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ゆっくりとほどけて

 ストレスと、どうにもならない日常。誰だって歳はとるし衰える。それは仕方のないことと頭では分かる。分かるから余計にやり場がない。そんな毎日の中、本当にちょっとした事で激情がわくようになって来ているのが自分でも分かっていた。

『心と身体がカチコチに硬直してしまっているのかもしれない…』

 抑えの効かない怒りを静かに自覚しつつ、『この怒りは感情ではないなぁ…ただのストレスからのイライラではない。』などと思っていた。ただただどうしようもなくわき起こる怒り。

…この怒りは何なのか。どこから来ているものなのだろう…。たどり着いた答えが『硬直した心と身体』だった。

 仕事は忙しくてストレスも多い。そんな中で閉塞した日常に心が窒息していく。出口の見えない闇を彷徨っているかのよう。救いなのは周りの人達との関係が良好なこと。自分の精神がいっぱいいっぱいで余裕がないのも自覚している。こういう時は長く話を聞くのも辛くなってくるから、限界前に話を聞くのを切り上げる…最近はそんな事が多くなっていました。毎日瞑想や体操をしているけれど、自分の心と身体のセルフケアにも限界がある。


これは、そんな中で体験した出来事です



 ある人の一言に、私の心がほどかれて頭がすっと楽になっていった。特定の『ことば』ではなく、その心遣いや温もり、真心…その気持ちが私をほどいてくれたのだと思います。
 出来事としてはとても単純で、「忘れ物があるよ」と教えてくださっただけなのだけれど、『見過ごしてしまおうか、どうしようか…』という迷いを押し切ってわざわざ言いに来てくれたその心を、私はたまたま見て知っていた。

『ありがたい…』
そう思った瞬間だった。身体中をザワザワと何かが駆け抜けて行った。その人がとても心優しい人なのは知っている。私とその人では視点が違う。私にとっては仕事。でもその人にとっては『真心』なのだ。だから…見ているものも違う。『受け入れる側』と『訪れる側』・『仕事』と『プライベート』・『内部』と『外部』の関係性。


『外からしか変えられない事もあるんだなぁ…』そう思った。

 仕事でこり固まった心と身体。どんなに自分で整えようと試みても変えられない事もある。外から、全く違う視点で、違う何かを見せてくれる存在。そういう人に救われる…そういうシーンをこれまでいっぱい見てきたはずなのに、その事を全然分かってなかった。(僕は『自分で』という思いが強すぎるみたいです。)外側からしか見えない景色だってあるのだから。
 温かい眼差しでそっと違う『何か』を見せてくれる人。行き詰まった頭に目を開かせて固まった心と頭がゆっくりとほどけていく。

…自然にそういう事ができる人でありたい…
そう強く思った。

外からしかできない事。
外からだからできる事。

『違う何かを見せることのできる人』
私も誰かにとってそんな人でありたい。

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