厭な話『ゆびきり』
「昔から紗香は、子供っぽいところがあって」
藤城さんは、コーヒーをかき混ぜながら言った。
「元々体も弱くて、実家が裕福な家だったんで、お嬢様みたいに育てられて、それがそのまま大人になった、みたいな」
学生の頃から綺麗な物が大好きだった紗香さんは、化粧品会社に就職し、今の旦那さんと知り合い、結婚したという。
「旦那さんもとっても良い人で、紗香の我が侭にもキチンと応えてあげてて。あの子、何でも自分の気に入るような物になっていないと、すぐ機嫌悪くなったんです」
家具やカーテン、装飾品はもちろん、化粧品やキッチン道具などの小物も、紗香さんの好みの物に変えられたという。
「シャンプーとかだけじゃなく、油やお醤油なんかも、全部自分の好きな瓶に移し替えるんですよ、買ってきてわざわざ」
商品のラベルが自分の美的センスに合わない、と紗香さんはいつも文句を言っていたという。
「あと、誰とでもすぐに約束事をしたがりました」
何かあると紗香さんはすぐに「二人だけの秘密ね」とか「これは内緒にしとこうね」などと言って笑ったのだという。
「子供っぽいですよね。で、指切りするんです。指切りげんまん」
藤城さんは小指を立てて言った。
「結婚もしているいい大人が、指切りげんまんって」
藤城さんは少しだけ笑った。
「私も何回かさせられましたよ、指切り。や、別に大した隠し事や秘密があった訳じゃなくって」
遊びに行く度に、「これは内緒ね」と指切りをさせられたという。
「でもそんな、わざわざ誰かに言うような企業の秘密とか喋ってた訳じゃなく。旅行の行き先とか、女子会する日取りとか、そんなことですよ」
藤城さんは再び軽く笑った。
「でも少し前に、紗香が突然深刻な様子で相談してきたんです」
不倫しているの、と告げたのだという。
「相手は同じ会社の営業かなんかの人らしくって。で、どうしよう、って泣きそうになってるんです」
旦那さんも同じ会社の為、バレる確立が高いのを心配しているのかと思ったら、そうではない、と紗香さんは言った。
「旦那さんと結婚した時、誓いの言葉を言うじゃないですか。で、浮気をしたことで、その約束が破られてしまっていることに紗香は怯えていたんです」
藤城さんは、今一ピンとこなかったという。
「浮気がバレるということよりも、約束を破ってしまったことに怯えてるようでした」
紗香さんは、「ゆびきりさんに叱られる」と言った。
「聴いたことない名前でしたけど、紗香は、指切りげんまんをした約束を破ると、ゆびきりさん、という神様に罰を受けるんだ、と信じていたんです」
藤城さんは、呆れてしまった、という。
「いくら子供っぽいと言っても、大人が不倫して、それも自分と旦那の同僚だっていうのに、そんなわけのわからないものに怯えるなんて、どうかしてる、と思ったんです」
そのときは。
と、藤城さんは声を落とした。
「新しいシーズンの新作発表とかで凄い忙しくって、旦那さんが全然帰ってこれなくなってたときでした」
紗香さんは、藤城さんに不倫の相談をしたときから、ずっと何かに怯えるようになっていたという。
「何度か会ったんですけど、会う度に痩せてって、ただでさえ色白だったのが青ざめた感じになっていってて」
ゆびきりさんに怯えていたのだという。
「不倫をやめたら、ゆびきりさんも許してくれるんじゃないの? って言ったんですけど」
藤城さんは、そういう問題じゃない、なにもわかってない、と凄い剣幕で怒鳴られてしまった。
「私がこの歳まで生きていられているのは、両親が昔、ゆびきりさんに約束事をしてくれていたからだ、って言うんです」
藤城さんは深く息を吐いた。
「だからまあ、多分、信仰心というか――本人がそういうものを信じているんだったら、これは仕方ないか、と私も思ってたんですよ」
紗香が死ぬまでは。
と、藤城さんは言った。
紗香さんの遺体は、自宅のリビングで見つかった。
死因は心不全で、他殺の疑いは無いように思われているのだが、捜査は難航しているという。
「第一発見者は旦那さんなんですけど」
藤城さんは、葬儀場で、旦那さんに発見時の話を聞かされた。
「リビングのテーブルに突っ伏して紗香が死んでて、こう、左手が前に伸びていたんですけど」
藤城さんは左手をこちらへ伸ばして、ゆっくりと五本の指を握りしめた。
「左手の指が、根本から全部切り落とされてたらしくて」
紗香さんの遺体から、左手の指が五本とも刃物のようなもので切り落とされており、今もまだ発見されていない。
「警察の人が言うには、切り落とされたのは紗香が死んでからじゃないかって」
紗香さんが心不全で亡くなった後、何者かが持ち去った可能性が高いのだという。
「ゆびきりさんが、持ってっちゃったんだなあ、って、わかったんです。その時」
紗香は、ずっと指を切り落とされることに怯えていたんですねえ、と、藤城さんは力なく言った。
「ねえ、この話、誰にも教えないって、約束してくれます?」
藤城さんはこちらに右手の小指を突き出した。
その約束はできない。
※登場する人名は全て仮名です。