阿太加夜神社 | 出雲国
御祭神
阿太加夜奴志多岐喜比賣命
配祀神
国之底立命・須佐之男命・淤母蛇流命・阿志古泥命
境内社 稲荷神社
祭神:宇迦之魂命
境内社 雨風神社
祭神:奥津彦命・奥津姫命・級長津彦命・級長津姫命
境内社 兵庫神社
祭神:松岡兵庫頭
<特別神社> 阿太加夜神社
阿太加夜(あだかや)神社の主祭神は神話で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)の御子、阿太加夜奴志多岐喜比賣命(あだかやぬしたききひめのみこと)(女神様)です。この神様は阿太加夜(現在 出雲郷(あだかえ))の主として出雲の多伎町に祭られているほど広く出雲の地で活躍された出雲鎮守(土地・地域を守る)の神様です。十年に一度の日本三大船神事(通称 ホーランエンヤ)は、松江藩主 松平直政公が、不作を危惧し五穀豊穣を祈念するため、城山にある稲荷神社の御神霊をわざわざここ阿太加夜神社に船渡御して七日間にも延ぶ大祭を斉行したのが始まりです。現在まで三百五十余年続く式年神幸祭にちなんだ霊験あらたかな松岡兵庫頭(まつおかひょうごのかみ)をおまつりした社があります。配神には須佐之男命(すさのおのみこと)をはじめ国之底立命(くにのそこたちのみこと)・淤母蛇流命(おもだるのみこと)・阿志古泥命(あしこねのみこと)の天神をまつり、末社は稲荷神社・雨風(あめかぜ)神社。境内の面足山(おもたるやま)には、くにびき神話の意宇(おう)の杜・八束水臣津命(やつかみずおみづのみこと)の碑・河童伝説の碑・万葉集歌人 門部大臣(かどべのおおきみ)の碑などがあります。
当社は大那牟遅命の御子 阿太加夜奴志多岐喜比賣命外四柱を祀り、鎮座年歴不詳であるが天平五年の風土記に記載され、殊に貞観元年七月十一日正五位下を授けられている。社殿諸建造物は元禄八年三月二十三日出雲大守松平出羽守源朝臣綱近により造営され、代々の藩主による修造の棟札が現存している。また、社領三十石を寄付された社であるが、中古火災によって由緒の詳なることを知ることは出来ない。通称 芦高大明神と呼ばれ近郷の信仰を集めている。
特殊神事(ホーランエンヤ・日本三大船神事)
松江城山稲荷神社の御神輿を、芦高(阿太加夜)神社の本殿に迎えて一週間出雲の国の五穀豊穣と産業の発展を御祈願する祭りである。慶長十二年堀尾氏が築城を始めた。芦高の神主松岡兵庫頭(芦高兵庫神社の祭神)は二夜三日の祈願を行い、鎮守八幡の祭事を執り行った。寛永十五年堀尾氏が築城してから約二十年後信州松本から松平直政公が松江に入城した。入城後十年目に当る年は風雨が多く五穀がよく実らなかった。そこで場内稲荷大明神を芦高神社に勧請して、五穀豊穣を祈願した。正保四年の事である。以来、十年毎、又は十二年毎に斉行され出雲国の五穀豊穣と産業の発展を祈願してきた。文化五年の神幸祭の際、波風激しく馬潟沖において神輿船が危険な状態となった時、馬潟の漁師達が船を出し、これをよく援助して無事芦高神社に御案内した。これが櫂伝馬船の始まりであり、文政元年の神幸祭より馬潟組の人達は引船の役を承り、矢田組、大井組、福富組、大海崎組五組が揃って奉仕するようになった。
出典:境内看板
出雲郷・阿太加夜神社・出雲街道・鳥居
出雲郷・阿太加夜神社・出雲街道・鳥居
出雲郷・阿太加夜神社・鳥居・国道9号線
出雲国風土記登場地・出雲郷・阿太加夜神社
出雲国風土記登場地・出雲郷・阿太加夜社(阿太加夜神社)
出雲郷・阿太加夜神社
出雲郷・阿太加夜神社・拝殿・随神門
出雲郷・阿太加夜神社・拝殿・随神門
出雲郷・阿太加夜神社・拝殿
出雲郷・阿太加夜神社・本殿・稲荷神社
出雲郷・阿太加夜神社・兵庫神社
出雲郷・阿太加夜神社・日本三大船神事ホーランエンヤ櫂伝馬船
出雲郷・阿太加夜神社・御神木
出雲郷・阿太加夜神社・御神木
出雲郷・阿太加夜神社・御神木
出雲郷・阿太加夜神社・御神木
出雲郷・阿太加夜神社・御神木
出雲郷・阿太加夜神社・御神木
出雲郷・阿太加夜神社・御神木「連理の榊」
出雲郷・阿太加夜神社・狛犬
出雲郷・阿太加夜神社・面足山万葉公園・河童橋・意宇川・須田川
意宇杜・面足山(おもたるやま-)万葉公園・出雲郷・阿太加夜神社
出雲郷・阿太加夜神社・面足山万葉公園・国引き記念碑
出雲郷・阿太加夜神社・面足山万葉公園・門部王歌碑
出雲郷・阿太加夜神社・面足山万葉公園・門部王歌碑
面足山(おもたるやま-)万葉公園・出雲郷・阿太加夜神社
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