デス電所公演『すこやかに遺棄る』雑感・後編
まさかこんなに長くなるとは書き始めるときに全く思っていなかった今回の公演後感想文。
今回で必ずや終わらせるのだ。
で、ハブサービスさんとの出会いの話に時間は戻る。
記録によると、俺がハブサービスさんと初めて出会ったのは、2012年の8月10日のことで、場所は渋谷シアターDでした。
ハブサービスさんは当時まだBコースというトリオを組んでいて、そこで、Bコースハブとして、アホマイルドのクニさんと二人で、『大喜利宇宙一王座決定戦』というイベントを頻繁に開催していたのです。
それはハブサービスさんとクニさんにもう一人芸人さんを加えた三人チームに対し、毎回異なる三人組が対戦相手として呼ばれ、どちらのチームが宇宙一大喜利が面白いかを競う、という大喜利対決イベントでした。
大喜利イベントにはそれまでにも何度か呼ばれていたし、自分では結構正統派のストロングスタイルを自負していたつもりであったので、そういうことならよござんす、叩きのめしてあげましょう、と自信満々で会場へ向かいました。
ハブさん&クニさんチームのもう一人の出場選手はR藤本さん。
Rさんとはそれ以前に面識もあったため、よろしくおねがいします、と挨拶しながらも、やはりRさんも大喜利は正統派のストロングスタイルであることを知っていたため、緊張が走ります。
対するこちら側のチームの選手は、漫画家の河井克夫さんと面白ライターのヴィンセント秋山さん。
たしか秋山さんともこの時が初対面じゃなかったかなあ。
秋山さんの大喜利力は未知数であるものの、河井さんは以前から仲良くしてもらっていたため、ある程度こちらにも勝算がある、と睨んでいざ決戦の場へ。
結論から言うと、ハブさんとクニさんの大喜利の自由さにスタミナ奪われまくりました。
極端な言い方をするとこの二人、「お題を無視する」のです。
大喜利でそんなんあり? と戸惑いながらも、会場の爆笑を次々と掻っ攫っていく二人。
そんな中、俺が正統派の答えを解答した所で、「なるほどね」みたいな空気が充満。
納得されても困る。
こちらとて、納得させるために赴いたわけではないのです。
更にR藤本さんがそんな中、正統派の解答でしっかりと爆笑を更に掻っ攫っていく。
やばい、完全に向こうのチームの空気に飲まれている、誰かこの空気を変えてくれ!
と、仲間チームを見渡すが、河井さんは解答よりも相手チームの解答に感心し始めており、秋山さんに至っては完全に筆が止まっていました。
観客か!
結果、孤軍奮闘するも空気を変えることは出来ず、我がチームは惨敗を喫するのでした。
そしてその夜、俺は「大喜利ってあんなにも自由でいいんだ」と、今までの認識を改めたのでありました。
で、その後俺は、しりあがり寿プレゼンツ・さるハゲロックフェスティバルの実行委員として参加することとなり、そこで毎年アホマイルドの二人やハブサービスさんと会場で出会うことになります。
その途中にもハブさんやクニさんとは他のお笑いイベントで何度か一緒に出させたりしてもらいながら、親交を深めていきます。
大きく関係性が変わったのは2015年のことで、河井さんから、「アホマイルドクニさんが芝居を書くので、演出を手伝ってくれやしまいか」と頼まれたのが切っ掛け。
神保町花月で、クニさんが劇団緑、というのを立ち上げ、そこでお芝居を書くのだが、演出を河井さんに頼みたい、と言うので話を持っていった所、河井さんが「一人でやるよりみんなでやったほうが楽しそう」という理由により、あの、「大喜利宇宙一王座決定戦」のメンバーである、俺と秋山さんに相談してきたのです。
デス電所をお休みして二年ほど経ってたので、芝居の演出なんて久しぶり! そして楽しそう! と思ったので手伝わせていただくことに。
2015年2月24日~3月2日 @神保町花月
「劇団緑」 作:クニ(アホマイルド) 演出:河井克夫
出演:御茶ノ水男子、怪獣・まゆみちゃん、ピクニック、ギンナナ、ハブ、水上拓郎、アホマイルド、倉田あみ
芝居自体は、とてもリリカルなラブストーリーで、もっと無茶苦茶なことになるのかと思っていたら、意外や意外、キチンと一本の筋道が終わりへ向かっていく切ない物語でした。
その中で、ハブさんは、ハーブ、という指導者の役をしており、主に芝居の中盤で一人で出てきて、殆どアドリブのような大説教を群衆にかます、というシーンが見せ場。というか、実際ほとんどアドリブで、乗ってくるとどんどんと伸びていき、全然キッカケの台詞を言わない、ということもしばしば。
クニさんにしてみれば、ハブさんはアドリブのほうが面白い、ということでこういう役回りだったのだけれど、俺はそれを見ながら、「アドリブにしても最後まで設定やキャラクタを壊さずに出来るなんてすごい! これぞ役者だ!」と新たな発見に感動していたのです。
で、その後も何度かハブさんとはご一緒させて頂く機会があり、ようやく話は今回の時間に戻る。
デス電所の三人に荒威ばるを加え、これでもう安心かと思われていた公演だったが、もう一人面白が必要だ、と思い至ったのだ、ということは前回書いたとおり。
というのも、話の設定をノートにウンウンと書いていくうちに、「最後の登場人物はやはり、舞台に登場した方がいいのでは?」と思ったのです。
最後の登場人物というのは、主人公の二人に死体の解剖を頼んだ張本人であり、黒幕のような人物で、今回の話では、社長、と呼ばれている人物。
最初、社長は最後まで姿を見せない、という方向でプロットが練られていた。
姿も顔もわからない人物に、翻弄され、最後にその人物に対して牙を剥く、というのは、とっても現代的であるなあ、と思っていたためです。
だけれど、よく考えれば、現代はもう少し具合が変わってきていて、黒幕の顔も名前も、人々は全員知っている。問題なのはその先で、果たしてその人物が、本当に皆が思うような悪人であるかどうか? であるかじゃないでしょうか。
誰かが、「あいつは悪人だ。だから攻撃しよう」と声を上げ、そこに賛同するものもいれば、「待て。情報に踊らされているのではないか? 本当に悪人かどうかはきちんと見極めなければいけないではないか」と慎重になるものものいる。
そして悲しいことに、慎重派のものに対し、声を上げたものは、「あんなに悪いのに攻撃しないなんて、さてはお前も悪であるな」と、事態を二極化しようとする。
そういうことではなくて、キチンと物事に向かい、思考と行動を停止させないことこそが、現代で人間らしく生き残るための手段なんではないでしょうか。
そう考えた結果、「はじめは誰もが悪い、と思いこんでいた(台詞にもそういう面を際立たせた)人物が、実は内面に深い悲しみと後悔を抱いて出て来る」となった時、物事が最後にしてもう一つひっくり返り、登場人物たちや、観客の価値観を揺さぶれることになるのではないだろうか? と思い至り、「やはり最後に社長は登場させなければならない、しかも、最後に出てくるのだからそれなりの説得力と、それまでの舞台の熱力に負けないパワーとインパクトを持った人物で無ければ!」と、結論づいたのです。
で、そこでハブサービスさんがガッチリとハマった。
思いついたら、もうそれ以外考えられない、と焦った俺は、制作とメンバーに「ハブサービスさんでいこうと思う」と告げ、すぐさまにハブサービスさんへスケジュールの確認のラインを送り、奇跡的にスケジュールオッケーが出て、見事にハブサービスさんに出演してもらうことができたのです。
めでたしめでたし。
こうしてタイトルと出演者も無事決定した『すこやかに遺棄る』という作品は無事発進し始める。
後は、俺が台本を書き上げるだけ! なのだが、それはまた別のお話。
この写真は、まだ作品が『床下に声かけ事案』てタイトルだった頃にイメージ画像として使用したもの。
イタリア旅行した時にフィレンツェで泊まった誰もいないホテルのロビー。
こんなに立派でエレベーターも三台もあるのに、誰もいなかったため、「『シャイニング』みたい! ドアの向こうから大量の血が溢れ出てきそう!」と一人興奮しながら撮影した。
あまりに誰もいないため、ロビー付近のバーカウンターでビールを頼むのに三十分くらい待たされた。
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