『ハドソン川の奇跡』※感想
機長が乗客乗員の命を助けたのに人格を疑われてうんざり、って映画。
2009年にハドソン川で起こった実話を、クリント・イーストウッドが映画化。
93分というベストな上映時間に、必要なものが全て詰まっていて、本当にこの監督は天才なのだなあ、と感嘆。
事実を元にしているため、飛行機のエンジンが止まり、緊張のサスペンス! さあ生き残るのは誰か⁉︎
みたいなシーンは必要ないわけです。
全員が無事だったのはみんな知ってますので。
では何を我々は知らないのか?
それは、あの時、コクピットでどんな会話と対応が行われ、その結果、英雄と謳われた機長が、「人命をわざわざ危険に晒した危険な人物」と国家運輸安全委員会に目をつけられ、人格を疑われて訴えられる直前までいっていた、ということで、それは(少なくとも私は)全然知りませんでした。
そしてこの映画はそのことを描いていて、そこに存在したのは、
「知らないからこそ人を疑わなくてはいけない仕事をする者」
と、
「知っていることだけを真面目に忠実に行った者」
の両者でした。
特に後者であるところのトム・ハンクス演じるサリー(この作品の原題になっている)は、周りから「あんたは英雄だ! キスさせてくれ!」と褒め称えられているにも関わらず、常に困ったような表情で、「経験に基づいてい仕事をこなしただけです」と控えめな態度を崩さない。
それはサリーが一番、川への着水が危険なことを知っていたからだろう。
無事だったにせよ、乗客乗員の命を危険に晒したのは事実なのだ。
でもマスコミはやんややんや英雄様だ、と持ち上げる。
それも仕方ないのかもしれない。
劇中で「ニューヨークで良いニュースは久しぶりだから。特に飛行機に関しては」という台詞があってハッとさせられるが、あの時、ニューヨークの人々は、人が起こした奇跡を待ち望んでいたのだ。
しかしそれを国家運輸安全委員会の人々は快く思わない。
「英雄なんて言われて浮かれているんじゃないですぞ」と釘を刺してくる。
でも、サリー機長は、一度だって浮かれたこともなければ、自慢したことすらない。
彼は常に冷静で、自分のしたことにより、他人がどう考えるか、を考えて行動している。
サリー機長は、その行動を一度は疑われるが、結果、見事にその正しさを証明してみせた。
そこには、英雄になろうとも、悪人になろうともしていない、ただ自分の仕事を忠実にこなしただけの、一人の真摯な人間がいただけである。
そしてこのテーマは、監督の前作『アメリカン・スナイパー』と共通している。
そして、なによりもエンドクレジットに心が震える。
人が人を救った結果、について、自分がいかに情報が足りなかったのか、知らしめられた。
世界には、人が人を殺すことの情報ばかりが溢れている。
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