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素描料理3つの「す」

先日「日本ママ起業家大学」学長、近藤洋子さんのオンライン番組に出演し、近藤さんとプロデューサー冨田剛史さん(トミタプロデュース代表)と3人で、「素描料理のコンセプトを考えよう」というテーマで話をしました。
料理に限らず、仕事や生き方に通じることだと思ったので、noteにまとめます。

「素描料理って何?」
いつも聞かれることですが、
正直、答えるのに苦労します。

まず「素描料理」という言葉が先にありました。私の中でも「?」がたくさんあって、2年前からアノニマ・スタジオの連載を書きながら、この言葉の意味をずっと考えています。

「表裏一体」という言葉がありますが、
ふたつのモノの関係が密接で切り離せないという意味で使われます。
見えない「裏」の部分が表に現れるということですね。絵画に例えると、画家の心や生き方すべてが、画として表現されるわけです。
料理であれば、

レシピに書かれていない部分や、裏舞台である台所が裏。それが表の「ひと皿」に表れます。
「裏」が素描料理であり、できあがった料理自体を指す言葉ではありません。「裏」の本質が、表に現れる。
台所に入ったときから食事が終わるまでの動きが、「おいしい」を生むということです。

5分煮る、とレシピに書かれてあっても、火の具合や食材などで変わってきます。手を動かしながら、目や鼻で確かめながら、おいしい瞬間を自分で探っていく。それが「素描する」ということです。

豪華な食卓ではないけれど、食べ終わったあとに心が静まる。あーおいしかったと安心する。そんな料理が素描料理かなぁと。

完成1

これは豆腐カツレツ。お寺の典座が作るお料理です。
淡白なお豆腐に衣を付けて揚げる。しみじみとおいしい料理で、時々無性に作りたくなる一品です。
シンプルで素朴だけれど、これにごはんと味噌汁があったら言うことない。
(作り方は、アノニマ・スタジオ連載第1回に掲載しています。)


キッチン作業中

そもそも「素描料理」にたどり着くまでには21年の歳月がかかりました。

最初の12年ほどは料理教室を続けていました。でも、どこかでこれは私の仕事ではない、という気持ちがありました。料理を教えるのは好きでしたし、不満はありませんでした。けれど参加者がその場でワイワイとおしゃべりして食べて帰っていく姿を見ながら、何か違うという違和感があったんです。

そうこうしているうちに12年前、癌を患ったんです。絶体絶命のピンチ。突然、死の恐怖が私の前に立ちはだかりました。
結局、手術も治療も一切せず、紆余曲折を経て、奇跡的に寛解し(この壮絶な話は別の話で、ここでは控えます)12年後の今も、こうして生かされているわけなんですけれど、癌になって何をしたかというと、

自分の心を裏返したんです。

生きるか死ぬか、右往左往しながら、今まで自分が「良い」とか「正しい」と思い込んでいたことを全部ひっくり返してみました。口で言うほど簡単ではありませんでしたけれど、その中で見えてくるものがたくさんありました。人との出会いや気づきがあり、台所道具や料理に対する考え方もガラリと変わりました。その中から「素描料理」という言葉が自然に生まれたのです。

オンライン番組の中で富田さんが、
「素描料理」という言葉があったから、私のやりたいことがみんなに伝わっていき、もしかすると、私自身も思っていなかった方向に行ったんじゃないかと、おっしゃったんです。

なるほど!
言葉がまずあり、その言葉が私を引っ張ってくれた。
私にとって「言霊」ですね、素描料理という言葉は。

自らで「力のある言葉」を探してみる。すると、それがエネルギーとなり、次第に現実化していく。

やりたいことを言語化して、それを心に埋め込んでしまうような感覚ですか...。私みたいに「造語」を作ってもいいし、何かピッタリくる言葉を探してもいい。その言葉が自分を引っ張ってくれる。言霊になるかどうかは、やってみないと分かりませんけれど、言葉の力って意外に大きいんじゃなかと思います。

富田さんの話。
「例えば、’お母さんの料理教室’とか、’丁寧な暮らし方教室’みたいなネーミングだったら、果たしてここまで来たのかなぁって思うんです。素描料理というコンセプトが、まさに天から降りてきたんじゃないかなぁ。
道具というのはコンテや鉛筆のように、原始的な道具であるべきで、料理も電子レンジでチンするとか、何とかクッキングとか、もちろんそういうのはひとつのジャンルとしてありますが、素描料理であれば、羽釜とか鬼おろしとか、そういう料理の中の鉛筆やコンテがあるわけですよね。
素描を改めて考えてみると、デッサンですよね。デッサンの本質を考えてみると、それは画。画なんです。
料理ではあるけれども、作家がいて、鉛筆なり、コンテっていう極めて単純な道具を使って手で描くという、一番最初の作品の「土台」なんですよね。
人間がいる。それも、ただお母さんとか職人ではなく、素描と言ったとたんに「作家もの」なんです。そこがすごく大きいと思うんです。
ですから素描料理という’かたまり’を、本人だけじゃなく例えば、編集者とか、誰かが画を描いてみようとか、デザインを作ろう、ロゴマークを作ろうとか、そういうクリエーターがパッとコンセプトを思い浮かべたときに、しばにさんは「作家」だと位置づけるんだと思います。そして素描料理は作品であると。
まるで画家のような料理家。作品を生むような料理家であると言えるんじゃないかなぁ。」

画家のような料理家....少し照れくさい気もしますが、
昔からあるすり鉢や土鍋など原始的な道具は、いわば鉛筆やコンテですし、道具と手を使って料理することは、料理の核心的な部分ではないかと、改めてハッとさせられました。

鉛筆やコンテみたいに、土鍋やすり鉢など原始的な道具で、手を使って描くのが素描料理。
素描することは、モノの「本質」を描くことだ。


私は日々コンテや鉛筆のように、昔から使われている台所道具を使っています。ミキサーや炊飯器のような家電製品は極力使わない。その代わり、すり鉢で潰したり、羽釜でごはんを炊いています。そうすることで台所仕事はただの「作業」ではなく、一気に「モノづくり」になるんですね。それは想像を超えた愉しさがありますし、当然、味も心も豊かになります。

完成

富田さんのアプローチに、

モノを理解するのに、その対義語を考えてみる。そうすると自分の立ち位置がはっきりしてくる。

という方法論があります。

素描料理をひっくり返して、素描料理じゃない料理ってなんだろう、と考えるわけですね。

「例えば、フレンチのような凝りに凝ったフルコースとか、日本料理の料亭のすばらしい器としつらえの料理とか。それはそれでよいだろうし、否定するものではないのですけれど、例えば、フレンチシェフがお客様にうつくしい料理を出して、お客様も満足して帰る。そして営業が終わったあとに、お疲れ様〜、とお茶漬けを食べて、やっぱりこれが一番だなぁ、と言ってるみたいな、笑。
対比で考えると、油絵料理があっていいし、水墨画料理があっていいと思うんです。水彩料理とかポップアート料理とか、いろいろあり得ると思うんですよ。その中で、私の料理は素描なんだと。」と冨田さん。

たしかに...。

冨田さんのおっしゃる「対義語」の発想はすごく分かりやすい。
もし自分のやっていることがわからなくなったら、その反対は何だろうということを考えてみてください。すると自分が今やっていることが見えてくる。

では、私の考える「素描料理の反対の料理」って何かなと考えてみると、
見た目のうつくしさを追求する料理。
足し算してごちゃごちゃになった料理。
食べたあとにカラダが安心しない料理。
味のバランスが取れていない料理。

見た目を考える料理があってもいいし、足し算して作ったっていい。
けれど、私の料理はそうじゃない、ってことです。クリアーになりますね。

僧堂うどん2jpg

記事のトップ画像と上の写真(写真提供:shunshunさん)は「僧堂うどん」です。
禅僧が修行するときに僧堂で食べるのだそうで、友人のお坊さんに作ってもらったものを、素描家・shunshunさんの家で再現しました。
まずうどんを食べ(トップ画像)、残ったつゆにごはんと卵を入れて食べます(↑)。
レシピがなくても作れる素朴な料理ですが、心に染みるほどおいしい。
(アノニマ・スタジオ連載・宮本しばにの素描料理「しゅんしゅんさんx宮本しばにの対談」

素描家・shunshunさんと対談したときに、彼が考える「素描」は、

素直で、素朴で、すばやく。

だそうです。

この3つの「す」は、そのまま素描料理に当てはまりますね。

僧堂うどんは素描料理の代表かな。
頭の中で組み立てやすいし、レシピがなくてもできるシンプルな料理。

「分かりやすい」というのも、素描料理のキーポイントです。

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台所は舞台裏です。誰も見ていない場所。そういう場所でどう動くか、何をするか。そういうところでその人の「本質」が出ると思うのです。
これはすべてに言えることで、仕事や人と接するとき、誰も見ていないとき、どういう行動をするか。それがその人の素の姿なわけです。人が見ているから、SNSだから、と良いところだけ切り取って見せようとすることの正反対にあります。

たまには袋を開けただけの料理だって全然構わない。インスタントラーメンだっていい。楽をして嬉しいなぁって日があっていい。でもずっとそういう日が続くと、カラダも心も辛くなってきます。
素描料理は決して複雑な料理を作るということではなく、ごま和えでもいいし、サラダでもいい。たったひとつ、何か自分の手で作ってみるってことなんです。そこから見えてくるものがあるはずです。

富田さんいわく、
料理だけじゃなくて、今の時代は簡単に手でさっと作っていくというのを取り戻すことが必要です。例えば、手で字を書いて手紙を出すとか、裁縫が好きな人は手でチクチク雑巾を作ってみるとか。デザイナーも最初にマックに向かったりしますよね。普通にみんなテンプレートの中から選んでしまうわけです。それを何かに変換すると、例えばチラシができあがる。今の時代はすごくそういう「変換」したり、簡単にモノが作れてしまうから便利なんですけれど、本当にそれだけでいいのか、っていうことです。

何をするにも「素描」を忘れず、
下手くそでもいいから描いてみる。
考えてみる。
観ていく。
「手で作ることを守ること。」
これが、素描料理の大前提だと、改めて思います。

「日本ママ起業家大学」学長、近藤洋子さんのオンライン番組(Youtube )での、3人の会話をぜんぶ知りたい、観たい方は、下記をクリックしてください。

Youtube
台所の精神論?「素描料理のコンセプトをかんがえてみよう」


アノニマ・スタジオ連載「宮本しばにの素描料理」を転載した小冊子を作りました。
台所の考察とレシピ、4話分が写真と共に掲載されています。
全28ページ、カラー。表紙のイラストshunshunさん。
500円(送料込)です。ご注文は下記をクリックしてください。
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