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「アジアのノーベル賞」の由来となった大統領【今日の余録】

アジアの社会発展に貢献した個人や団体に贈られる「マグサイサイ賞」。1957年の創設以来、アジアのノーベル賞とも呼ばれ、その権威は年々高まっているそうだ。日本からは黒澤明監督、作家の石牟礼道子さん、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんら、各界の傑出した人物が受賞している。だが個人的には、宮崎駿監督が昨年選ばれて、そういう賞があるんだと知った程度。たぶん今までも報道はされていたのだろうけど、あまり記憶にない。

それにしても、このマグサイサイ賞の「マグサイサイ」が気になりすぎた。日本人には馴染みのない単語で、一体どんな意味の言葉なのか、なぜこういう名前になったのか。調べてみると――フィリピンの第7代大統領、ラモン・マグサイサイにちなんでいた。

マグサイサイは、フィリピン北部ルソン島の中部ルソン地方イバの町で生まれた。

当初は自動車整備士として働いていたが、1942年2月に転機が訪れる。日本軍がアメリカ軍をフィリピンから駆逐すると、アメリカの支援を受けたゲリラ部隊に身を投じ、その類まれな指導力を発揮。サンバレス州の軍事総督にまで上り詰める。

戦後、その手腕を買われて政界入り。下院議員を2期務めた後、1950年に国防長官に抜擢された。フクバラハップと呼ばれる共産主義系反政府組織の掃討では、単なる軍事作戦ではなく、兵士による救援物資の配布など、非伝統的な手法で人々の心をつかんでいく。その手腕と清廉潔白な姿勢が評価され、1953年、大統領に就任。

就任後、前例を破って民族衣装のバロン・タガログを公式の場で着用。大統領府を「国民の家」として開放し、6万5千エーカーもの土地を3千世帯の貧困家庭に分配。さらに、1954年から56年にかけて7.2%という高いGDP成長率を実現する一方、東南アジア条約機構(SEATO)の設立にも尽力した。調べれば調べるほど、「英雄」の称号に相応しい人物だ。

ところが1957年3月17日、49歳で急逝する。大統領機がエンジントラブルで墜落し、そのまま帰らぬ人に。その死を悼み創設された賞が、「マグサイサイ賞」というわけだ。

一介の整備士から身を起こし、戦時下で抗日ゲリラを率い、そして大統領となって貧困と格差に立ち向かった。その生涯は、時代に流されず、強い信念を持って歩むことの大切さを伝えてくれる。

また1人、歴史の偉人を知れた今日の余録だった。こういう余録なら毎日楽しいのに🙃

今日の余録と参考資料

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