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受け入れがたい現実と向き合う人生について考える【今日の余録】

吉村和馬さんの29年という人生は、平均寿命が80を超える現代では決して長くはない。
ただし、期間が長ければ幸せなのかといえばそうでもない。
人生の長さよりも、納得できる日々をどれだけ過ごせたのか。「幸せ」と感じられる日常がどれだけあったかのほうが重要だ。
人生の濃密さを表現する際に、「太く」という言葉がよく使われるのはそのためだ。

しかし僕には、そんな自己啓発的な言葉で片付けられない重みを感じる。
やはり悔しい思いの方が強い人生だったのではないか。ほかの人たちより長く生きられない自分に対し、理不尽さも感じたことだろう。「なぜ自分だけが」という感情をぶつける日があってもおかしくない。生きられるなら長く生き、家庭を持ち、子の成長を見守り、できれば孫の姿を見てから人生の幕を閉じたかった、というのが本当の心の声なのではないか。

和馬さんが作った曲「TAKARAMONO」の、<今では僕の大切な宝物><筋ジスは僕のトロフィーなんだ>という歌詞。これは難病を受け入れたからこそ出てきた言葉なのだろう。しかし、そう思って生きるしかなかったことの証とも受け取れる。
彼の人生のほんの断片しか知らない僕らには知りえない、壮絶な人生だったはずだ。どうしてみな同じ状態で生を与えてくれないのか。いるかどうかわからない神に怒りすら覚える。

和馬さんの母・由理さんの「うちはもう、一生笑えないんやろな」という言葉。今でも続いているのか、それともうまく折り合いをつけ、心から笑える人生を送れているのか。折り合いをつけられたとしても、完全には拭いきれない気がしている。だからこそ、前を向こうという気持ちが出てくるのかもしれない。

たとえ悔しい人生だったとしても、人生を精一杯謳歌できたことが想像できる。一方で僕は、大きなけがや大病もなく生きられているのだから、もっと毎日を大切に生きなければ罰があたる。

自分の生き方をあらためて見つめ直す。

今日の余録と参考資料

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