社会的地位向上に生涯を捧げた。不正事件を起こした元理事長は、「至誠」の理念を正しく解釈できなかったのか、しようとしなかったのか。『令義解』の編纂に携わった官僚たちの爪の垢を、煎じて飲ませてやりたい。
だが、理念の本質を見失わない努力以前に、組織の上に立つ人間に必要なものが欠けているようにも感じる。千年以上の時を経て継承されてきた精神を、たった一人の私利私欲で損なってしまった、というのは言い過ぎだろうか。