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羽釜でおむすび・その2 「おむすび編」

ずいぶん前のことになりますが、写真家・野口さとこさんとふたりで、おむすびを巡る旅をしたことがあります。
さまざまな分野で活躍している人を訪ね、おむすびにまつわる話、仕事のこと、生き方や考え方などを伺いながらおむすびを握ってもらい、それをミシマ社のウェブサイト・みんなのミシマガジンに連載していました。

5年ほど書いたのち、まとめたのが「おむすびのにぎりかた」(ミシマ社・写真家・野口さとこさんとの共著)。

杜氏、味噌屋、イタリア料理屋の店主、ブラジルのシンガー、ボクサー、アーティスト、禅僧など、19人のおむすび物語です。

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このかわいらしいおむすびは、ブラジルのシンガー、ヘナート・ブラスさんのおむすび。人生の最後に食べたいものが「梅干しのおむすび」だそうです。なぜブラジル人の彼が、最後の晩餐におむすび選んだのか...しかも梅干し入り。続きは本をお読みくださいませ。(写真:野口さとこ)

この連載を通して、まず感じたのは、

おむすび=握る人。
つまりおむすびは握る人のオブジェである。

おむすびをおいしくするのは、心と記憶である。

ということでした。

ごはんを炊き方とか、握り方とか、ちょっとした工夫で、おむすびがおいしくなることはあります。けれど、握る人の「人なり」がおむすびに出るのも紛れもない事実です。
数秒で作れるおむすび。けれど、そこに握る人のすべてが表現される。
これは料理も同じで、「人なり」が「ひと皿」に出ます。
たかが料理、たかがおむすび、ではないのです。

最近は親が忙しいくて、子供のお弁当箱にコンビニおむすびを入れるお母さんがいるそうです。
これもやっぱり「人なり」なのか...。

手を動かして作ったものほど、人の心を温かくするものはないということを、私たちは忘れてはいけない。

「おむすびのにぎりかた」では、あるステンドクラス作家の話が印象的でした。

学校から帰る子どもたちの面倒を見ているおじちゃんがいるんです。ある日、いつもそこで遊んでいる男の子の誕生日だというので「何か欲しい物があるか?」とおじいちゃんが聞いたところ、「何も欲しくないけど、お母さんの手料理が食べたい。」と言ったそうです。

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(ステンドグラス作家・かよパティスンさんのおむすび  写真:野口さとこ)

大人が常に理由にしている「忙しい」は相当、厄介かもしれません。

明日の未来を考えよう、なんてキャッチフレーズをよく見かけるけど、今この瞬間にしか私たちは存在してないから、明日のことを考えるんじゃ遅い。今なんですよね。

宇宙の中の小さな「わたし」。
その「わたし」が、目の前の今を少しでも良くしていこうと動いていくことは、宇宙を動かすことと同じことなんだと、大げさだけれど、私は信じています。
おむすびひとつ、料理ひとつ、考え方ひとつ、です。

さて、おむすびの話に戻すと、

おむすびは
いびつでも、
不格好でも、
大きくても、
小さくても、
すべて正解。失敗はない。

と思っています。
だからあまり技術的なことを考えずに、ただシンプルに自分のおむすびを握った方が、「その人にとってのおむすびの正解」になるのではないかと。

おむすびは昔の記憶とつながっていて、「お店で買うおむすび」とは違う世界にあります。

本の中の19人には、それぞれおむすびの思い出があって、握り始めると自然とその人らしいおむすびになっていくんです。
三角おむすびを握る人は丸おむすびが握れないし、その逆もまた然り。
おむすびの大きさも、その人の’気持ちいいサイズ’があるみたいです。
今までどれだけ握ったかは関係なくて、はじめて握る人もちゃんと「自分の形」になる。面白いですね。

ちなみに私のおむすびは、以前は少し小さめのおむすびだったんですけれどある日、久しぶりに握ったら、大きなおむすびを握るのが心地よくなっていました。

「おむすにのにぎりかた」で、ギャラリストがこんな話をしてくれました。

僕のお母さんは、朝起きたらすぐにお化粧をする人だったんです。白粉が残っている手でおむすびを握ぎるから、ほんのりと白粉の匂いがしていました。東京に上京して、はじめてコンビニのおむすびを食べときは、すごくがっかりしたんです。おいしくなかったし味気なかった。それは白粉のにおいが付いていなかったからなんです。

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(ギャラリスト、大橋人士さんのおむすび 写真 :野口さとこ)

普通であれば、白粉の匂いがついたおむすびなんて正直、食べたくない。けれど、彼にはそれが「心の中の記憶にある、おいしいおむすび」だったんです。

何十年経っても「おいしい記憶」は消えません。
忙しくても、面倒でも、家族に「食事」で愛情を伝えることって大事だと思います。
その大事に思う気持ちは「自分」も含まれています。自分をいたわること。これはすごく大事だと思うんです。自分に愛情をかけてあげることって、意外に人は不得手だから。

おむすびはみんな違っていい。自由な食べ物。
囚われずに、まずは握ってみよう。

ごはん炊き

では、おむすびを実際に作ってみましょう。
あくまで私のおむすびの作り方ですから、自分の気持のいいと思うおむすびを、みんなそれぞれ握ってください。

1. 羽釜でごはんを炊く(炊き方はその1をご覧ください)
ごはんを炊く時の水の量はいつもより少し少なめに。5%ぐらいでしょうか。

塩を入れて炊いてみたことがあります。塩味がついて、それはそれでおいしいとは思ったんですけれど、ごはんそのもののおいしさが半減してしまう気がして、今は塩を入れていません。

2. 炊いたごはんを一度混ぜて、おひつに移します。
10分ほどごはんをおひつの中で落ち着かせます。少しでも余分な水分を取るためです。
おひつのないご家庭が多いと思いますので、ごはんが炊きあがったら混ぜて、短時間でもいいのでごはんを落ち着かせてみるといいかもしれません。

ごはん

我が家では、残りごはんを次の日のランチにおむすびにして食べることが多く、前の晩におひつに入れた冷やごはんを中華セイロで温め直してから握ります。

ごはん

つまり、
羽釜で炊く→おひつに入れておく→次の日に中華セイロで温め直す→アツアツのごはんで握る。
の順でおむすびができあがります。
すごくややこしいですね。でも実際に、これは我が家のやり方なのです。
おいしくするには、道具って大切だと改めて思います。

3. 茶碗に8分目ぐらいごはんを入れます。
ごはん130gぐらいかな。いつも適当ですけれど。
私のおむすびはちょっと大きめで、1合で2個のおむすびが作れます。
最近はもっぱら塩むすび。何も入れないのが好き。

握るときは手を濡らして、3本指に塩を付けます。
塩は多めに。ちょっと多いかな、と思うぐらいがちょうどいいです。

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↑これは「台所にこの道具」(アノニマスタジオ)のときに撮影した自分のおむすび。このときはまだおむすびが小さめでした。(写真:野口さとこ)

握るときは強く握らない。
これは誰もが言うことですが、やっぱり硬いおむすびはおいしくない。
それと、手に水をつけすぎない。ごはんの余分な水分をいかに取るか、がおいしくするポイントですから。

親指の甲のあたりを押さえる感じです。指は形をととのえるだけで、手全体でギュッと押し付けるように握ってしまうと、おむすびが硬くなります。

私のおむすびは、食べるとホロホロと崩れてしまうタイプで、少し強く握って作っても、食べるときはやっぱりホロホロします。
夫が「食べるときに崩れる感じっておいしいね」と言ってくれたので、これでよしとしていますが。

4. 握ったおむすびを曲げわっぱおひつに入れる。
もちろんタガおひつに入れてもいいですね。おひつがおむすびの余分な水分を取ってくれるので、冷めてもおいしくなるのです。
とは言っても、おひつのある家ってあまりないと思うので、おむすびが汗をかかないように工夫することを考えてください。
例えば、
木の皿(塗装していないのがベスト)におむすびをのせて、ボウルかザル(竹ザルが理想ですけれど)で蓋して冷ますとか。
「イスキアの森」の佐藤初女さんは、おむすびを厚めのタオルに包んでいました。

おむすび

晒の布におむすびを包んでもいいかもしれません。私はこの方法を実際にやったことはありませんが、ラップに包むのだったら、こちらの方が断然いいですね。洗って何度も使えるし。
(写真提供:武田晒工場さささ)

おむすび弁当

曲げわっぱおひつに入れて、食べるまでおむすびを落ち着かせます。

5. さぁ、いただきます〜。

おむすび食卓

おむすびは、一番かんたんで一番むずかしい料理なのかなぁと。
でも、みんな違ってみんなよしで、むずかしく考えてしまうと、おむすびが固くなってしまうし、そのあたりは自分で素描していくことですね。

握って、眺めて、食べて、
ドキッとしながらも、あぁ、これが今のわたしなんだなぁ、と。

改めて素描料理としておむすびを考えてみると、

その人の「宝」となる味を自分で追求するのが、素描料理

ですね。


今回登場した道具をご紹介。

「おむすびのにぎりかた」で一緒に旅した写真家・野口さとこさんのサイトはこちら。


10月26日〜31日まで、銀座・森岡書店で
「台所にこの道具・宮本しばにの素描料理」展と題して、
書籍と台所道具の展示販売を致します。
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全日、在廊しています(28日は別な場所でのイベントのため、在廊していません。)

ぜひ、会いに来てください〜!


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