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15歳の決断ーー音楽と生きる道

音楽との出会い


前回は、幼少期に歌うことが好きだった話を書きました。
気づけば私は、ただ歌うだけじゃなく、曲を作ったり歌詞を書いたり、誰かに届けたいと思うようになっていきます。

今回は、そんな「音楽との出会い」について話そうと思います。
舞台は、中学時代へ。

詞を書き、想いを伝えた日々

小学生時代、転校生だった私は中学で新たに転校してきたYちゃんとすぐに友達になった。
いつのまにか、まるで秘密の交換日記のように詞を書いては交換する日々。小さな紙に綴る言葉が、まるで私たちの小さな世界を作っているようだった。彼女の詩的表現は私の書く詞とはまるで違い、とても刺激的だった。

ある日、「この詞にメロディーをつけてみたらどうなるだろう?」とふと思い立ちフルコーラスを作った。

楽器も弾けないから、詞とメロディーを脳みそに記憶するだけ。

この時、音楽が私にとってただの娯楽ではなく、自分の想いを形にする大切な手段になったのかもしれない。

手紙のように詞を送り合ったYちゃんと

中学入学と部活動の葛藤

小学三年生から続けていたバスケットボール。
中学に入ると、私は新しい選択肢として吹奏楽部に惹かれた。
打楽器が好きで、パーカッションを演奏する自分を想像するとワクワクした。だが、部員数が多く、オーディションで選ばれなければならない環境に不安を感じながらも、なんとか入部。
にもかかわらず、心のどこかで違和感が消えなかった。

結局、ひと月もしないうちにバスケ部へ転部することを決めた。

もしあのまま吹奏楽を続けていたら、私の人生はどんな風に変わっていただろう?そんなことを、今でもふと思うことがある。

学年で女子バスケ部は三人だけだった

音楽だけが支えだった中学時代

中学二年生は、私にとって最も心が荒れていた時期だった。
家庭の環境が大きく揺れ、心の拠り所を探しても見つからない。

そんな中、唯一変わらずそばにいてくれたのは音楽だった。
浜崎あゆみの歌詞に自分を重ね、モンゴル800のメロディーに救いを求めた。そして、私自身も詞を書き、メロディーをつけることで、自分の気持ちをどうにか整理しようとしていた。

友達に悩みを打ち明けることもあったが、誰もが自分のことで精一杯の年頃。理解してもらえないこともあり、ますます孤独を感じることもあった。

そんな中で、学校に短期間だけ訪れた心理士の先生の存在が救いになったこともあったし、逆に、自分の苛立ちをぶつけてしまうこともあった。

当時聴いていたCD

初めてのステージとハモネプに捧げた青春

中学二年生の終わり、学校行事「三年生を送る会」でステージに立つことになった。どうやって集まったのか全然覚えていないが、友達数人で「ハモネプ」に挑戦することになった。

ボイパ担当のKくん、ベースのMくん、コーラスのMちゃんHちゃん、私とAちゃんはメインボーカルを務めた。5人で放課後に集まり、TSUTAYAでハモネプの本を買い、テレビ番組を見ながら研究を重ねた。

ボイパが難しい技を覚えてくればみんなでテンションが上がり、ベースがかっこよいフレーズを決めてくれば拍手が起こり、コーラスが綺麗なハーモニーを決めれば酔いしれた。

みんなでどうやったら良い曲を届けられるか、喜んでもらえるか、考えることが楽しかった。放課後は毎日集まり、時には寒空の下、中央公園でマフラーを巻きながら歌い続けた日々。

その努力の積み重ねの末、三年生を送る会で披露したステージは、私にとって忘れられない青春の1ページとなった。


ハモネプを一緒に歌ったAとM
同じくハモネプを一緒に歌ったHと。まさにハモネプの練習中の写真

進路よりもギター。私の受験のモチベーション

そして高校受験の時期が来た。

友達が「〇〇高校は制服が可愛いよ。一緒に行こうよ!」と言った一言で、私は何のこだわりもなくその高校を志望することにした。
どの高校に行きたいか、検討もつかなかったのだ。
その高校の名前を出すと親も賛成した。
「親も納得したなら、まぁいいか」なんて思っていた。

正直偏差値的には少し厳しかったが、夏季特別講習に通うことになり、一日12時間以上の勉強をする日々が続いた。

しかし、私の本当のモチベーションは「合格したらギターを買う」それだけだった。「合格さえすればいい」そんな風に思っていた。
今思い返しても自分のしたたかさに驚く。

幸運にも私の代から受験制度が変わり、自己推薦が可能になった。
得意の国語を活かし、小論文での合格を勝ち取ることができた。
(ちなみに私に高校選びのきっかけをくれた親友は、途中で受験校を変えて一緒の高校は叶わなかった。)

親は泣いて喜び、そして私は念願のギターを手に入れた。作戦成功だ。

音楽雑誌の背表紙に載っている初心者セット。
当時で9,800円くらいだっただろうか。

ギターが届き、「じゃらーん」とかき鳴らしたその瞬間、が躍るのを感じた。見よう見まねでCやG、Amのコードを覚え、それなりに弾けるようになった。しかし、やはりFコードの壁にぶつかり、ギターは埃をかぶってしまうことに。

それでも、あの頃の私にとって、すべてのモチベーションが音楽だった。ただただ「歌うためには」そう考えていたと思う。

こうして歌うことが大好きで音楽にのめり込んでいった中学時代。
やがて、それが“届けたい”という想いに変わっていく。

次回は、高校時代ーー夢への第一歩、路上ライブの話を。

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